コラム「言葉への誘い」

 これは、5年ぐらい前に高校2年生の現代文を担当したときに生徒に配っていた「現国倶楽部」という科目通信の中で、たまに載せていた「言葉への誘い(いざない)」というコラムです。

第1回・方言の巻 その①

 新コーナーです。読んでちょうだい。まずは「方言」に関するお話しを何回かにわたって書いていこうと思いますのだ。今回は最初なので、「方言」の雰囲気を味わってもらいましょう。・・・・・・ってわけで、インターネットで集めた、日本各地の「桃太郎」だ!
● 山形「むがすむがす、あっとこさよ、じさまとばさまがいっだっけどや じさまはや まさ たぎものとりさ ばさまは しぇんだぐ いっだっけどや。」
● 千葉「むがしむがしあっとごに じっじとぱっぱといただあるし。じっじは やまさかわはぎに、ぱっぱは かわさせんたくにいっただ。」
● 山梨「むかしむかし、おばあやんと、おじいやんがいて、おじいやんはやまへしばかりに、おばあやんは、せぎにあらいもんをしにいっただと。」
● 愛知「むかしむかし あるところにおじーさんとおばーさんがおらーしたそーだ。おじーさんはやみゃーたきもんとりに、おばーさんはかわゃーせんだくしにいがした。」
● 佐賀「むかしむかしのことばってん。あるところにじーちゃんとばーちゃんのおんさった。じーちゃんのやまにしばかりに、ばーちゃんのかわにせんたくにいきんさった。」
● 鹿児島「むかしむかしのことじゃった。あるとこい おじーさんとおばっさんがおいやち。おじーさんな やませーしばかいけいって、おばっさんな かーへせんたきーいっきゃったち。」
どう? 各地の雰囲気がそれぞれ違っておもしろいでしょ? 20回生には個人研でドラマ『北の国から』のワンシーンを各地の方言にして研究した人もいたのだ。次回も方言の巻、続く。

第2回・方言の巻 その② 方言の歴史

 今回は、とってもとっても簡単にですが、方言の歴史について少し触れたいと思います。
 ちょうど鹿鳴館で舞踏会が行われていた明治維新のころ、「国家を統一し、欧米に負けない国づくりをするためには、日本中の言葉を統一して、国民の心を一つにしなければならない。」なんてことが叫ばれていたんだ。ようするに国の統一を考えたとき、方言の存在は「悪」であり、とにかく早いうちに撲滅しようっていう考え。例えば東北地方の小学校ではなんと休み時間(授業中じゃないんだよ!)に全校児童が「ア・イ・ウ・エ・オ」なんていう「口の体操」を強制的にやらされていたんだって。沖縄なんてもっと大変だ。明治40年頃からは、学校の中で方言を使った生徒には先生から「方言札」(ほうげんふだ)っていう、まるでサッカーのイエローカードみたいなものが渡されて、「私は方言を使ってしまいました」の意味でそれを首からぶら下げていなくちゃいけなかったんだって。今考えてみたらとんでもないことだよね。
 そんな「方言撲滅」と「全国標準語化」の動きは昭和の初めごろまでずっと続いていたんだけど、そういう動きに対して昭和15年ごろ、沖縄の文化を研究していた柳宗悦っていう人が初めて公に異議を唱えたんだ。その主張は「方言は文化と密接な関係があり、方言を撲滅させてしまうことはその地方の文化(人情とか習慣とか音楽や芸能なども含む)そのものを殺してしまうことにつながる」というもので、これがきっかけとなって全国的な「方言論争」が巻き起こった。そんなこともあって、あまりに強権的な「方言撲滅」の流れは停滞し、むしろ方言と標準語は共存させるべきだという世論も高まっていったんだけど、「撲滅」時代の影響は「方言コンプレックス」のような形でかなりの間残っていたみたいだ。
 しかし戦後高度経済成長時代を終えマスメディアによる「共通語化」が急速に発達すると、「方言を見直そう」という動きはさらに強まった。今は積極的に残そうという勢力がずいぶん強いよね。

