小・中・高における国語授業の改革 文学作品・説明的文章を読む方法 -構成・構造、形象・論理、吟味・批評- の追究 「読み」の授業研究会

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物語教材を読む 「風切るつばさ」は魅力的な教材か!?

―「風切るつばさ」木村裕一(東京書籍・小学6年)を読む―

加藤 郁夫

 「風切るつばさ」は、アネハヅルの群れの話である。アネハヅルは、シベリアやチベットの草原で繁殖し、秋にヒマラヤ山脈を越えて越冬地のインドへと渡る鳥である。モンゴル高原で群れから仲間はずれになり飛べなくなった一羽(クルル)が、カララという仲間をえて、南に向けて飛び立つ話である。この作品をネットで検索してみると多くがいじめや不登校の話題と関わらせて取り上げていた。
 だいぶ以前になるが初めて読んだ時、私もいじめの話だと思った。そして、あまりいい作品とは思わなかった。いじめられて飛べなくなったクルルに、仲間の一羽が寄り添って、最後は二羽で南を目指して飛んでいくというストーリーからは、仲間の大切さや友情の大切さといった道徳的なテーマが見えてきて、面白いと思わなかったのである。テーマが悪いと言っているのではない。仲間から疎外されたものが、仲間の支えで回復していく。それはそれでよいのかもしれないが、あまりにも見え透いたテーマで、私には薄っぺらく見えたのである。
 ところが今回読み返してみて、私の作品評価は大きく変わった。おもしろい作品と思えたのだ。なぜ、そのように評価が変わったのか。
まず、作品の山場の場面を引用する。

日に日に寒さが増してくる。
(こいつ覚悟しているんだ。)
クルルの心が少しずつ解けていく気がした。
(そうか、おれが飛ばないとこいつも……。)と思った、そのとき!いきなりしげみからキツネが現れた。するどい歯が光り、カララに飛びかかる。
「あぶない!」
その瞬間、クルルはカララをつき飛ばすように羽ばたいた。カララはそれを合図に飛び上がった。
「あっ……。」
気がつくと、クルルの体も空にまい上がっていた。目標を失ったキツネが、くやしそうに空を見上げている。
「おれ、飛んでる。」
クルルは思わずさけんだ。力いっぱい羽ばたくと、風の中を体がぐんぐんとのぼっていく。
風を切るつばさの音が、ここちよいリズムで体いっぱいにひびきわたった。
「わたれるぞ、これなら、あのそびえ立った山をこえることができるぞ。」
カララがふり向いて、
「いっしょに行ってくれるかい?」
と言った。
「もちろんさ。」
クルルも少し照れて笑ってみせた。

 仲間たちへの不信感、仲間とうまく関われない自分への嫌悪感から飛べなくなったクルルが、再び飛べるようになり、カララと南を目指して飛んでいく。この場面をクルルに焦点をあてて読んでいけば、飛べなかったクルルが飛べるようになるという変化、冬を前に死を覚悟していたクルルが再び生きることに喜びを見出していくという死から生への変化を読むことができる。
 しかし、この作品の読みの重点は、クルルよりもむしろカララにあるのではないだろうか。再び飛べるようになったクルルに、カララは「いっしょに行ってくれるかい?」と声を掛ける。この言葉こそが、この作品の読みの最大のポイントだと私は考える。
 カララのこの言葉の前には伏線がある。一度仲間のアネハヅルと南へ飛び立ったカララが、再び飛べなくなったクルルのもとに戻ってくるところである。以下のように語られる。

カララは何も言わずにクルルのとなりにおり立った。クルルは、もしカララが「さあ、いっしょに行こう!」と言ったら、たとえ飛べたとしても首を横にふるつもりだった。「おれなんかいらないだろう。」とも言うつもりだった。でも、カララは何も言わなかった。ただじっととなりにいて、南にわたっていく群れをいっしょに見つめていた。

