学年全員による呼びかけ(ビデオ沖縄戦「未来への証言」を見て)の指導(前編)

小倉泰子(東京都葛飾区立一之台中学校)

報告の概要

 文化祭の学年発表(沖縄の民舞「エイサー」の発表)の中に、全員による呼びかけを入れた。一人40~160字の言葉を、ステージ前のひな壇に上って、客席に向かって何も見ずに呼びかける。内容は、「沖縄から世界への平和メッセージ記録映画沖縄戦『未来への証言』」を見て、一人一人が感じたこと・考えたことである。2学年87名、いろいろな子どもがいる。大きな声で話した声を聞いたことがない子もいる。作文もうまく書けない子もいる。ほとんど学校に来ていない子もいる。全員で取り組むことに意味があると考えて、学年生徒会の子どもたちは取り組んだ。

1.発表内容

(1)全体の構成
オープニングダンスバタフライ女子
民舞ミルクムナリ1
民舞あしびなー
パワーポイントのナレーションと呼びかけ「記録映画沖縄戦『未来への証言』を見て」
民舞ミルクムナリ2
エンディングダンスバタフライ男子

(2)パワーポイントのナレーションと呼びかけのシナリオ

〈プロローグ〉
エイサーのふるさと沖縄
抜けるような青い空
エメラルドブルーの海
白い砂浜
ブーゲンビリア・ハイビスカス
リズミカルな音楽・繊細で豪華な紅型・ラフテー、ゴーヤチャンプルー…長寿の元の沖縄料理・家を守ると言う屋根の上のシーサー…
あしびなーとは、遊び庭のこと。
ミルクムナリとは、弥勒菩薩のこと
私たちとは、言葉も違う
私たちとは違った文化を持つ
南の楽園美しい島沖縄

私たちは昨年はあしびなーに取り組んだ。
今年は、ミルクムナリに取り組んだ。
エイサー委員は、夏休みから、江戸川の小学校の先生、中村礼子先生に教えてもらった。
複雑な動きの多い踊りで、「難しいけど、頑張って!」と励まされた。
しかし、委員が2日でおおよそ覚えてしまったので、驚かれ、誉めていただけた。
全員が、教わったのは、8月29日だった。
2日間、教わっていない部分も含めて、お互いに教え合った。
そして、8月31日、礼子先生には「中学生は素晴らしい!と誉めていただいた。

9月のあだたら移動教室
私たちは
All for one one for all
みんなは一人のために一人はみんなのために
をスローガンに取り組んだ。

みんなで登ったあだたら山
「疲れたと言わない。
みんな、疲れているのだから。」
と弱音を吐かず、頑張った。
山登りが苦手な人・体調を崩した人のために、先生たちの手は、一人二人三人…と減って行った。それでも、山頂で、昼食場所の薬師岳で、集合係が声をかけると生徒だけで、1分もかからずに集合・整列・点呼が出来た。

1日目の夜体育委員が企画準備した室内オリンピック。
競技をしている人も見ている人もみんなが楽しめた。
そして、3日目の夜には、エイサー選手権大会。
まずは、エイサー委員の演技
そして、全員練習・班の練習
いよいよ採点。
どの班も燃えた。
ジャンプ
かけ声
それぞれ工夫した。
見ている方も。真剣そのもの。
判定に一喜一憂。
3つの班の決勝戦となった。

私たちは、あだたらで
All for one one for all
をやり抜くために頑張った。
それは言葉で言うことは簡単だが、
なかなか実行するのは大変なことだった。
しかしこうして移動教室を終えて、
何よりその素晴らしさを私たちは実感している。

ミルクムナリは
沖縄の言葉で
くとうしみりくぬゆがふどしさみ
で始まる。
これは
私たちが使っている言葉では
今年も弥勒菩薩のおかげで豊年万作の年である。
という意味だ。
この歌は
豊作への感謝
豊かな実りを村人みんなで分けることのできる幸せ
どの家にも十分なお米があることへの感謝
その豊作で余ったお米でお酒を作りそれを飲んでお祝いする楽しさ
自分たちにそういう豊作を生み出す力のあることへの誇りと喜び
を歌ったものだ。
沖縄の人たちが大切にしていることは
みんなで幸せを分け合うこと。
考えてみると、
私たちのスローガンと同じ。
All for one one for all