第3回・方言の巻 その③ 気づかない方言

 方言の中には、はっきりと「わおっ、これは方言だ!」と誰もが気づくものもあれば、使っている人達には「方言」だとは思われていないけど、実は方言だというものもある。後者みたいなものを特に「気づかない方言」と呼んでいて、今方言の研究分野の中ではなかなか注目を浴びているんだ。
 私が茗溪の教員になってちょっと驚いたのは、プリントを提出すべきかどうか迷っている生徒が、「先生、これあげるんですか。」と聞いたことだ。「先生に何かを提出すること」を「あげる」というのはどうやら北関東の方言らしい。「先生はお上の偉い人」という発想なのかなあ?あと、「しみじみ」の使い方。普通は「いい映画を見てしみじみした気分になった。」という使い方をするのに、茨城ではそれとは別に、「ふざけていないでもっとしみじみやれ!」のように、「まじめに、じっくり、一生懸命」に近い意味で使われることがあるのだ。こんなのが「気づかない方言」。茨城や北関東以外でもいろいろある。西日本では物を片付けることを「なおす」と言う。東北では、味噌汁をおわんに入れることを「盛る」というそうだ。わりと有名なのが、駐車場の呼び方。東日本では「パーキング」と言うのに対し、西では「モータープール」が一般的。マクドナルドが東だと「マック」なのに西だと「マクド」(アクセントは「ク」のところだけ高い。)と略すのもそう。
 九州も「気づかない方言」の宝庫みたい。例えば10時55分のこと、普通は「11時5分前」って言うでしょ?福岡や熊本では、「11時前5分」って言うんだってさ。あとね、「気づかない方言」が研究分野として流行し始めて、特に方言マニアの間で話題になっているのが、鹿児島の「ラーフル」。これ何のことかわかる?なんとびっくり、「黒板消し」のことなんだって!なんでも鎖国時代に入ってきたポルトガル語(もともとは「ぞうきん」とか「ボロ切れ」の意味らしい)だったみたい。なんだかかっこいいよね。「ねえ、君、そこのラーフル取ってよ!」とか、ちょっと言ってみたいね。

第4回・逆引き辞典で遊ぼー!!

A「ねえねえ、2学期の抱負(ほうふ)をおしえてよ」
B「ああ、白くて四角くって・・・」
A「それは、とうふ!」
B「あ、わかった、寝るときにかけるやつ・・・」
A「そりゃ、もうふ!!」
 こんな漫才みたいな会話を友だちとすることあるでしょ。こんなときに便利なのが(っていちいちその度に使うヤツはいないけど)
逆引き辞典。ふつうの辞典は例えば「抱負」なら「ほ」から引いて次に2文字目に「う」が来る項目を探すでしょ? でも逆引き辞典は文字通り「逆」なんだ。例えば「抱負」を引くときはまず「ほうふ」の最後の音「ふ」から探す。次に「ふ」の項目のなかで、後から二文字目が「う」になる言葉を探す。そのページを見るとね、
「~うふ」となっている言葉が「送付」「豆腐」「農夫」「夫婦」「毛布」「養父」「恐怖」・・・・・・というふうにたくさん出てくるんだ。おもしろいでしょ? この辞典、漫才だけじゃなくて、詩なんか作る人は脚韻を踏むときの言葉選びにも使える。あと、回文(「たけやぶやけた」みたいなやつ)を作るにも便利です。『逆引き広辞苑』とか『日本語逆引き辞典』とか、何種類か出ているから、図書館ででも見てみてください。ただ意味もなくページをめくってみるだけでも、けっこう楽しいゼ!!

第5回・オノマトペの巻①

 擬音語や擬態語のような言葉を、ひっくるめてオノマトペといいます。『永訣の朝』でも「びちょびちょ」なんていうのが出てくるよね。日本語にはオノマトペが特に多いと言われている。例えば「笑う」という表現をオノマトペで修飾するとき、「げらげら~」「にこにこ~」「くすくす~」「にやにや~」といろんな笑い方で表せるでしょ?英語なんかだとlaugh、chuckle、grin、smile・・・っていうふうに、動詞そのものを変えなければいけないのだ。それに、日本語にはものすごい数の外来語があるけれど、オノマトペで外国からきたものは、なんと「チクタク」(時計の音)と「ジグザグ」(稲妻の光のライン)ぐらいしかないんだって!つまり外国から輸入する必要がないほど、日本語のオノマトペが豊富っていうことだ。
 それから、マンガね。マンガはオノマトペの宝庫だし、常に新しいオノマトペが誕生する絶好の土壌にもなっている。
 これから少し、このコーナーでオノマトペを見ていきますので、ご期待くだされ。

第6回・オノマトペ②

 オノマトペを観察するさい、例えば「ころり」だと語の初めの「ころ」の部分に注目しがちだけど、実は語尾の方にも一定の意味の差異化を生じさせる機能があるんだ。物が転がる「ころ」シリーズでいうと、「ころっ」は転がりかけること、「ころころ」は連続して転がること、「ころんころん」は弾みをもって勢いよく転がること、「ころりころり」は転がっては止まり、また転がっては止まること、「ころりんこ」は一度転がりはしたが、最後に安定して二度と転がりそうもないことを表す、というようにね。おもしろいでしょ?

