小・中・高における国語授業の改革 文学作品・説明的文章を読む方法 -構成・構造、形象・論理、吟味・批評- の追究 「読み」の授業研究会

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研究紀要

小川国夫『物と心』 ―形象・主題よみの授業のポイント―

研究紀要III(2001.8)

杉山明信(学習院女子大学・茗溪学園高等学校)

一、 はじめに


 小説『物と心』は、数年前まで明治書院の『精選国語?』の教科書に収録されていた教材である。現在は別の作品に差し替えられているが、短編で読みやすい上に、一語一文の深い読み取りが可能な作品なので、高校一年生が最初に学習する導入的教材として適していると思われる。『物と心』の学習を経て、定番教材の『羅生門』へと発展させていくのが、私の高一現代文の文学作品分野での指導の常套的なスタイルとなっている。
 高校の教材ではあったが、難語句も少なく子どもの日常の一こまを切り取って精緻に描いたこの作品は、中学二年生か三年生でも指導することも可能な教材であろう。とっつき易く、それでいて読み込んでみると生徒の読後感を大きく変えうることの可能な、面白い教材である。とても短い作品なので、以下にその全文を示しておく。

 兄の宗一といっしょに、浩は駅の貨車積みのホームへ行き、鉄のスクラップの山をあさって、一本ずつ古い小刀を拾った。二本ともさびきっていたので、家へ戻って、二人は砥石を並べて我を忘れて研いだ。時々刃に水を掛けて指でぬぐい、研げた具合を見るのが楽しみだった。浩の小刀はよく光り、刃先へ向かって傾斜している面には、唇が映った。宗一の小刀は、その面の縁だけが環状に光っていて、中央にはさびたままの、くぼんだ部分を残していた。
 浩は、自分は丸刃にしてしまったが、兄さんは平らに研いだ、と思った。浩は自分が時間を浪費して、しかも、取り返しがつかないことをしてしまったように思い、周到だった兄をうらやんだ。浩は心の動揺を隠そうとして、黙ってまた砥石に向かった。横にいる宗一が意識されてならなかった。彼が横にいるだけで浩は牽制されてしまい、自然と負けていくように思えた。しかし浩は並んで研いだ。宗一がどんなふうに研ぐか気になったからだ。宗一はやっていることにふけっていた。浩は自分もふけっているように見せ掛けた。浩には時間が長く感じられた。自分が人をこんな思いにすることがあるのだろうか、と彼は思った。
 浩は自分の小刀で手のひらを切って、宗一に見せるようにした。宗一はそれに気付き、目を上げて浩を見た。浩は自分から宗一の視線の前へ出て行った気がした。宗一をだました自信はなかった。宗一は研いでいた小刀を浩に差し出して、
――これをやらあ、と言った。そして今まで浩が研いでいた小刀を、研ぎ始めた。
――けがはどうしっか、と浩は聞いた。彼はもううその後始末の仕方を、宗一に求めている気持ちになっていた。
――けがか、ポンプで洗って、手ぬぐいで押さえていよ、と宗一は言った。
――・・・・・・。
――おまえんのも切れるようにしてやるんて、痛くても我慢して待っていよ。
浩はポンプを片手で押して、傷に水を掛けた。血は次から次へと出てきて、水に混じってコンクリートの枠の中へ落ち、彼に魚屋の流し場を思わせた。彼はその流れ具合を見て、これがぼくの気持ちだ、どうしたら兄さんのように締まった気持ちになれるだろう、と思った。宗一は巧みに力を込めて研いでいた。浩はその砥石が、規則正しく前後に揺れているのを見守っていた。すべてが宗一に調子を合わせて進んでいた。


 この作品を構造よみし、次のように分析した。


    ○冒頭
    |  兄の宗一といっしょに浩は、…
    |
 ┌--○発端
 |  |  浩は、自分は丸刃にしてしまったが、…
 |  |
 件  ○山場の始まり
 事  |  浩は自分の小刀で手のひらを切って、…
 |  |
 |  ├-◎クライマックス
 |  |  ――おまえんのも切れるようにしてやるんて、痛くても我慢して待っていよ。
 └--○結末
    |  …締まった気持ちになれるだろう、と思った。
    |
    ○終わり
       …調子を合わせて進んでいた。