 カララが「さあ、いっしょに行こう!」と言ったら、クルルは断るつもりだったという。もちろんこの時点でのクルルは、仲間に対して心を閉ざしている。再び飛べるようになったクルルとは違っている。それにしても、再び飛べるようになったクルルに対して、カララはなぜ「さあ、いっしょに行こう!」ではなく、「いっしょに行ってくれるかい?」と言ったのだろうか?この作品は、この二つの言葉の読みの違いを求めている。
「さあ、いっしょに行こう!」であれば、カララがクルルを自分と対等の目線もしくはクルルを自分より下に見ていることになる。そして、カララはクルルが再び飛び立つことを待ち望んでいただろうこともみてとれる。言い換えれば、カララはクルルがいつかは飛べるようになると思っており、それを待っていたという読みになってくる。そこには語り手が予定調和的な終わりを見通している安易さが垣間見えてくる。
それに対して、「いっしょに行ってくれるかい?」は、カララがクルルに頼んでいることから、カララは自分をクルルよりも下においていることがわかる。
なぜ、カララはクルルに頼むのだろうか。そこにクルルが自分と一緒に行ってくれないのではないかという不安を、カララは持っていたことが見えてくる。
 クルルが仲間はずれになるきっかけは、仲間の一羽がキツネに襲われたことだった。「クルルはときどき、体の弱いカララに、とったえさを分けてやってい」たのだが、仲間の命が失われたことから、その行為が仲間たちの非難の対象となり、「クルルは、まるで仲間殺しの犯人のようにあつかわれるようになった」のである。その時、カララは何も言わず黙っていた。その時のカララの気持ちがどうであったかは語られていない。しかし、後になってカララがクルルのもとに戻ってきたことから考えると、自分が原因でクルルが「仲間殺しの犯人」のようになっている時に、何も言えなかった自分に対する後悔の気持ちがあったことは間違いないだろう。自分にえさを分けてくれたクルルを守るどころか、傍目には無視し(たとえ心の中での葛藤はあったにせよ)、クルルを一人残して一度は南へ旅立ったのである。そんな自分のあり様が許せなくてカララは、再びクルルのもとに戻ってきたのではないか。
 そう考えれば、カララがクルルのもとに戻ってきた時に「何も言わなかった」理由も見えてくる。カララは、クルルが仲間はずれになり飛べなくなったことに対する責任を感じていたのである。しかし、それは単に謝って済むことではないともカララは思っていた。軽々しい謝罪の言葉など意味ないと思っていたのだろう。だから何も言わなかったのだ。いや言えなかったといった方がよいかもしれない。その上、飛べなくなったクルルのもとに戻ることは、場合によれば自分もクルルと一緒に死ぬ覚悟をしているということである。カララの中にあるのは、クルルが仲間はずれにあった時に、クルルの味方になることができなかった後悔である。「体の弱いカララ」を助けようとしてくれたクルルを助けるどころか、無視し突き放してしまったことを悔やむ気持ちである。その後悔や謝罪の気持ちが、クルルのもとに戻ってきたカララの中にはずっとあったのではないだろうか。
 だからこそ、クルルが飛べるようになった時、「いっしょに行ってくれるかい?」と頼んだのである。それは、自分のとった行動を許してくれるかという謝罪の言葉でもあった。ここでカララが「さあ、いっしょに行こう!」と言ったとすれば、カララはクルルに寄り添って、仲間を助けたヒーローになってしまう。それでは、カララの苦しみや後悔の気持ちがみえてこない。仲間や友情の大切さといったテーマだけが浮き彫りになってしまう。
 「風切るつばさ」の魅力は、大事な場面で仲間を助けられず、仲間を死の一歩手前まで追いやってしまったものの苦しみ・後悔が描かれているところにある。黙ることで一度は仲間を見捨ててしまったことへの後悔から、自らの命をかけてその行為の謝罪するカララのあり方こそ、この作品のメイン・テーマではないだろうか。
 この作品をクルルの物語としてだけ読むのでは不十分である。クルルの物語の裏にある、カララの物語こそ読まれなくてはならない。また、そう読んでこそ物語の深みや面白さも出てくる。
 東京書籍の学習の手引きの最後に次のように述べられている。

人物と人物との関係を手がかりに、中心となる人物の心情の変化を考えることができましたか。

 作品の「中心となる人物」はクルルである。しかし、この物語をクルルにだけ焦点をあてて読み進めてしまうと、既に述べたように魅力は半減する。読むべきなのは、むしろカララの苦しみであり、後悔の気持ちである。そしてその鍵となるのが「いっしょに行ってくれるかい?」という言葉である。
 そしてこの言葉は、物語の中においてカララが唯一発する言葉でもある。ここまで、物語上は一言も発していなかったカララが、物語の終わりに発する言葉である。その点でも、この言葉の重要さがうかがえるし、作品上重要な言葉として仕掛けられていることがわかる。

 「カララがふり向いて」「いっしょに行ってくれるかい?」と言う。ここから、カララがクルルの前を飛んでいることがわかる。クルルが「カララをつき飛ばすように羽ばたいた」からカララの方が前を飛んでいるともいえるが、この場面、二羽が並んで飛んでいてもよいのではないだろうか。なぜ、カララの方が前を飛んでいるのだろうか。
これは、カララが飛ぶことにおいてクルルをリードしていることを示していると読むべきではないだろうか。かつては、体が弱くクルルからえさを分けてもらっていたカララであった。そのカララが最後の場面では、クルルの前を飛んでいる。それは肉体的成長であるとともに、クルルへの謝罪を通しての精神的成長を暗示していると読めないだろうか。

物語教材を読む 「風切るつばさ」は魅力的な教材か!?

 「風切るつばさ」は、アネハヅルの群れの話である。アネハヅルは、シベリアやチベットの草原で繁殖し、秋にヒマラヤ山脈を越えて越冬地のインドへと渡る鳥である。モンゴル高原で群れから仲間はずれになり飛べなくなった一羽(クルル)が、カララという仲間をえて、南に向けて飛び立つ話である。この作品をネットで検索してみると多くがいじめや不登校の話題と関わらせて取り上げていた。
 だいぶ以前になるが初めて読んだ時、私もいじめの話だと思った。そして、あまりいい作品とは思わなかった。いじめられて飛べなくなったクルルに、仲間の一羽が寄り添って

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