読み研の二十年、そしてこれからの五年

読み研通信85号(2006.10)

はじめに

 2006年の夏の大会は、すでにチラシなどでもお知らせしていたように、読み研創立20周年の記念すべき大会でした。おかげさまで280名を超すご参加を頂き、読み研創立史上最高の参加者数で、組織的にも内容的にも(アンケートでは「参考になった」が94%を占めました)成功裡におえることができました。
 参加者の様子や感想、またHPでの反応を見ていますと、読み研に対する期待をひしひしと感じます。それだけに、今いっそうの理論と実践の拡がりと深まりをつくり出していかなくてはならないという思いを強くしています。

1 創立の頃

 私事にわたるが、わたしは教師となって教壇に立とうとしたその直前になって、自分が国語で何を教えてよいのかが全くわかっていないことに気がついた。
 いい加減な気持ちで教師を目ざしたのではなかった。それなりの葛藤を経て、教師という仕事を選んだつもりであった。大学時代には、友人たちと国語教育のサークルをつくり、勉強会も持った。現職の教師の話を聞いたり、公開授業を見せてもらいに、出かけたこともあった。
 にもかかわらず、自分が教壇に立つことがはっきりとしたその時、何を教えたらよいのか、どのように授業をすすめたらよいのか、そういうことが全くわかっていないことに気づかされた。
 わたしの例は、特殊かもしれない。ただ、当時のわたしが抱いた悩みは、今でもけっして特殊なものではないと思う。
 国語という教科が、何を教え、子ども・生徒たちにどのような力をつけていくべきなのか、そのことが国語教育の世界で、20数年前と比べてもそれほど明確になっているとは、わたしには思えない。
 新米教師だったわたしは、それから何年かの間、組合の教研やさまざまの研究会に出向いては、これぞと思う国語教師に、どのように授業をしているのか、国語の授業で何を教えればよいのか……あれこれと聞いてまわった。
 そんなときに出会ったのが大西忠治著『国語授業と集団の指導』であった。そしてたしか高生研(高校生活指導研究協議会)の大会であったと思うが、大西氏の出していた『国語教育評論』を手にした。その『国語教育評論』の5号(1986年)に『全国読み方授業研究会(仮称)』への参加呼びかけが載った。呼びかけ文を少し引用してみよう。

 十人国語教師がいれば十通りの教え方があると言われるぐらい、国語は他教科に比べ授業方法が確立されていません。教師の個人的な教科観や力量によって大きく授業のあり方が左右されてしまうのです。
 それと照応するように多くの子どもたちは「国語の勉強の仕方がわからない」と言います。文章をどのように読むのか、どう読んだら正しい解釈ができるのかがはっきりしていないのです。(以下略)

 この文を読んだわたしは、大いに共感を覚えた。わたしが悩んでいたこと、求めていたことに対する答えがここにある、是非この会に参加しよう、そう思った。さっそく参加を申込み、8月26日、大阪からはるばると山梨の都留へと向かった。
 それが読み研との出会いであり、読み研創立の時であった。

2 20年の歩み

 初期の読み研は、大西忠治氏が理論的中心であり、したがって大西氏に学ぶといった雰囲気が強かった。わたし自身も、読み研の夏や冬の研究会に出かけて行くとき、「大西先生に会える!」「大西先生の話が聴ける!」とそのことを何よりの楽しみとしていた。大西氏の晩年(といっても読み研に関わられたのはわずかに五年あまりであったのだが)、お身体の具合が悪く、急遽会に参加できなくなるということが二回ほどあった。大西先生のメッセージがビデオで届き、会場で映されたのだが、ビデオは所詮ビデオであり、大西先生がお見えにならないという気落ちした気持ちは、ぬぐうべくもなかった。
 創立代表であった大西忠治氏は、1992年2月に亡くなられ、それから2006年4月、阿部昇氏が新たに読み研代表となるまで、代表は空席のまま運営委員会を中心に研究・活動を続けてきた。
 これは希有のことといってよいだろう(やや自画自賛めくが、本当にそう思う)。創立の、それも理論的中心を欠いた研究会が、それ以降も活動を続け、そして組織的には当時より大きく拡がり、理論・実践面においても深まりを生みだしている。大西氏亡き後の十五年、存命の時の三倍の時間を経過して、この夏の20周年の記念大会を迎えたのである。
 私たちの理論と実践の成果をまとめ、発表していこうとはじめた『研究紀要』はすでに8号を数える。最近では、さまざまな論文に、紀要掲載論文からの引用や指摘が散見される。『研究紀要』が内々のものではなくなって、国語教育の世界で認められつつある証明といえよう。
 大西氏の死で終刊となった『国語教育評論』にかわる、読み研の新しい本『国語授業の改革』も今年で六号になる。多くの研究者や実践家の方々からもご寄稿を頂き、国語教育の新しい流れをつくり出しはじめている。
 1990年9月、B4一枚刷りでスタートした『読み研通信』は、この夏で84号となる(途中から年4回発行)。B5版24ページだてである。巻頭論文をはじめとし、小中高の実践や教材研究を毎号掲載し、読み研活動の要となっている。
 HPも立ち上げて5年以上になる。昨年の9月に、リニューアルし、格段に情報量も多くし、更新も頻繁にできるように改めた。それから僅か一年足らずでアクセスが35,000件を超えた。HPではじめて読み研と出会われた方々も少なくない。