 右の構造よみ分析や授業実践については拙稿「主題をふまえてクライマックスを読む」(『科学的な読み方指導の提唱』明治図書)で述べたので、本稿では割愛する。
 この教材の構造よみだが、山場の部がどこかだけ明らかにしておいて、クライマックスには全く触れずに終えてしまうやり方を実践してみている。つまり、発端・結末・山場の始まりだけは確定させるが、クライマックスは山場の部の主題よみの中で確定させるのである。以前は、暫定的にクライマックスを決めておいて、主題よみの後でそれを見直すという実践もしてみたが、煩雑なのと、中途半端にクライマックス論議をさせることが生徒のよみの意欲を引き出すのにマイナスであったので変えたわけである。
この作品を構造よみの導入教材として扱うのはあまり適切ではない。私が高一の導入教材にしているのは、勤務校が中高一貫校で、中学段階で構造よみの基礎が出来ているためであることを申し添えておきたい。もし高校で初めて読み研方式と出会う生徒たちだった場合、構造よみのための導入教材をやった上で、『物と心』を学ぶのが良いだろう。
 この教材の面白いところは、何といっても山場の部の形象を読み深めていくところである。授業の焦点をそこに絞って時配をされることをお勧めしたい。私は、表層のよみと構造よみの両方を1〜1.5時間、導入部の形象よみも1〜1.5時間で終えてしまう。さらに、展開部の形象よみは割愛してしまい、山場の部の主題よみに3時間を充てるようにしている。なお、線引きは教師から提示してしまうことが多い。


二、 「人物」「事件設定」がポイントの導入部形象よみ


(1)「人物」の読みのポイント
 導入部の形象よみの四要素は「時・場・人物・事件設定」だが、時と場については、深く読めてよみの内容がどこかにぴたりと収斂する訳ではないので簡単に済ませてしまっている。「貨車積みのホーム」と「鉄のスクラップの山」の二箇所から時代・年代や地域性などを読むだけである。
 一方、「人物」のよみのポイントはいくつかある。まず、二人の年齢だが、「スクラップの山」を「あさって」遊ぶというところでは、子どもじみた楽しみ方が描かれている。また、子どもだけで駅に遊びに行くのだから幼児という訳でもなさそうである。二人は小学校の高学年か中学年くらいではないか。さらに、一応形だけは二人で伍して小刀を研いでいるのだから、そう年齢が離れているとは思われない。年子か、せいぜい二、三才の違いであろう。
 だが、それ以上に重要なのは二人の子どもを同じように描いている点である。二人は「いっしょに」駅に遊びに行き「一本ずつ」小刀を拾う。拾った小刀は「二本とも」錆びきっていた。その小刀を「二人は」「並んで」研ぐのである。わずか数行の文中にこれだけ二人の行動の共通性が読み取れる言葉が見出されるのである。このくどいとも言えるほどの導入部前半の二人の共通性が、導入部最後で述べられる二人の小刀の研げ具合の差を際立たせることになる。またそれは、展開部で描かれる集中する宗一と焦る浩との差異をも強調する。そしてさらに、終結部で描かれる宗一と浩との隔たりの大きさとも明瞭な対比を形作っているのである。再び小刀を研ぐことに集中する宗一とポンプのところで傷を洗う浩の二人の姿は、導入部における二人のそれといかに隔たっていることか。同じような動きを二人が平等に与えられていた導入部と、「すべてが宗一に調子を合わせて進んで」いる終結部の状況説明との対比は、作品の趣向の一つであろう。
 また、その対比は「発端」から「結末」までの事件の意味をも示してくれる。この事件を通して浩は、自己認識や他者認識、自己と他者との差異の認識を深めていくのである。この浩の認識の深化については主題よみの項で再び触れたい。
 話は少しずれるが、二人の兄弟の名前が「宗一」と「浩」に設定されていることに何か意味はないだろうか。兄の名前の「宗」は、「おおもと、かしら」などの字義を持ち、「一」の字と併せて考えると、宗一は長男であろうと思われる。一方、浩の方は小川国夫のほかの作品にも登場する名前らしいが、その名前自体から特別に意味を読み取ることは難しい。わりと平凡な名前であるが、それとても時代性に左右される。ただ、私が気になるのは、兄が「宗一」なら弟が「浩二」でも良さそうなのに、ということである。兄弟の名付けとしてはありがちなパターンではなかろうか。そうしなかったのは何故だろう。
「宗一・浩二」にすると、最初から兄が一番、弟が二番という序列化された兄弟設定を読者に印象付けてしまうから、それを避けたのだろうか。つまり、序列的な名前は冒頭付近で強調されている兄弟の平等性に反するのである。
 あるいはまた逆に、「宗一・浩二」では、名前の付け方に共通の価値観が貫かれていて、終結部で二人の兄弟が全く違った地平に立っていることと反する設定だからだろうか。兄弟が違う発想から名前を付けられていることは、終結部の二人の差異と響き合う設定なのかもしれない。
 ただし、この名前のよみは、もしかしたら深読みに過ぎるかもしれない。生徒には「人物の名前が出てきたら、その意味を読みなさい。名前が明らかでない場合は、名づけられていないことの意味を読みなさい。」と指導してはいるが、全ての名前に意味があるとは限らないのである。この作品の場合はどうであろうか。教師の教材分析の余技くらいにしておいた方がいいかもしれない。


