大江健三郎「死者の奢り」の読解

 高校3年生の最後の教材に、大江健三郎「死者の奢り」を投げ込んだ。対象は、理科系進学生徒の中の選択授業で、50名の2クラス展開である。動機は、高校最後の教材として相応しいかどうかは別にして、大学に進学する者の教養として「大江」くらい読んでおくべきだろうと考えたからだ。
 授業方法などの詳細は別途の機会に報告したいと思う。1月の6時間の授業で生徒との共同作業で読みとったことを報告する。まず、事前に次の1から4の課題研究を課していた。

 1.大江の略歴調査。
 2.「実存主義」の内容。
 3.「僕」「女子学生」「管理人」の描写から読みとれること。
 4.「死者」「死体」の描写から読みとれること。

 その後、班内でプレゼン、討論、まとめを行い、最終、班のまとめを全体にプレゼンして深めていく授業方法を行った。
 以下、各項目について生徒たちが議論し検討した内容を報告する。

1.「大江」の略歴調査より

①1935年に生まれ、1945年に終戦を経験。幼少年期は「軍国主義」の中で過ごし、多感な青年期は「民主主義」の時代で過ごす。また、高校時代には「いじめ」にあって転校。そして1957年、日本が高度経済成長を遂げようとしていく時代に『死者の奢り』が発表された。
このことから、「大江は、人を人として認めず、物として扱うような軍国主義や、いじめの体験、戦後経済復興期の人間として疎外されていく労働や社会状況を目の当たりにして、人間のあり方を追求する根本思想ができたのではないか。」とまとめた。 
②そのことは大学での実存主義やサルトルへの接近でより深まっていく。特に、大江はサルトルに傾倒していたことから、「実存は本質に先立つ」という内容や「実存主義」全般に対して生徒たちなりに解釈をしていくことになる。

2.「実存主義」の内容

①「生きるとは、人間が主体的な意志により、主体的に何かに関わろうとすることで、そこに人間としての存在価値があるという思想である。だから、大江自らが社会や政治に積極的に関わっている。」という理解をした。

3.「僕」「女子学生」「管理人」の形象性

①「僕」も「女子学生」も「管理人」も具体的な名前がない。一般的な人物として表現。彼らの生き様に特殊性はない。どこにでもいる人物。
②東大と思われる文学部仏文科に在学中。文学部なので、強い意志で社会に貢献するとか物を生産するなどという考え方は希薄。社会性に乏しい。「僕」のアルバイトの目的は曖昧。意志的には生きていない。「僕は希望を持つ必要がないんだ。僕はきちんとした生活をして、よく勉強をしようと思っている。・・・ところがその生活には希望がいらない。・・・僕は希望を持って生きた事がないし、その必要もなかったんだ」と文中にあるように虚無的な生き方である。
③「女子学生」も堕胎を考え、人生に対する意志は希薄。「私がもし、このまま何もしないでいたら、・・・私は自分が生きていくことに、こんなに曖昧な気持ちなのに、新しくその上に別の曖昧さを生み出すことになる。」と言い、「僕」と同様、主体的に生きる姿勢に乏しい。一方で、「鳥のように力強い光のある眼」「柔らかく大きな掌」「私のお腹の皮膚の厚みの下にいる、軟骨と粘液質の肉のかたまり・・・」等、女子学生については、「生の生々しいイメージ」の表現が目立つ。無意識のうちに現状を打開し、意識的に生きていきたい女子学生の姿がある。だから、最終的に産むことを決意するのではないか。
③管理人は、「短い額は深い皺で覆われてい、・・・五十歳あたりだろう、そして殆ど同じように老けこんだ妻と、工員の息子を持ってい、官立大学の医学部につとめていることを誇りにしているのだろう。」「管理人が技術者のように自信に充ちた感じ、熟練した感じを持っているのを驚きながら認めた。この仕事に誇りを持っているのだろう、・・・」「三十年もこの水槽を管理してきたのは、俺なんだぞ」等とあることから、東大と思われる医学部に勤めていることだけを誇りに支えにして生きている。三十年もの間、死体と向き合って生きている。これらは現状に満足し、それ以上を求めようとしない典型的な平均的な労働者の姿を表しているのではないか。

4.「死者」「死体」から読み取れること。

①「死者」の描かれ方=「死者たちは、・・・量感に充ちる。厚ぼったく重い声で囁きつづけ、・・・。彼らの裸の皮膚に天窓からの光が微妙なエネルギーに満ちた弾力感を・・・。死者には性別がある。死者たちは一様に褐色をしてい、硬く内側へ引き締まる・・・」。等、【生きている】かのような描写。また、「個性化」「一般的な死体ではなく、一個の確立された《物》」とあったり、昔兵隊であった「死者」との会話などがある。
②「死体」の描かれ方=「死体は硬直してい、材木のように取り扱いやすかった。・・・死体の踵を、・・・死体はすっと水槽の中央へ進んだ。死体はどれも似通っていて、興味を激しく惹く個性的なものはなかったし・・・」。「死体」は番号札をつける対象。
③大江はここでは「死者」に人格をつけている。個性化させている。つまり人間のように扱っている。
④死体処理のアルバイトをしている「僕」が次のように述べる場面がある。「あれは生きてる人間だ。そして生きている人間、意識を備えている人間は躰の周りに厚い粘液質の膜を持ってい、僕を拒む、と僕は考えた。僕は死者たちの世界へ足を踏み入れていたのだ。」とある。
⑤上記③④より、「僕」「女子学生」「管理人」などの生き方と「死者」の有様と何ら変わらない。というのが読み取れる。
⑥題名読み=『死者の奢り』の「奢り」とは「傲慢な」という意味で、「死者」と「奢り」はあまり結びつかない。つまり、「死者」とあるが、「生者」と読めないか。
⑦主題読み=「僕」や「女子学生」や「管理人」は特に現状を変えることもせず、主体的に強い意志で生きてきた訳ではない。「別にこれでいい」というのは、「生きている者」のおごり高ぶりであり、彼らの生き方は「死者」も同然である。しかし、最終的に、最後の「僕は廊下に出た。」に象徴されているように、以降、「働かざるを得ない」状況がうまれ、「僕」は「意識的に」生きて行かざるを得なくなるのである。つまり、惰性的に生きてきた「僕たち」が主体的に目的的に「生きる」ことに目覚めた話である。

5.以上、紙面の関係でかなり省略し乱暴であるが、機会があれば十分に検討したい教材であった。「人物形象」や「死者」「死体」の違いの読み取りなどかなり高度でおもしろいと思う。