こんな豊かな、美しい島、沖縄が、60年前悲惨な戦場になった。

〈呼びかけ〉
1944年10月10日沖縄に初めての空襲が来た。I
日米最後の決戦の地となった。その戦争で、約26万人もの人たちがなくなった。W
慰霊碑に書かれたたくさんの名前。I
1945年3月26日米軍沖縄上陸。54万8千人という太平洋戦争でも最も大規模な兵力がこの小さな島に攻撃をかけた。T
米軍の艦砲射撃はすごかった。Y
戦争が起こる前は平和な、武器すらない島だった。S
とても平和な沖縄が戦場になった。S
沖縄全土を巻き込んだむなしい戦。A
日本の本土を守るために沖縄は標的にされた。H
米軍は最初に慶良間から襲っていって、どんどん範囲を広げて行った。M
皆殺しになるまで戦い続ける、終わりのない戦いになった。S
三か月も鉄の嵐が吹いた。住民が犠牲になった。M
重要な文化財がたくさん破壊されてしまった。この時の沖縄はまさに地獄だった。I
広島の原爆と同じくらいにひどかった。N
首里城の地下に、軍の司令部があって、爆撃によって貴重なものがたくさん失われた。K
空からたくさん爆弾が落ちていき、沖縄の島が燃えていた。
みんな避難していた。
死体がたくさんあった。
すごい煙が出ていた。T
人が死んでいった映像があまりにも残酷で直視できなかった。K
何の罪もない人たちを平気で殺したりしていたのを見て、どうしてあんなことができるのかと思った。H
小さい子が赤ちゃんをおぶって歩いていた。小さな子どもでも戦争に巻き込まれてしまって死んでしまってかわいそうだった。M
人は戦争にむりやり駆り出され、反抗することも出来ず軍に従わされていた。A
人が死んでいるところのむごたらしさ。
戦闘機が海や陸に落ちて爆発するすごさ。
ごく一部の人が助けられて、その人が空気が吸えたことだけで幸せそうだった。M
戦死した人たちの死体は、顔がなかったり、片腕がなかったり…と悲惨だった。戦死した息子の姿を見て、母はどう思うのだろう?I
特攻隊が飛行機で攻撃しても爆弾でやられていた。S
特攻隊の青年たちは、私と同じくらいの年の人たちもいたと思ったら、自分のことのように心がとても痛んだ。まだまだこれからたくさんしたいこともあったろう。もっと生きたかっただろう。最後はどんな気持ちで海に散って行ったのだろう?W
殺人をする人たちは、人を殺す・撃つ・刺す前に、心の中に抵抗はなかったのだろうか?K
爆弾一つでものすごい広範囲を破壊していた。I
命からがら逃げてきたのに「なぜ生きて帰ってきた?」と言われ、自害するように言われた。S
重傷を負った兵士に「自決しろ!」と言ったのがひどいと思った。U
「捕虜になるくらいなら死ね」という国家からの命令だった。O
捕虜になることを嫌った人は自決したりした。捕虜になった人が大勢で裸足で歩いていたことがとてもせつなかった。K
手榴弾で自分で死んでいった人たちのことを思うと怖くてたまらない。N
3歳以下の子どもは、泣くとうるさいので、「避難している人たちが米軍に見つかってしまう」と注射で殺された。W3歳以下の子どもたちは、注射をされて殺されたことがあった。スパイは殺される。しかし、スパイでないのに殺された人もいる。N
日本兵の中には住民をスパイだと言い、殺した人もいた。M
昔、日本そして沖縄では、いくさに出て死ねと教育されていた。幼い子どもたちも戦争に行かされた。H
島の人々が軍隊として駆り出された。天皇と国家に命を捧げなくては、日本人にはなれないと教え込まれた。女・子どもまで殺された。今でも遺骨が見つからない人もいる。T
沖縄の人は、天皇に命を捧げるということが、日本国民になる条件だった。O
小さい子どもたちまでもが〈戦い〉、どんなことがあっても天皇のために戦うというのには本当にびっくりした。Y
「国のために死ね」と教えられて死んでしまうのか?K
「どうせ死ぬのなら、アメリカ兵を一人でも殺してからだ」と言っていた。I
自決する人たち。アメリカ軍が森を焼き払う。幸せそうな人は一人もいなかった。O
アメリカ兵にも精神異常を起こす人がいたと言う。沖縄ではまだ森の奥に入ると亡くなった人の骨がたくさんあると言う。J
多くの人の遺骨があまりに残酷過ぎる。I
日本兵が沖縄の人を殺したと言う。O
戦争だから仕方ないと殺された人。殺されるなら死んだ方がいいと自決した人。なぜ戦争に関係のない沖縄の人・子どもたちが殺されなくてはならないのか?Y
沖縄の人たちはすごーく苦しんだ。K
米軍を相手に苦しみ、頑張っていた。K
小さい子どもも戦った。T
この時代に生まれてたら…と思うとすごく怖くなった。
戦争で死ぬなんてムリ!!
焼き殺されて死ぬなんてもっとムリ!!T
こんなにたくさんの人が死んだのか!K
三か月間もの激しい戦い。生き残った人は約1割だった。Y
沖縄の人が沖縄の言葉でしゃべっただけで、日本軍にスパイだと言われて殺された人もいる。誰が本当の味方か敵か判断しなくてはいけない。白旗の少女は、米軍の言葉を信じて助かった。自分の判断で生か死が決まる大変ないくさ。M
アメリカの旗が沖縄の土地に立っていて、風に勢いよくはためいていた。O
戦争が終わっても、戦争のせいで、栄養失調やマラリア等でたくさんの人々が亡くなったこともかわいそうだった。H
何とか生き延びて、やっと平和が来たのに土地とか家族の命を奪われてしまってかわいそうだった。S
自分が生活していた土地に帰れない人もいた。O
犠牲者がものすごく多かった。犠牲者が報われる日が来るのだろうか?O
収容所の映像を見て、ドラマの「さとうきび畑の唄」を思い出した。H
戦後やっと笑顔が出た。そして、新しい教育が始まった。Y
戦争が終わって命の尊さを子どもたちに教えていた。H
生き残った人々は「非戦争主義」の新しい教育法を始めた。A
沖縄が返還された時の人々の喜び・握手。A
武器を持たない平和な島沖縄。
いくさが終わっても、人々は苦しんだ。
いくさで畑などが荒らされた。
今も、アメリカの基地がある。
1945年6月23日から1972年5月15日まで、27年間日本ではなかった。A
しかし、沖縄戦の傷跡は60年たった今も残っている。G
沖縄の人たちは、懸命に生きて、この戦争であったことを未来の人に伝えようとしている。H
今でもなお沖縄に米軍基地がある。まだ、沖縄には完全な平和は来ていない。T
今の沖縄の自然からは想像できないような真っ黒なけむりと焼けこげた死体がとても痛々しかった。そして、今の沖縄に残るたくさんのアメリカ軍の基地が、戦争の怖さを物語る。生き残った子どもたちは、小さな頭と体で戦争中に何を感じていたのだろう?R