(2)「事件設定」のポイント

 事件設定で読むポイントは二点ある。第一は小刀の様子の描写、第二は話者設定である。
 第一の点だが、浩の小刀は刃に唇が映るほどよく光っているのに対し、宗一の小刀は縁だけしか光っていなくて中央部分はさびたままであった。この描写を普通に読めば、浩の小刀の方がピカピカときれいで切れ味も良さそうに感じられ、宗一の方はまだ汚く研ぎが遅れていると感じられる。
 しかし、浩の心理描写が始まると、その図式は全く逆転する。ただ表面的に派手なだけの浩の小刀と、地味だがしっかりと刃先を研ぎ上げている宗一のそれという地位の逆転が示されているのだ。
 導入部と展開部とのこの落差が、先に述べた人物設定の変化と同様に、一つの趣向になっている点を押さえておきたい。
 二点目の話者設定だが、この作品は三人称形式で語られている。導入部と終結部とは二人の登場人物を等分に描いているが、展開部、山場の部では視点人物を浩一人に限定し、しかも、話者と主人物との密着度が高い叙述スタイルとなっている。そのため、三人称小説であるにもかかわらず、宗一の心理描写が全く無い。浩の心理は詳細に描写されいることとは対照的である。この語り口は一人称小説のような印象を与えつつ、同時に二人を等分に描写する場面も可能にしている。
 一方、一人称小説にすると全てを幼い子供の視点から描かなければならない制約が出てくるが、三人称小説することでその制約はなくなることも指摘しておきたい。


三、 山場の部主題よみのポイント


(1)主題よみの教材分析
 まずはじめに、山場の部の教材分析を示したい。この分析は九三年の読み研高校部会で私が発表したものに加筆・修正したものである。


事件+人物
1.浩は自分の小刀で手のひらを切って、宗一に見せるようにした。
 〈自分の〉
①「自分の」は無くても意味は通じる。わざわざ「自分の」と断らなくても、浩自身の小刀で切ったに決まっている。
②わざわざ「自分の」と断ることは、浩の小刀で切ったことを強調している。
③浩の(自分の)小刀で切ったことに意味がある。
④自分の小刀が良く研げているかのように見せかけたい。
 自分の小刀が良く切れるかのように見せかけたい。
 〈手のひらを切って〉
①自分の肉体を傷つける行為。(何のため?)
②自分の小刀が切れることを見せかけるだけならば、何も手のひらを切る必要はない。(草などを切っても充分目的は達せられるはず。)
③自分の小刀が切れることを見せかけるだけの行為ではない。
④行為自体も、行為の結果(傷、流れる血など)も、衝撃的である。
⑤兄の気を引きたい。
⑥集中して小刀を研いでいる兄の気持ちを乱したい。
⑦上手く研げる兄、集中できる兄への嫉妬。
⑧怪我をすれば研ぐことをやめられるから。(研げ具合で敗北せずにすむ。)
⑨研ぐことに集中できない自分に対する、自虐的な意識。
⑩手のひらが切れるくらいなら、それほどなまくらに研いだわけではないのでは?
 〈見せるようにした〉
①「見せた」に比べて、曖昧な行為。はっきりと見せたのではない。
②兄に見られないようにしたのでもない。むしろ、見せたいそぶり。
③兄に見てほしいと思いながらも、はっきりと見せようとしないのは何故か?
 a.自分自身の行為への自信のなさ。
 b.ウソをついていることへの後ろめたさ。
 c.兄の方からこっちに目を向けてほしい。
 d.兄の優しさへの期待。甘え。
 e.兄の優しさ、愛情を測っている。


