「とんかつ」(三浦哲郎)

読み研通信74号(2004.1)

藤田隆介(大阪商大堺高校)

〈はじめに〉

「今年の一年はどうなってるねん」
 ここ数年、私の勤務校の職員室で必ず耳にする、お決まりのグチ。たしかに、私自身も、三年に一度担当する一年生の激変ぶりに言葉を失うことが多い。とりわけ、『清兵衛と瓢箪』や『羅生門』などの固定教材を通して、彼らの「読み」の力の衰微は実感される。
「『仏像や仏具が打ち砕かれて……』とあるけれど、この部分から、どういう時代状況が読めてくるだろう?」
「……」
〈三年前なら、この部分から『仏教の衰退』とか『人心の荒れ』などが出たものだが……〉などと思いをめぐらしながら、生徒たちとのやりとりに微妙なズレやミゾを感じる毎日である。
 今回報告する『とんかつ』は、今年の一年生にとって最初に学ぶ小説教材である。十分な教材分析や集団的検討を経ずに授業を行ったので、形象よみの段階では、「『読み』の力の衰微」した生徒たちの指摘にたじろぐことも一度や二度ではなかった。そんな心もとない実践ではあるが、報告を試みたい。

〈実践報告〉

☆ねらい
小説の形象よみについて理解させる。とりわけ、導入部の人物設定のよみのおもしろさを味わわせる。
☆指導計画
表層よみ・構造よみ……一時間
形象よみ……三時間
主題よみ……一時間

◎『とんかつ』の構造表
◯冒頭(須貝はるよ。……
 〔導入部〕
◯発端(親子は、約束どおり……
 〔展開部〕
◯山場のはじまり(それから一年……
 〔山場の部〕
◎───最高潮(去年、人前では口を……
◯結末・終わり(……のぼっていった。)

〈構造よみをめぐって〉

 導入期に、文章にはそれぞれ固有の「構造」があり、作品の主題に迫る上でその「構造よみ」が欠かせないことを説明。中学時代の既習教材やドラマなどを用いての解説に、生徒たちの多くは納得している様子であった。
 しかし、『とんかつ』には、その「物差し」が、そのままスッキリと当てはまらない。「須貝はるよ、直太郎」の親子が裏通りにある目立たない旅館に現れる場面からはじまるこの作品には、導入部と展開部が判然としない。終結部もない。
 「対立・矛盾する二つ以上の諸人物・諸勢力・諸性格が最初にぶつかり、出あうところ」という指標を重視すれば、「冒頭=発端」と考えられなくもない。
 一方、「主要人物の、最初の行為・言動・心情の大きな変化が見られるところ」を重視すると、雲水になる決心をした直太郎が剃髪して、日暮れ前に宿に戻ってくる場面が、「直太郎が『とんかつ』に象徴される周囲の愛情や励ましに支えられ、厳しい修行に耐え、青年僧へと成長していく物語」の発端にふさわしく思えてくる。(私は後者の説をとっている)
 いずれにせよ、ガイダンスで示された明快な「小説の構造」とのギャップに、(現実にはよくあることなのだが)生徒たちはとまどってしまった。
*後日、加藤郁夫氏より「『構造表どおりに読む』というより、『何が事件なのか』を考えさせることが大切ではなかったか」との助言をいただいた。ともすれば「教条主義的」になってしまう私にとって、意義深い指摘だった。

〈導入部の人物形象を読む〉

 和風旅館の女将が話者となり、少々奇妙な客として現れた母と息子へのナゾが導入部では様々に仕掛けられている。「書かれていること」を手掛かりに人物像を読んでいくことの楽しさを、生徒に実感してもらいたい。

T まず「須貝はるよ」から。どんな人物だと読めるかな?
S 『青森県三戸郡下の村』ってかなりの田舎者。で、『光林寺』だから、寺の人?女の坊さん?
T 『尼さん』のことかな?でも『主婦』ってあるやろ。他には?
S 『日が暮れて』から、いきなり泊めてくれって来るのはヘンや。予約してへんのかな。
T うん、そこから人物像につなげると、どう読める?
S 旅行に慣れてへん?何かワケありで急に決まった旅行なのかも……
S 先生。息子って、もう15やのに、『ちゃん』づけで呼んでるで。
S しかも、直太郎も抵抗ないみたいやで。シッショウ!(気色悪い)
T まあまあ、個人的な感想は置くとして、どうなん、今のところから?
S こういうのん[子離れできない]って言うんやろ?甘やかしてるんやで。

 わかりづらいとは思うが、授業の息づかいのようなものを感じてもらいたくて方言のままにした。大阪南部の男子校、実際にはもっと「エゲツナイ」発言や表題も多い。
 さて、先程も述べたが、十分な教材分析、とりわけ集団的検討を経ていないために苦しくなるのであるが、「名前よみ」などを主題との関わりでどの程度まで許容していくのかといった問題である。

T 『須貝はるよ』という人物名も必然性があってつけられている。名前からどんな人物との印象をうけるかな。
S 名前自体が田舎クサイ。アカ抜けへん感じ。『スガイ』って、濁ってるからかなァ……
S 平仮名の名前が丸っこくて、やわらかい女の人を思わせる。
T たとえば『春代』とした場合と、どうちがうかな?
S わかった!『はるよ』って、『春よ』って呼びかけてる感じがするで!
T へえっ、だとするとどうなの?
S 今が寒いんやろ、暮らしとか、人生とかが。だから『春よ』って言わずにおれんような人。不幸っぽい人やで。

〈授業を終えて〉

 中学時代から学力にコンプレックスを抱いてきた(もっと以前か?)生徒たちは、とにもかくにも「発言しやすい」「何を言っても聞いてくれる」と、私の授業を支持してくれている。「眠ってへんのは体育と現代文だけやで」との声に、励まされ(?)たり、落ちこんだりする毎日である。
 『とんかつ』は、そうした生徒たちにも比較的わかりやすく「そそられた」ようである。しかし、恣意的にならずに、よみをどう主題へと収れんしていくかなど課題はつきない。高校部会の再開を待ち望むばかりである。

プロフィール

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