第7回・オノマトペ③~マンガの中のオノマトペ

 「昨日映画見たんだけどこれがいい映画でさあ、もう、うるうるしちゃったよ!」・・・この「うるうる」、一番新しい『広辞苑』の第五版にはちゃんと「うるおっているさま。特に目がうるんでいるさま。」って載っているのだけど、前の版にはなかったことばなんだって。で、辞書や事典の類に初めて登場したのがどうやら1990年版の『現代用語の基礎知識』。だからこれ、極めて新しい言葉なんだ。で、その出どころはというと、これがどうもマンガだったらしい。
 マンガの中で使われるオノマトペについては言語学者の日向茂男さんや、マンガを学問にしてしまった夏目房之介さん(漱石の実の孫)がいろいろと研究しているけれど、夏目さんによれば、「マンガは新しいオノマトペを日々生産する現場」なのだそうです。特に少女マンガでは実験的な表現をまるで当たり前のように生み出しているのだそうで、例えば80年代後半には安孫子三和さんの『みかん絵日記』というマンガの中で「ん゛にゃ」(猫のセリフ)なんていう、本来ありえない「ん」に濁点のついたものまで現れました。今は「あ゛~」みたいな表現もいろんなところでしょっちゅう使われているよね。あと、同じ頃、一条ゆかりさんは『日曜日は一緒に』っていうマンガの中で、動詞の「開き直る」をそのままオノマトペにした「ひらきなおり」っていうのを発明しています。
 マンガのオノマトペは実験的に使われるから、必ずしも全てが一般に定着するとは限らないけど、古典的なところで、かなり定着したものには『巨人の星』の「がーん」なんていうのがあるよね。え?そんなでもない?・・・がーん!

第8(最終)回・文法は実験だ!!

 みなさん、国語で「文法」っていうとどんなイメージがある? たぶん品詞分解とか、用言や助動詞の活用とか、「暗記すること」っていうようなイメージで捉えている人が多いんじゃないかな? でもさ、外国語はともかくとして、すくなくとも母語である日本語っていうのは、文法があってそれを暗記してしゃべったり書いたりしているわけじゃないよね。むしろ実際に自分達が使っている言葉を振り返ってみて、その中に実は気づかなかった法則があって、それを考えてみる、そんな文法の学習もあっていいんじゃないかと思うわけだ。例えば、次の2つの文の意味の違いってわかる?

A.友達に会う。/B.友達と会う。

 こういう微妙な違いを考えるとき、ただこの2つの文をじ~っと見ていてもなかなか見えてこない。こんなときは、次のような文法の実験をしてみるとよいのだ。さあ、(  )には「に」と「と」のどちらが入るかな?【注・あくまでも1対1のシチュエーションで考える。】
  ①友達(  )謝る。②友達(  )質問する。③友達(  )惚れる。④友達(  )結婚する。
⑤友達(  )けんかする。⑥友達(  )惚れ合う。⑦友達(  )相談する。⑧友達(  )話す。
 どうかな? 何か見えてきたでしょ? ①②③には「に」しか入らないよね。このときの動詞を見ると「謝る」「質問する」「惚れる」など、自分が友達に対して一方的に何かをする系列(ベクトルで表すと「→」)のものになっている。逆に④⑤⑥では「結婚する」「けんかする」など、お互いで何かをする系列(ベクトルで表すと「→←」)の動詞になっていることがわかるでしょ。⑦なんかは「に」を入れると一方的に相談を持ちかけて、「と」だと一緒に悩みを話し合っているような感じになる(⑧もそうだね)。ちなみに「友達」の部分を「木」に変えて、「木(  )ぶつかる。」なんてした場合は「に」しか入らない。木は自分からは動けないから、「→」しかありえないわけだ。
だから、初めに戻って、「友達に会う」はどちらかというと自分から会いに行く感じ、「友達と会う」はお互いで会う、というニュアンスが強くなることがわかるよね。こんな文法の授業があったら楽しいと思わない!?

プロフィール

鈴野 高志
鈴野 高志「読み」の授業研究会 運営委員/つくばサークル
筑波大学日本語・日本文化学類卒業 同大学院教育研究科修了
茗溪学園中学校高等学校教諭/立教大学兼任講師
[専門]日本語文法教育
[趣味]落語