人物
2.宗一をだました自信はなかった。
①何をだましたのか?
 a.本当は研ぐのに失敗した小刀を、切れるように見せかけたこと。
 b.わざと手のひらを切ったことを、過失であるかのように見せかけたこと。
②宗一が何も言わないうちから、気持ちのうえで負けている。
③最初から自滅的な挑戦だった。


事件+人物
3.宗一は研いでいた小刀を浩に差し出して、---これをやらあ、と言った。
①浩の小刀が上手く研げていないことを見抜いている。
 自分の小刀の方が良いという自信がある。
②浩の小刀のことや傷のことには何も触れない。
 a.①の意味だけならば、浩の小刀を研げるようにしてやると言えば済むこと。
 b.わざわざ自分の物をやるという行為で答えた。
 c.やや、意表を突く対応。
 d.無言のなぐさめか?
③ぶっきらぼうな言い方。もしも、浩へのなぐさめがあったとしても、わかりにくい言い方。


人物
4.そして今まで浩が研いでいた小刀を、研ぎ始めた。
①浩の失敗を取り戻してやる。
②浩はもう怪我をしていてこれ以上研ぎ続けることができないであろうから。
③研ぐことそのものが面白くてしようがない。
④浩の怪我には目もくれないで再び砥石に向かう。
⑤少しの中断はあったものの、またすぐに研ぐことに没頭しようとしている。
⑥兄の集中は乱れていない。


事件+人物
5.―――けがはどうしっか、と浩は聞いた。
①小刀については何も言えない。
②小刀の研ぎ方については敗北を認めざるをえない。
③再び小刀を研ぐことに没頭しようとしている兄の注意を自分の怪我に向けさせたい。(兄は浩の怪我については眼中に無いかのようだった。)
 a.怪我そのものを兄に突きつけた。
 b.今度は控え目にではなく、露骨に怪我を突きつけた。
      (「見せるようにした」こととの対比。)
④自分の自虐的な行為を自分で持て余している。
⑤③にしても④にしても、兄にたいする甘えかかり。
⑥対抗意識が消え、甘えが前面に出た形での新たなアプローチ。
⑦兄が小刀を研ぐことを結果的に邪魔していることには変わりがない。
⑧兄の優しさがあったとしても、それには気付いていない。
 兄の優しさがあったとしても、それを測りかねている。


事件+人物
6.―――けがか、ポンプで洗って、手ぬぐいで押さえていよ、と宗一は言った。
 〈けがか〉
①「〜か」という言い方。
 a.それほど重要なものと思っていないときの言い方。
 b.言われて初めて気がついたかのような言い方。
②いずれにしても、浩の怪我を軽く扱っている。
③怪我はたいしたことはないと思っている。
④怪我に驚いたりしていない。
⑤素っ気ない言い方。やや冷たい対応。
⑥浩の失敗がわかっている以上、大袈裟に騒がないことは裏返しの優しさともとれる。
 〈ポンプで洗って、手ぬぐいで押さえていよ〉
①傷を清潔にし、出血を止めるための方法を指示した。
②適確な指示。
③冷静な対応。浩に怪我を突きつけられても驚かない。
④無理をして浩の怪我を無視していたわけではない。
⑤冷静で適切ではあるが、あたりまえ過ぎて、事務的で冷たい感じでもある。
⑥浩の甘えかかりを、厳しく突き放す言葉。
⑦浩の小刀を研ぎながらの会話かもしれない?
 (浩の小刀を「研ぎ始めた」描写しかない。特に「研ぐ手を休めて」や「目を上げて」などの描写がない。)


