「レモン哀歌」日英語比較授業の試み

 中学3年生で「レモン哀歌」(高村光太郎『智恵子抄』より)を学習している最中、イギリスの学校から交流のために十数名の生徒が来るというイベントがあった。

 授業をもっているクラスにも男女1名ずつのイギリス人生徒が見学にくるということで、せっかくだからただの「見学」だけで終わらせずに、いっしょに授業に参加してもらえる工夫はできないものかと考えた。インターネットで『智恵子抄』を英訳したペーパーブックがあることは確認できたが、取り寄せているうちに彼らは帰ってしまう。さらにネット検索をしていると、なんと、Paul  Archerというオックスフォード大出身の詩人兼翻訳家を紹介しているページ(http://www.paularcher.net/translations.html)を発見することができた。しかも、そこには『智恵子抄』の中の主だった詩の英訳が掲載されているではないか! 

以下はそのPaul  Archer氏による英訳版「レモン哀歌」である。

Lemon Elegy 

You had been so waiting for a lemon 
In your sad and white and bright deathbed,
Your perfect teeth bit with a crunch
Into the lemon you took from my hand.
A topaz coloured scent arose.
Those few drops of heavenly lemon juice
Suddenly made you normal again.
Your shining lucid eyes smiled gently, 
You gripped my hand with such a healthy strength!
Though there was a storm in your throat,
In these last moments of your life
You became the old Chieko again,
You focused a life of love into one moment
And then you took a big breath 
Like on the mountain peaks long ago,
And in that breath your engine shut down. 
Today, once again, under the cherry blossoms 
By your photograph, I'll put a coldly shining lemon. 

 さっそくこれを印刷し(もちろん出典も示した上で)、イギリスからの2人が参加する授業で全員に配布した。日本人の生徒はもともとの「レモン哀歌」も手元に持っているので、それと照らし合わしながら英訳版を読むことができ、さながら日英語の比較研究気分を味わうこともできた。その日の授業はちょうど「レモン哀歌」に用いられている技法を1時間かけてピックアップする回だったので、技法名の英訳(例/metaphor.:隠喩、inversion:倒置法等々、和英辞典で調べておいた)も板書して、イギリス人の生徒と日本人の生徒が一緒に「レモン哀歌」の中の技法をさがす、という作業を行うことができた。

 特におもしろかったのは、日本語では技法になっているところが英訳では必ずしも技法でなかったりする点である。具体的には、原文3行目「あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ」が英訳では“Your perfect teeth bit with a crunch”となっている、などである。「がりり」という擬音語に相当する英語の擬音語はどうやらないらしい。そのかわりに「どのように噛むか」というその噛み方が“crunch”という単語で示されるのである。クラスにはいわゆる帰国生(かつての言い方では「帰国子女」)の生徒もいるが、そうでない生徒でもチョコレートのかかった棒アイスの名前などから、“crunch”の表す雰囲気がつかめたようで楽しめていた。

 さらに、原文の6、7行目「その数滴の天のものなるレモンの汁は/ぱっとあなたの意識を正常にした」の部分は“Those few drops of heavenly lemon juice/Suddenly made you normal again.”となっており、「ぱっと」もまたそれに対応する英語のオノマトペがないことがわかるが、それと同時にむしろ日本語だとやや不自然ないわゆる「無生物主語」の原文が、英語だと自然に感じられる(英語では無生物主語でも自然な文ができる、と数十年前に習った記憶もあり…)ことから、逆にこの日本語の「レモン哀歌」の文体こそが、西洋語の翻訳調を意識していることがよくわかったのである。ちょうど生徒たちも英語の授業で“〈主語〉+make(s)+〈目的語〉+〈状態を表す補語〉”という構文を習ったばかりだったらしく、偶然にもこれが「レモン哀歌」原文の底流にある西洋的な形象の一貫性をより詳しく読むことにつながったのである。

 帰国生たちの助けもあって、イギリスからの2人もそれなりに日本の詩の授業を楽しむことができたようであるし、日本の生徒達も英語版との比較の中で、日本語の「レモン哀歌」への理解を(少しかもしれないけど)深めることができたと思う。たまにはこのような趣向も刺激的でおもしろいと感じた。

プロフィール

鈴野 高志
鈴野 高志「読み」の授業研究会 運営委員/つくばサークル
筑波大学日本語・日本文化学類卒業 同大学院教育研究科修了
茗溪学園中学校高等学校教諭/立教大学兼任講師
[専門]日本語文法教育
[趣味]落語