夏目漱石『夢十夜』・「第一夜」の教材分析

「読み研通信」109号より

湯原 定男

1 この小説について

本校で採用している第一学習社新訂国語総合現代文編には夏目漱石の「夢十夜」の第一話と第六話が掲載されている。
 第一話は「こんな夢を見た。腕組みをして枕元に座っていると、あお向きに寝た女が静かな声でもう死にますと言う。」からはじまる不思議な物語だ。死に際に、女は「百年待っていてください。きっと会いに来ますから」と言い残し、女は死んでいく。男は、約束通り真珠貝で穴を掘り、星の破片を拾ってきて墓標にし、死んだ女を埋葬する。「自分」は、女の言葉通り、天道が東から昇り西へ沈むのを数えながら百年を待っているが、数が分からなくなり、だまされたのではと思い始める。すると、石の下から百合が伸びてきて、自分の目の前にふっくらとした花が咲く。思わず接吻し、遠い空の星が一つ光るのを見、「百年はもう来ていたんだな」と初めて気づく──というストーリーである。
 この小説は夢を描いてあるだけに、時と場を超越した不思議な雰囲気が漂い、つかみにくい印象があった。しかし、じっくりと構造よみ・形象読みをすることで、この小説を読み解いてみたい。

2 構造よみ

(1)構造

 ・ 冒頭(こんな夢を見た。)
 ・ 発端(腕組みをして枕元に座ってると~)
 ・ 山場のはじまり(すると石の下から斜に自分のほうに~)
 ◎ クライマックス(「百年はもう来ていたんだ」とこのとき初めて気がついた。)
 ・ 結末(~このとき初めて気がついた。)=クライマックスの終わり部分
 ・ 終わり(結末に同じ)

(2) クライマックスについて

 A案…自分は首を前に出して冷たい露の滴る、白い花びらに接吻した。
 B案…「百年はもう来ていたんだ」とこのとき初めて気がついた。

 この小説の二つの勢力は「女」と「自分」である。この小説の事件が、「死んだ女と男が約束を守り百年後に再会する物語」だとすれば、この二つの案が考えられる。共通する理由として次のように考えた。

・女の死に際に、「百年待っていてください」と言ったことに対して「自分」は、「待っている」とこたえて  「約束」した。その「約束」を果たした。
・女も、「きっと会いに来ますから」という「約束」を果たした。
・死んだ女との再会。死んだ女と「再会」できたと、思われた。
・「自分は女にだまされたのではなかろうかと思い出した」からの転換。危機を乗り越えた。解決・成就。緊張 からの解放。

A案は、女の生まれ変わりといえる百合に、思わず接吻する場面である。その前にある「真っ白な百合」「骨にこたえるほどにおった」という表現も、女を思わせるし、官能的である。愛の成就にふさわしい場面とも言える。
 しかし、B案をとりたい。「自分」は、「思わず接吻」したのであり、ここで愛が成就した、女と再会したと明確に意識してはいないからだ。B案の箇所ではじめて「気がついた」とある。また、「百年はもうきていたんだな」といえるのは、「女」が「会いに来ていたのだ」という判断がなければならない。このBの場面で初めて「百合」が「女」と理解したのである。

3 形象読み

①女は静かな調子を一段張り上げて、「百年待っていてください。」と思い切った声で言った。
「百年、私の墓のそばに座って待っててください、きっと会いに来ますから。」

 ここで「女」はそれまでの「静かな声」ではなく「一段張り上げて」いうのは、それだけこの願いが切実であることをしめす。「百年」の意味も重い。現実の世界ではあり得ない年月であり、現世とは別の次元の話に転換している。死んでも(あるいは死んだとしても)待っていてほしい、永遠の愛を実現してほしいということか。また「座って待って」いるということは、座ること以外はせず、人生のすべてを「待つ」ことに費やしてほしいということだ。

②自分はただ待っていると答えた。

 「百年」「墓のそばに座って」待っていることを「約束」したということ。また、ここでも女のせりふのように「」のつかない間接話法である。女のことばにくらべて印象が薄い。その約束の重さを自分は理解していのかどうか、ということを思わせる表現だ。

③勘定しても、勘定しても、……それでも 百年はまだ来ない。

 女の言葉通り、日が出ては沈むのをかぞえて、百年が来るのを待つのだが、彼が「百年」を判断するのは、現実的な暦ではない。「女」が会いに来たら「百年」なのである。それが次の文の「だまされたのではなかろうかと思い出した」につながっていく。男の愛の危機ともいえる。

④すると、自分のほうへ向いて青い茎が伸びてきた。心持ち首を傾けていた細長い一輪のつぼみが、ふっくらと花びらを開いた。真っ白な百合が鼻の先で骨にこたえるほどにおった。

 ここにあらわれる百合は「青い茎」「こころもち首を傾ける」「ふっくらと花びらを開いた」「真っ白」「骨にこたえるほどにおった」など、きわめて感覚的でまた官能的だ。まさに「女」を思わせる。夢というものは、実際驚くほど感覚的で非論理的だがこの場面はそれをよく表現している。

⑤「百年はもう来ていたんだな」とこのとき初めて気がついた。

 女も、男も「百年」という時間、「待つ」「会いに来る」という約束を果たすためだけに時間を過ごしたことになる。「百年」=「永遠」。「永遠の愛」を貫いたということ。
 しかし永遠の愛は、現実の世界では達成することができず、夢の世界、現実を越えた世界でしか達成できないということでもある。

4 終わりに 

 「真珠貝」「星の破片(かけら)」「暁の星」など現実的な解釈が難しいことばがいくつも出てきたり、まるで女が自分の意志で死ぬようなせりふがあったり、まだ十分に読み切れていないが、読み甲斐のある小説だという印象は強い。

  

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