事件+人物
7.―――・・・・・・・・。
①無言。
②言わないのではなく、何も言えない浩。仕方のない沈黙。
 a.これ以上、言うことがなくなってしまった。もう、兄に迫るものがない。(怪我そのものを突きつけても動じない兄。)
 b.兄の言葉が適切で、納得せざるをえない。     (兄の指示に不適切さが見出せれば、まだ食い下がる余地はあった。)
 c.兄の言葉に意表を突かれた。もっと優しい言葉を期待していた。


事件+人物
8.―――おまえんのも切れるようにしてやるんて、痛くても我慢してまっていよ。
①浩の小刀の丸刃は直せると言っている。
 「取り返しがつかないこと」ではないと言っている。
②兄の方から傷の痛みについて話題にしている。
③浩が小刀を上手く研げなかったこと、傷が痛むことなどへの思いやりの言葉。
④優しさがストレートに出た言葉。
⑤命令形の言葉。兄らしい厳しさ。
⑥毅然とした愛情の感じられる言葉。
⑦浩の弱々しい対抗意識も、嫉妬も、甘えも、全て撥ねつけた上で、初めて示した兄としてのわかりやすい愛情。
⑧浩の思惑を越えたところにある兄の愛情。
事件
9.浩はポンプを片手で押して、傷に水を掛けた。
①兄の指示に従った。
②場面が変わっている。
③もう、兄の傍らから離れている。
④兄の言葉によって、二人の話は終わった。
⑤浩が言うべきこともない。(無言の符号も不必要。)
 浩が何か言いたくても言えないのではなく、浩自身にとって言う必要がない。
⑥兄の最後の言葉によって、兄と向かい合うことをやめた。


事件+人物
10.血は次から次へと出てきて、水に混じってコンクリートの枠の中へ落ち、彼に魚屋の流し場を思わせた。
 〈血は次から次へと出てきて〉
①なかなか止まらない血。血がダラダラ出てくる。
②傷はけっこう深かった。(あまり鋭くないはずの小刀でこれだけの傷をつけたということは、それだけ浩     の行為の激しさ、ひいては、浩の動揺の激しさをうかがわせるものである。)
③すっきりときれいにならない傷口。
④血を流し続ける深い傷口や流れる血そのものは、浩の心の象徴か?
⑤些細なことで深く傷つき、簡単にはいやされることのない心の弱さ、不確かさ。
 〈水に混じって〉
①水に薄まっていく血。
②拡散し、ゆらめいて流れる血。或いは、ほとんど見えないかもしれない。(ポンプの水に混じっても血の筋が見えるくらいだとすると、かなりの出血であろう。)
③雑念が入り集中できない心と同じか? 不安定な心?
 〈魚屋の流し場〉
①魚の血やはらわたなどが流れている。
②生臭い。
③自分の血を生臭く、汚いもののように感じる。
④自分の体から出た血に対するよそよそしさ。
⑤自己嫌悪。


人物
11.彼はその流れ具合を見て、これがぼくの気持ちだ、どうしたら兄さんのように締まった気持ちになれるだろう、と思った。
①兄と自分との隔たりの大きさを思い知った。
②自分は最初から兄の相手にはならなかったことを思い知った。
③兄への反発、嫉妬が消え、兄の強さを素直に受け入れた。
 (毅然としていて優しく、安定感のある兄。)
④兄への憧れ。
⑤兄のようになりたいと強く望んでいる。
⑥しかし、どうしたら兄に近づけるのかは分からない。
⑦自分の成長、自分の明日に展望が持てない状態。
⑧どんなに強く望んでも、その実現の手掛かりさえ見えないことがある。
⑨逆に、全く展望の見えないことでも、それを願わずにいられないことがある。
⑩兄への憧れ、それと背中あわせのコンプレックス、自己嫌悪、絶望感。
⑪小刀をめぐる小さな事件の中で、大きく揺れ動いた浩の心。その心が行き着いた所が自らへの絶望であったという痛々しさ。
⑫自己認識、他者認識の深まりは、自分の心に痛みを与えずにはいないものだ。
⑬自分が傷つくことと引き換えに成長していく少年の心。