3 読み研理論への厳しい問い直しを!

 発足して五年ほどで創立代表を失った研究会が、その後において発展しているのは希有のことと述べたが、それはたまたまそうなっているのではない。そこにはそれなりの理由がある。
 大西氏を失うことにより、読み研は如何に大西氏の理論を受けつぎ、発展させていくかを考えざるをえなくなった。そして道半ばにしてたおれられた大西氏の理論は、まだまだ不充分なところを多く残していた。読み研を続けていくことは、必然的に大西氏の理論をとらえ直し、批判的検討も含みつつ、さらに豊かなものにしていかざるをえなかった。それはまさに自分たちの理論と実践の問い直しであり、再構築の過程といえた。
 阿部昇氏からの、説明的文章における「論理よみ」や「吟味よみ」、文学作品での「吟味よみ」といった新しい提案が出され、運営委員会を中心としての検討がなされた。
 説明的文章における「吟味よみ」は阿部氏の提案以降、読み研内での研究がかなり進んできたものの一つである。
 大西氏は「構造よみ・要約よみ・要旨よみ」という指導過程であったのに対し、阿部氏は「構造よみ・論理よみ・吟味よみ」という過程を提案した。「吟味」の過程を指導過程のなかで独立させたところに、大きな特徴がある。吟味過程を独立させることで、吟味の意味が改めて問い直されることになった。吟味よみの指標や方法も検討された。さらには、調べ学習、リライト・意見文や小論文など吟味から書きへの発展を見通した指導など多くのことが明らかになってきつつある。
 文学作品の「吟味よみ」は、まだこれからの課題である。この課題は私たちが文学作品をどのようなものとしてとらえていくのか、それを読むことを通してどのような力を子どもたちにつけようとするのかという問題とも関わって、これからの中では避けて通れないものといえる。
 阿部氏以外にも、丸山義昭氏や小林義明氏、また加藤もあたらしい提案や理論の見直しをこの間提起してきている。
 阿部昇氏は前号で次のように述べていた。

 読み研の理論と実践には、確かに先進と言える部分が少なからず含まれている。しかし、一方で硬直化・形式化・形骸化と言わざるをえないような甘さも存在する。
 創立二十周年を機会に、読み研の理論と実践を厳しく豊かに見直し再構築をしていきたい。

 ともすれば国語教育の世界では、それぞれの団体が、個々別々、互いの理論や実践を交流することも、議論することもないままにすすめられてきた。そこには、自己の理論への厳しい問い直しの姿勢が弱かったように思われる。
 自らの理論を過信するのでなく、常に自らのよって立つところをきちんと見据え、その欠けている点を補い、不充分さを検討し、実践で確かめていく。そのような姿勢を持ち続けたことが、読み研の今につながっているのであり、そして今後も一層私たちに求められることなのである。
 国語という教科は、ともすれば教師の勝手な思いこみや、独りよがりの解釈で授業がすすめられる危険性を持っている。集団での教材研究の大切さがよくいわれるのはそのためでもあるのだが、ことは教材研究だけではない。読み研の理論そのものを常に問い直し、磨き上げ、鍛え上げていかなくてはならないのである。
 いまある理論を守っていくのではない。そのよい点は、なぜよいのかを明らかにし、一層深めていかなくてはならない。そして、理論的に不充分なところや、弱いところは、大胆に見直し、場合によってはこれまでの理論を捨ててでも、新たなものを作りあげていく必要がある。
決まった方法なり、理論を伝えていくだけでは、研究会とはいえない。またそれでは、組織的な拡がりをつくり出すこともできない。私たちは、日本の国語教育を改革していくことを目ざすのだから。

4 開かれた研究会を目ざして!

