「名人伝」の授業

読み研通信77号(2004.10)

荒木由紀子(北海道・札幌平岡高等学校)

一 読み研方式を真似て

 「読み研」と出会ってから十年近くたちましたが、なかなか実践に踏み出せず、いまだに読み研方式で授業を行うところまでいっていません。
 ただ、教材研究の仕方や対立点を明確にして生徒に討論させる方法など、大変勉強になり、部分的に真似をしたりしています。
『名人伝』の授業は、五年前に、読み研の構造読みを真似して行ったものです。邪道なのですが、読み研方式を知らなければ思い付かなかった発問で、生徒の反応も良かったので、紹介したいと思います。

二 『名人伝』の面白さ

五年前、桐原書店の国語二の教科書に中島敦の『名人伝』が載っていました。定番教材の『山月記』ではなく、『名人伝』ということで新鮮だったのですが、いっぷう変わった短編なので、どのように授業をしたらよいか、悩みました。
 『名人伝』は、天下一の弓の名人を志して、ひたすら邁進、ついに「不射の射」、弓矢を使わない弓の名手の域をも通りこして、この世に弓などというものがあることさえ忘れてしまったという弓の名人の話です。荘子や列子の言う「至人」「真人」といった人間像をひとつの寓話にしたものです。(勝又浩『日本文芸作品作家研究』法政大学通信教育部より)
 主人公の紀晶は、懐疑的で自意識の強い李徴とは好対照で、これと決めたら脇目もふらず一直線、人目も構わず努力をし、決して疑わず絶望もしないという男です。
私は、紀昌の生き方には「李徴的人生」の突破口が示されていると考え、面白く感じました。背景にある老荘思想も含めて、多様なものの見方を教える良い教材だと思いました。五年前の授業なので、不確かなところもありますが、次のことを目標に授業案を作りました。

三 授業案

(1)三時間程度で扱う。細部の読み取りは、しない。
(2)一つの発問に的を絞る。
(3)生徒の意見が分かれ、検討する中で全体の構造や主題が読みとれる発問を工夫する。
(この当時は、生徒の飽き防止のため、一つの教材をなるべく短時間で行うことを目指していました。)

四 発問づくり

発問づくりに先だって、教材研究として、読み研方式の「構造読み」をやってみました。

○冒頭=発端
趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。……(紀昌と弓の出会い。冒頭が発端という形は、『走れメロス』と同じパターンでしょうか)

○山場の始まり
 その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。……

◎クライマックス
 「ああ、夫子が、古今無双の射の名手たる夫子が弓を忘れ果てられたとや?」(紀昌と弓の関係が決定的に変化する。)

○結末
 ……その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は……恥じたということである。

だいたい以上のようではないかと考えました。『山月記』に比べ、わかりやすい構造だと思います。ですが、最初に書いたように読み研方式を実践する勇気がなく、クライマックスの発問を次のよう変
えて授業を行うことにしました。

●紀昌の名人としての頂点はいつか(初発の感想と一緒に書かせる。)

五 実際の授業

生徒は、いろいろな場面をあげてきましたが、紀昌の上達の過程をたどって次のように板書し、絞っていきました。
 
(1)飛衛に入門した時
(2)奥義伝授による至芸を示した時
(3)師弟対決の時
(4)甘蝿を尋ねた時
(5)九年間の謎の修業時代
(6)九年後山を下りてきた時
(7)名声のただ中にある時
(8)死ぬ一、二年前
(9)煙のごとく静かに世を去った時

多くの生徒は、九年間の謎の修業時代に名人としての頂点に達し、山を下りてからは、ぼけてしまったのだ、都の人が勝手に騒いでいるだけだ、という読み取りをしました。
そこで、次のような補助的な質問をして、紀昌の弓の名人としての究極の境地が「忘れる」状態であったことを読み取らせるよう試みました。

ア 飛衛と甘蝿のどちらが名人か。
・飛衛が「老師の技に比べれば、我々の射の如きは児戯に類する」と言っている。
・「射の射」より「不射の射」が格が上。
・飛衛は名手・達人という表現がされており、「名人」とは書かれていない。→名手・達人と「名人」は異なる。

イ 山を下りた紀昌はぼけたのか。
・ 顔付きの変化~何の表情もない木偶の如く愚者の如き容貌→甘蝿の風貌との類似。内面の変化。
・ 
ウ 甘縄と山を下りた後の紀晶はどちらが名人か。

(1)~(8)を決定する時点では、大変盛り上がったのですが、ア~ウと読み進めるうち、生徒は「名人っていったい何?名人の定義がわからない。」と言い始め、「名人というのは名付ける人がいて初めて存在するもので、その実体はわからない。」など、議論が錯綜してきました。
とはいえ、弓を極めた果てが「忘れる」という状態であったということは、生徒も理解出来たようです。生徒は生徒なりに「無の境地」などという言葉を持ち出してきて理解していました。
授業の後半は、あまり成功とは言えませんでしたが、前半は生徒の意見もたくさん出て、楽しく授業できました。
 『名人伝』はとても魅力のある作品で、機会があればもう一度挑戦してみたいと思っています。
 紀昌が山を下りてきた後の語り方の変化も面白いと思ったのですが、うまく授業化出来ませんでした。
さらに、勇気を出して読み研方式での授業にもチャレンジしてみたいと思っています。

プロフィール

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