特に、右の傍線部の箇所は作品のテーマとして生徒に示している内容である。


(2)特に深く読むべき箇所・有効な指導言


 第一のポイントは1(番号は前節の分析の番号)の箇所を時間を割いて丁寧に読みこむことである。突然手のひらを切った浩の行為の裏側にある、いくつかの感情が複合した彼の心情を、本文の細部の描写から浮かび上がらせていくこと。その読解を土台にして、浩の対抗心・嫉妬・甘えなどに宗一の一つ一つの言葉がどう関わるかを読み解いていくことによって、心理のドラマを一つの統一した流れとして把握することができるのである。
 具体的に言うと、浩の対抗心は宗一の3の反応によって潰え去るのであり、嫉妬や甘えは6の言葉によって一旦はねつけられるのである。対抗しても甘えかかっても通じなかった浩の思いは、そこで宙ぶらりんのまま彼の無言と共に着地すべき地点を失っている。それを掬い取ってくれたのが8の兄の最後の一言なのだ。1で読み取った浩の心情との対応を意識してその後の形象の読み取りを進めたい。
 第二には、「けがはどうしっか」と兄に聞く浩の言葉の二面性を読むことである。この言葉は確かに「うその後始末」を宗一に頼るような情けないものである。しかし、その一方で「小刀のことではなく他でもない自分のけがはどうするんだ?」というけがそのものを付きつけるという側面も持っている。情けない分、余計に強く甘えかかっているのだ。
 生徒のよみは、浩の情けなさや敗北という文脈の読みに終始しやすい。この部分のよみでは、浩から宗一への働きかけは、質的に変化しつつなおも続いている点を重視して指導を進める必要がある。
 第三には、8の宗一の科白が3や6のそれとは異なったニュアンスを持っていることを押さえることである。3や6の科白の素っ気なさに比べて、何とわかりやすい愛情表現であることか。ちやほやするわけではないが、しっかり浩の痛手に言及している。1で読み取った浩の心情に真正面から応える内容となっている点も重要である。
ただし、8に比べて3や6の宗一の反応が単に冷淡だったと読んでしまってはいけない。恣意的な対比の読みに陥る危険がある。そうではなく、3や6での宗一の素っ気なさから浩が優しさを感じ取るにはあまりにも幼いということだろう。
 第四には、浩の無言をしめす7の「・・・・・・」が8の科白の後には無いことを読むのである。私は生徒にこう問い掛けている。「8の科白の前でも後でも、浩は宗一に何も言ってはいない。なのに7にだけ無言を表す点々が記されていることの意味は何だろうか。」
 この発問はこうも言い換えられる。「浩は結局兄の言う通り、ポンプのところに行っている。でもそれは8の後である。6で指示されたのにその時は無言でいて、すぐにポンプのところに行かなかったのは何故? 逆に、何故8の後ではポンプのところに行ったの?」
 何も言えなくなってもまだ浩は宗一の前にいたのだ。まだ浩の気持ちは宗一に向かっていたのだ。浩の幼さ、弱さが彼を兄の前にいさせたのだろう。しかし、彼は兄の優しさがストレートに出た言葉によって、宗一に向かっていた気持ちを自分自身に向ける。だから浩は8の後では宗一に何かを言う必要性が無かったのだ。兄の言葉に従ってポンプのところへ行くのに抵抗が無くなったのだ。それは兄の大きさをありのままに認めることと同時に兄と自分との差を認めることでもあった。その差の大きさに絶望的になる浩の心情の痛々しさと、痛みを通じて一つ成長した少年の心を読み取りたい。


四、 おわりに


 浩の心理や宗一の言動の意味をよめばよむほど、兄の宗一という子どもの在りようが立派なことに驚く。人物設定からすると、彼はせいぜい小学校高学年くらいであったはずだ。だが、もっと大人びて感じられる宗一が終結部にいるのだ。
 だがしかし、少年というのはこういった心理の動きを無意識のうちにしながら、何の気なしに行動してしまうものなのかもしれないとも思う。立派とかいうことではなく、子どもの世界では当たり前なこととして日常の中にこういった心理的なドラマが散在し、たまに浩のような内向的な傾向を持った子どもがそれを事件として感じるのかもしれない。

小川国夫『物と心』 ―形象・主題よみの授業のポイント―