 開かれた研究会であることが。読み研の特徴としてあげられる。ひとつには、大西氏の何事も批判的に、見ていけという教えがその根底にはある。
 夏の大会でも、冬の研究会でも(小中高部会や、サークルの例会においてもなのだが)決して、報告や提案を聞いて終わりとはならない。その後に参加者からの質疑があり、議論がある。そしてそれはしばしば報告や提案を否定するかのような厳しさすらもつのである(けなすのではない。議論をつうじて提案や報告を一層深めていこうとする姿勢なのだ)。読み研にいるとそれを当たり前のことのように思ってしまうのだが、それほど当たり前のことではない。他の研究会に参加させていただくこともあるが、読み研ほど激しい議論をする研究会にはまだおめにかかっていない。報告を聞いて、一言二言やりとりがあり、司会が「提案ありがとうございました」、パチパチパチと拍手で終わるものの何と多いことか。
 自分たちの理論や実践に対する厳しさが、質疑や討議を白熱したものとし、それが結果的に、内に開かれた研究会にしているといえよう。
それだけではない。大西氏亡き後、その空白を埋めるべく、積極的に外部の理論に学んでいこうとしたことが、外に向けて開かれてきた大きな要因になっている。
 今年の夏も文芸研の西郷先生においでいただき、講演と授業をしていただいた。西郷先生に夏の大会にいでいただくのは三回目である。そしてこの間、文芸研とは合同の研究会を2回もち(3回目は現在企画中)、「形象」や「構造」について理論的に学び合い、交流してきた。
 柴田義松先生・鶴田清司先生はもはや外部の先生とお呼びするのがためらわれるほどに、深く読み研に関わっていただき、助言やご意見をいただいている。野口芳宏先生、宇佐美寛先生、高橋俊三先生、小田迪夫先生、高木まさき先生、府川源一郎先生、田中実先生、須貝千里先生……これまで読み研にお出でいただいた先生方を数え上げるだけでも大変なくらいである。
 国語教育の世界においては、それぞれの研究会が、相互に関わりなく、それぞれの道を行くという雰囲気がいまだに強くある。その中で、読み研は積極的に多くの研究者や実践家の方々と交流を持ち、そこに学びつつ、自らの理論と実践を豊かにしてきたといえよう。
 
5 これからの5年を!

 20周年は一つの区切りでしかない。運営委員会では、これからの5年間を視野に入れ、私たちの理論と運動を考えている。
この夏、運営委員会の中に三つの理論追究のプロジェクトチームを発足させた。
◎説明的文章の吟味
◎物語・小説の線引き 
◎国語の学習集団・討論
 この三つを課題として、当面一年の活動期間の中で、結果をまとめようとするものである。もちろん、一年で終わるものではなく、ひき続いての追究や新たなテーマを設けての研究も必要となろう。
 また理論の追究は実践の裏打ちがあってこそ、はじめて生き生きとした豊かなものとなる。そのためにも教材研究は欠かすことのできない分野である。『教材研究の定説化シリーズ』が世に出てはや十数年が経過している。新たな『定説化シリーズ』、さらには国語授業の入門的な著作など、あたらしい読み研シリーズを積極的に世に問うていきたいと考えている。
 夏、冬の研究会においては、その輪を一層広げ、運動面での新たなうねりを創りあげていくつもりである。さらには、小・中・高部会、地方大会、各地のサークルでの学習会などを今まで以上に積極的に展開していこうと考えている。

おわりに

 わたしが読み研に参加したころ持っていた国語の授業に対する不安は、今も多くの教師の中にあると思う。読み研はその悩みや不安に積極的に応えていかなくてはならない。そして国語教育の世界に、確固とした指導理論を打ち立てたいと考える。
これからの五年、課題をしっかりと見据えてすすんで行きたい。