小・中・高における国語授業の改革 文学作品・説明的文章を読む方法 -構成・構造、形象・論理、吟味・批評- の追究 「読み」の授業研究会

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運営委員の実践

『洪庵のたいまつ』(司馬遼太郎)の教材研究 3

加藤 郁夫(読み研事務局長)

承前

〈4〉(なか3)、適塾について
 ・身分差別なく平等
 ・塾生のうちで、よくできる者ができない者を教えた
 ・塾生が一生懸命学んでいる
    適塾を「すばらしい学校」と筆者は言うが、何をすばらしいと見ているかを考えさせたい。


〈5〉(なか4),大きく二つの部分に分けられる
① 洪庵のいましめ
医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけを考えよ。

冒頭、作者が「美しい」と評した原点
   ← 洪庵のいましめは、冒頭の「美しさ」とも照応するが、ここまで読み進めてきた段階で、その具体がないことを考えさせたい。洪庵が医者であったことや適塾を開いたことは、その具体と言えなくはないが、それだけだと特に「美しい」と評した意味が見えてこないのではないだろうか。
      ←司馬遼太郎「花神」によると、当時の医者には、洪庵のような考え方は珍しかったとある。
② 洪庵の死

〈6〉(おわり)、まとめ
 ・ここで題名の意味が示される
  → 最後に、題名の意味がわかるように述べられている。また「たいまつ」とすることで、たくさんのたいまつが受け継がれて今があるのだと理解することで、今を生きる子どもたちにとっても、無関係なことではないことが示される。
 ・恩師から引き継いだたいまつの火を、弟子たちに移し続け、弟子たちのたいまつの火が日本の近代を照らす大きな明かりとなった。
 ・作者が洪庵を評価する理由
   洪庵の生き方そのものの「美しさ」
   洪庵の「たいまつ」が日本の近代を明るく照らすもとになった

3.吟味よみ
・「他人のために生き続けた」とあるが、〈2〉以降においてもその具体的内容はあまり語られていない。
       ← 大阪に「除痘館」を開き、種痘を広めた

・〈1〉の真ん中に位置する洪庵について簡単に紹介した部分は、無くても全体としての意味は通るのではないか。ここでは、おだやかな人柄であったこと、蘭方の医者で大坂に住んだことが述べられている。おだやかな人柄以外は、その後を読んでいけば分かることである。ここで洪庵について簡単な説明を入れた意味はなんだろうか。
 読者に、これから語る洪庵という人物に興味をもってもらうために、ここで人柄や蘭方医であったことなどの簡単な説明を入れたのではないか。洪庵の生まれたところから説明すると、説明としては単純率直ではあっても、読者は洪庵がどんな人物かが分かっていないため、説明を興味をもって読み進みにくい。

・「洪庵のたいまつ」は、「はじめ」で述べた人生の美しさとまとめとが照応していない。「はじめ」に洪庵の人生の美しいといい、それが洪庵を紹介する理由として語られていた。しかし、「おわり」では美しさには触れられず、題名にあるたいまつの意味が語られる。
  ←「はじめ」と「おわり」のズレを見つけ、その意味を考えさせたい。
   
【発問例】
「たいまつのことは述べないで、美しい人生だったとまとめた方がよかったのではないか?」

〈1〉で「美しい」という言葉を繰り返し用いて、「世のために尽くした」洪庵の一生を称える。そしてその死が語られる〈5〉では、洪庵のいましめが語られ、彼の人生が「人のため」のものであったことが再度示されている。つまり〈1〉〜〈5〉では洪庵の「美しい」人生が語られている。
しかし、〈6〉のまとめは「世のために尽くした」洪庵という形では結ばれていない。〈6〉で、はじめて題名にある「たいまつ」という言葉が登場している。
弟子たちのたいまつの火は、後にそれぞれの分野であかあかとかがやいた。やがてはその火の群れが、日本の近代を照らす大きな明かりになったのである。後生のわたしたちは、洪庵に感謝しなければならない。
洪庵のたいまつを受け継いだ弟子たちのたいまつが、日本の近代を照らす明かりになったと述べる。洪庵の恩師から洪庵へ、そして弟子たちへとたいまつが受け継がれて、今があるというのである。そのような流れで考えると〈2〉〜〈6〉がそれにあたる。
〈2〉ついでながら、江戸時代の習慣として、えらい学者は、ふつうその自たくを塾にして、自分の学問を年わかい人々に伝えるのである。それが、社会に対する恩返しとされていた。
は、たいまつを受け継いでいくことの説明とも理解できる。
 〈3〉で鎖国を「真っ暗な箱の中」と例えたのは、たいまつの比喩や弟子たちのたいまつが日本の近代を明るく照らしたことと照応していく。
 さらには〈3〉の
日本の近代が大きなげき場とすれば、明治はそのはなやかなまく開けだった。その前の江戸末期は、はいゆうたちのけいこの期間だったといえる。適塾は、日本の近代のためのけいこ場の一つになったのである。
も、この流れの中の表現と位置づけることができる。
そう読んでくると、この文章は洪庵の人生そのものの「美しさ」と、江戸から明治に変わる中で洪庵の存在が日本の近代を明るく照らす役割を果たしたことの二つのことを述べていると読めてくる。

・洪庵の人生の「美しさ」もあるが、〈2〉〈3〉で描かれる洪庵の向学心の強さもとても魅力的である。また、適塾のあり方も魅力的で面白いといえる。


『洪庵のたいまつ』(司馬遼太郎)の教材研究 3

承前

〈4〉(なか3)、適塾について
 ・身分差別なく平等
 ・塾生のうちで、よくできる者ができない者を教えた
 ・塾生が一生懸命学んでいる
    適塾を「すばらしい学校」と筆者は言うが、何をすばらしいと見ているかを考えさせたい。


〈5〉(なか4),大きく二つの部分に分けられる
① 洪庵のいましめ
医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有

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