戦争をして、何が意味があるのか?ない。
そう、戦争は無意味なこと。
戦争なんてこの世に一番要らないこと。A
壊すのは簡単だけど、直すのは大変だ。そういうことも分からないのだろうか?指揮をとっている人は、兵士だって人間だから生きている、ということも分かるべきだ。平和への話し合いをするべきだ。A
戦争はただの大規模の殺し合いで、戦争をしても良いことがない。
〈それどころか〉悲しみしか残らない無意味なこと。I
争いの源となる、疑惑を持たれる言動をすることや、言い争いからやめてほしい。K
戦争のない地球に私たちは住みたい。I
何のために戦争をするのか?もうこれ以上戦争をしなくていい。K
戦争をするな!!人の命や世の中の平和を奪って何が楽しいんだ!!H
戦争なんていうつまらなくて、くだらないことを今すぐやめてほしいと思った。M
戦争なんかやっても多くの人が死んじゃうし、そんなことするなら、お互いの国で話し合って決めればいい。同じ人間だし、仲良くしてほしい。I
戦争をしたい人たちは、その人たちだけで戦争をして下さい。T
戦争反対!!I
戦争は嫌だ。人が死ぬだけでなく生き残った人も心に傷を負う。記録で見た沖縄の現実は知らなくてはいけないことだと思うが、見たくないとおもうほど残酷な事実だった。人を殺すのが楽しい国民なんてどこにもいないのだから戦争なんてやめよう。F
戦争はとても残酷だと思う。今、この時間に世界中で死んでいく人がたくさんいる。この命を大切に大切にしなければいけない。M
戦争でなくなった人たちのことをちゃんと考えてほしい。世界みんなが仲良くなってほしい。K
平和への思いが戦争を描いた作品、小説・映画・ドラマ・歌などで伝えられていて、それを見たり、聴いたりした人たちは、感動し、涙を流しているのに、どうして、まだまだ戦争を世界中で続けているのだろう?R
戦争がない今、とても幸せなのに、何で戦う必要があるの?世界はいつ平和になるの?A
悲しむのは自分だけでなく家族も悲しむ。戦争で残るものは何もない。命は大切で、人に奪われる、または奪う生き方は本当の生き方ではない。Y
もう二度と戦争を起こさないようにぼくも自分ができることから努力したい。E
戦争はその時だけではなく、後々まで人を苦しめる。S
戦争じゃ何もできない。たとえ解決できても多くの人が死んでしまっては意味がない。Y
戦争なんて、勝った国も負けた国もきっと良いことなんて、一つもない。K
人を簡単に殺さないでほしい。戦争をする意味が分からない。もっと世界全体が「戦争をする」ということの意味を考えるべきだ。A
同じ「宇宙船地球号」に乗った仲間たちが争う必要なんてない。「死」ということをもっと深刻に考えてほしい。O
他の国を支配したい、ではなく、自分の国を良くしていけば、他の国を欲しがる必要もなく、戦争なんていらないんじゃないか?S
知らない人でも死んだらつらいから、人を殺すなんてつらくてできないはずだ。N
世界で一番強くなって何の意味があるのだろう?
むしろ世界が仲良くなって暮らしたらどうだろうか?
戦争は中心者がよくても周りの人がかわいそうだ。
人が死んでいって、世界で一番になってもうれしくないと思う。O
昔、世界で起こった悲惨な戦争の事実を通してもっと勉強すること、そして、平和という、この言葉を忘れないで生きていることの素晴らしさを世界の人に分かってほしい。H
戦争をしても得られるものは何もなく、失うものはとても多い。同じ地球に住んでいるのに人が人を殺して大切な命を奪うのは最悪だ。H
武力では平和は生まれない。逆にいろいろな悪循環になるだけ。犠牲になるのは関係のない一般人だ。H
世界は平和であるべきだ。T
自分たちが守り、作ってきたものを踏みにじられたら、どんな気がするか。不幸のためにある「鉄」の塊なんて要らない。W
敵の軍の人も日本の軍の人も、どこにでもいそうな普通の人だった。戦争がなければ人を殺すはずもない人たち。こんなにも人を変えてしまう戦争って何なんだろう?K
戦争は何も生み出さない。生み出すとしたら、「憎しみ・辛さ・悲しみ」だけだ。J
今、私たちが生きている1秒・1秒に世界のいろんな地域で人が争い・いくさで亡くなっている。そんな残酷なことは私は嫌いだ。K

