「メルマガふう 学級通信」のこころみ

湯原 定雄

最近、学級通信をメルマガふうにしてみた。
 理由は単純、とにかく生徒が読んでくれるものにしたいということだ。
 本校では、朝読10分のあと、朝のホームルームは5分しかない。提出物を集めたり、連絡をして終わってしまう。帰りのホームルームも、英単語と古典単語の小テストを交互にやっている。通信は基本的には私は音読したい。長い文章では時間がなくて読めない。
 また、生徒が喜んで読んでくれる文章を書くべきだとは分かっているが、それほどの文才もない。しかし、自分の思っていることは伝えたい。そこで、「短い文章で、読みやすい文体」=「メルマガ」ふうにしようと考えた。

 ・たくさん改行をする
 ・一文は短くする。
 ・行数はB5一枚に入る程度にする。
 ・段落の頭の一字下げはあまり気にしない。

 効果はあった。とくに私の側にあった。
 文の量が多くないので、気楽に書ける。15分から最大30分もかければ書ける。ちょっとした空き時間で書くことができる。これは大きい。心理的な負担が減ったのだ。構えずに文を書くことができる。
 また、一行が比較的短いので、一度に視界に入るので早く読んでもらえるようだ。 最近のものから拙文を紹介する。 

■■選択の基準■■

昨日、家へ帰ると家族がテレビを見ていた。
芸能人が100円の商品を選べばオッケー、高額商品だったらそれを自腹で買うという番組だった。

「安いものを選ぶ」というのがこの番組のテーマ。

それを自分の鑑識眼に従って選ぶ。
「いくらレアなものでも必要なければいらないよね」と妻。
確かにそう。いくら高額で希少な美しい「塩入れ」であっても必要なければいらない。

「必要なもの」というテーマで選べば結果は全く違ったものになる。

これはすべてのものごとにあてはまる。

「~したい」「~になりたい」と考えていれば、それにふさわしいものを選ぶ。それにふさわしいことをする。

たとえば「ダイエットしたい」と思っていれば、大盛りを注文することはない。ひょっとすると意図的に出されたものを残すこともあるかもしれない。人によっては外食自体を選ばないかもしれない。

つまり、「どうなりたいか」「どうなっていたいか」が明確であることが、選択の前提だということ。これがなければ選択自体ができない。

君たちは今、どうなりたいとおもっているだろうか。
こうなりたいという未来像を明確に持っているだろうか。

■■映画「まぼろしの邪馬台国」を見た■■

映画「まぼろしの邪馬台国」を見た。
いい映画だった。
年を取ったせいか、涙腺がゆるみっぱなし。
息子と一緒に見たが、少しきまりがわるかった。

竹中直人演ずる主人公宮崎康平は盲目の実業家。
破天荒でわがまま。思うがままに生きている。
もし、身近にこんな人物がいたらちょっと困るなあというほどだ。

だがこの宮崎、「魏志倭人伝」を愛し邪馬台国をさがすことに情熱を捧げる。
その妻和子を演じたのが吉永小百合さん。
控えめだが、静かで熱い情熱でこの宮崎を支える役だ。
二人で九州各地を邪馬台国をたどる旅にでかける。
実際の足で二人は魏志倭人伝をたどる。
その結果、「まぼろしの邪馬台国」という本を執筆し、吉川文学賞を受賞する。

二人が高台から島原、雲仙、長崎をながめている場面。
「卑弥呼がどこにいるのかなんて、もうどうでもよい。
君とこうして卑弥呼を探す旅ができるのが楽しい。幸せだ。
この瞬間が永遠に続いてほしい」と宮崎が語る。

よかったよ。ほんとに。
夫婦が歴史を経て、こんなことを語り合えたらいいなあ。
わたしたちもこうなりたいなあ、(こんなこと言えないが)と強く思った。

さて、君たち。
一番最近、「ああ、こうなりたいなあ」と感じた人はだれですか。

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「読み」の授業研究会
「読み」の授業研究会(読み研)
「読み」の授業研究会は、子どもたちに深く豊かな国語の力を身につけさせるための方法を体系的に解明している国語科の研究会です。
2021年に設立35年を迎えました。