展開部以降の線引きの指標を再考する

丸山義昭(読み研運営委員)

読み研通信85号(2006.10)

展開部以降の三つの指標

 今夏の大会の模擬授業で中学校の小説教材「形」(菊池寛)展開部の線引きの授業をおこなった。事前に、他の運営委員から「事件の発展」だけの線引きの方がよいという助言があったが、結局、参加者には従来の「事件の発展」「人物の性格」「文体の成立」の三つの指標で線引きをしてもらった。
 実際の授業場面では、配当時間が少なければ、「事件の発展」に限定することはあり得ると考えるが、少しは時間に余裕がある場合、あるいは「線引き」ということを丁寧に教えたい場合には、やはり三つの指標でおこなうべきだろう。
 「形」展開部の模擬授業では、線引きを三箇所に絞るかたちで参加者におこなってもらった。いずれも「事件」と「人物」が重なるところであるが、次の三箇所である。(一部省略して全文は載せない。)

「ほかのことでもおりない。~あの服折とかぶととを着て、敵の目を驚かしてみとうござる。」

「が、申しておく、あの服折やかぶとは、申さば中村新兵衛の形じゃわ。~」と言いながら、新兵衛はまた高らかに笑った。

 その日に限って、~。そして、自分の形だけすらこれほどの力を持っているということに、かなり大きい誇りを感じていた。

 この三箇所以外では、「その若い侍は、新兵衛の主君松山新介の側腹の子であった。そして、幼少のころから、新兵衛が守役として、わが子のように慈しみ育ててきたのであった」という「人物」のみの箇所が出されることを予想していた。三箇所という限られた線引きの数の中に、この「人物」のみの箇所を入れるか入れないかで、有意義な議論ができる。最初から「事件」に限定してしまうと、この箇所は最初から候補にも挙がらず議論が起きない。
 実際の授業では、時間配当に余裕さえあれば、この箇所にも線引きをして、新兵衛と若い侍の「擬似的な親子関係」を押さえておきたいところである。なぜなら、新兵衛が「形」軽視・「実質」重視で悲劇を迎えたことはもちろんメイン・テーマだが、この擬似的な親子の情におぼれてしまったことも「小テーマ」として指摘できるからである。

「事件の発展」とは何か

 大西忠治は、「主人物を中心とした勢力と、他の勢力とのぶっつかり(事件)の発展『筋』が、この部分(丸山注:展開部のこと)の主要な要素だということになる」と述べている(一九八八年『文学作品の読み方指導』明治図書)。この観点をさらに明確化するかたちで、阿部昇は「事件の発展」を、二つ(以上)の人物・性格・勢力相互の関係性(せめぎ合い)が大きく変化する部分(文)と位置づけている(2000年・読み研運営委員会編『科学的な「読み」の授業入門 文学作品編』東洋館出版社)。
 したがって、構造よみで、対立する二つの勢力・性格、もしくは、その二つの勢力・性格を代表する人物が読みとれていれば、「事件の発展」の線引きは容易になる。夏の大会の模擬授業でも五十分程度の短い時間ではあったが、新兵衛と若い侍の関わり合いを述べている次の三箇所に絞り込むことができた。
 もちろん、ほかにも新兵衛と若い侍の関わり合いを述べている文はあるわけだが、二人の対立(ここでは「形」に対する認識の差異)があらわになるのは、「猩々緋と唐冠のかぶと」という「形」が直接介在している箇所である。
 対立をあらわにする、「ぶっつかり」「せめぎ合い」「関わり合い」を表すような箇所こそが、「事件の発展」として線引きする箇所であると、ここではひとまず押さえておく。
 
「人物の性格」という入り口

 大西忠治は前掲書で、「人物の性格」と「事件の発展」を、「『人物の行動の中で、鮮明・深化・拡大してくる人物像(人物の性格)の変化』のフシ目(節目)と、それに従って流れ(発展し)ていく事件・筋の変化のフシ目(節目)」としている。人物の行動が基本的には事件を構成するということを考え合わせれば、「人物の性格」と「事件の発展」は重なることが多いというのは、すぐ分かろう。しかし、今後検証していく必要があるが、重なっても、同じ比重になるのではなく、「より主要には『事件』」、「より主要には『人物』」という線引きになることが多いのではないか。それに、入り口としては、「事件の発展」と分けておいて、「人物の性格」で目をつけることは、分かりやすいのではないか。そして、入り口から中に入ってしまえば、「人物」も読むし、「事件」も読むのである。
 たとえば中学校教材「盆土産」(三浦哲郎)で、家族揃っての(亡き母親の)墓参りの場面に「父親は、少し離れたがけっぷちに腰を下ろして、黙ってたばこをふかしていた」という一文がある。ここは「事件の発展」でもあるが、より主要には「人物の性格」、つまり、父親の行動によって鮮明になる父親の人物像が読みとれる箇所であるし、「事件の発展」と重なるとしても、入り口として「人物の性格」で線引きする方が生徒たちにも分かりやすいと考える。
 また、先の「形」のように明らかに人物のプロフィールを述べていて、「人物の性格」だけの箇所もある。

「文体の成立」で何を読むか

「文体の成立」の線引きとは、「羅生門」においては、たとえば、「それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上がりだしていたのである」という一文に線引きすることである。
 ここでは「老婆の床に挿した松の木片のように」という直喩が使われているので、読めばすぐ「文体の成立」で線引きすることができる。この「すぐできる」という点が重要で、誰にでも分かりやすいのが「文体の成立」なのである。「文体」を入り口として線引きした上で、ここから中に入って「事件」や「人物」を読んでいく。そうすると結局は「事件」や「人物」を読むのだから「文体」は不要ではないかと考える向きもあろうが、あくまでも指標(目印)なのである。入り口なのである。目印・入り口は分かりやすい方がよい。
 よく知られているように、この文では、「勢いよく」とは言っても、せいぜい「松の木切れ」が「燃え上がりだしていた」くらいのものでしかなく、語り手は下人の正義感の高まりを冷笑的態度で見ている、皮肉っぽく眺めている、と読めるのである。そして、そのような語り手であるからこそ、最高潮における下人の盗人への転身も、実は、冷笑的に見ているはずなのである。
 語り手は、「比喩」を使って、登場人物や作中世界を、語り手の見方・考え方で位置づけ・価値づけすることが多い。語り手と登場人物との関係、語り手と作中世界との関係が読める箇所として「文体の成立」は重要である。

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