〈エピローグ〉
エイサーのふるさと沖縄
私たちとは、言葉も違う
私たちとは違った文化を持つ
しかし、
平和への願いは同じ
私たちの国の
南の楽園美しい島沖縄

〈3年生への感謝の言葉〉
 3年生の○さん・◎さん・●さん・□さん・■さん、昨年、みなさんが総合学習の平和人権コースで作った「りゅう子の白い旗」のパワーポイント紙芝居の絵を、私たちの呼びかけの時に貸してもらいました。どうもありがとうございました。

〈照明・音響をしてもらったこと〉
 また、2学年全員での発表なので、照明・音響は、演劇部の助っ人の3年生の人たちにやってもらいました。自分たちの発表や合唱や進路への取り組みもあって、忙しいのに、私たちの練習・リハーサルにも付き合って下さり、今日は、本当に素敵に当ててもらって、感謝しています。

〈会場の皆さんへの感謝〉
 私たちは、この舞台に、夏休み前から取り組み、あだたらでも練習してきました。この会場の皆さんに、私たちの、戦争への思いや平和を願う心が伝わればと考えています。私たちの発表をご覧下さりどうもありがとうございました。

プロフィール

「読み」の授業研究会
「読み」の授業研究会(読み研)
「読み」の授業研究会は、子どもたちに深く豊かな国語の力を身につけさせるための方法を体系的に解明している国語科の研究会です。
2021年に設立35年を迎えました。