ルールに気づく文法の授業 形容詞の巻
読み研通信103号
0.はじめに
一般的な中学校の国語の授業において、口語文法の「形容詞」はどのように教えられているのだろうか。
例えば手元にある練習問題をふんだんに盛り込んだ補助テキストでは、まず形容詞を、
自立語で、活用があり、それだけで述語になることができ、物事の性質・状態を表す単語。言い切りの形が「い」で終わる。語幹に「し」をふくむものとふくまないものがある。
と定義した上で、さっそく例の「かろ・かっ・く(う)・い・い・けれ・○」という活用の練習に入るように構成されている。その後に補足的にいわゆる「補助形容詞」と呼ばれる「遠くない」の「ない」に触れて、助動詞に分類される「ない」と品詞の上で異なることや、その見分け方の練習をするような流れになっている。
ここには、相変わらず硬直化した文法の暗記学習的な扱われ方の反映と、高校入試で出題された場合の「見分けのコツ」を覚えさせようというようなテキストの作り手の意図が見受けられる。
前号『読み研通信』での本連載で私は「最初から「言葉のきまり」を「規則」として教え込むのではなく、自分でも気づかないうちに使っている言葉の中に実は隠れたルールがあるということ――そのことに気づく過程を仕組んだ文法の授業の方が、子どもたちにとってもより魅力的なものとなるのではないか。」と述べた。
形容詞を扱った授業でも、暗記や「田の品詞との見分け方」以外の要素で、もう少し子どもたちが「言葉のきまり」についての授業を楽しみ、知的な刺激を感じるような展開が考えられるのではないか。以下、形容詞を取り扱う際の授業展開について、自分自身のこれまでの実践をもとに提案する。
1.属性形容詞と感情形容詞
形容詞の特徴をおおまかにつかんだ上で、まず子どもたちに思いつく形容詞をたくさん挙げてもらう(一斉問答で挙手を省き、自由に発言させる)。教師はそれらをランダムに黒板に書いていく。
ある程度の数の形容詞が挙げられた時点で、例えば「赤い」「大きい」「長い」など、多くの人が見てだれもがそうだと認めるような性質を表す形容詞のうちどれか一つに、仮に【A】と印をつける。また、「うれしい」「悲しい」「楽しい」など、人(まれに動物)の感情を表す形容詞のうちどれか一つに仮に【B】と印をつける。
次に、教師は、「これを仮にAタイプの形容詞、こっちを仮にBタイプの形容詞として分類したときに、ここに書かれている形容詞はそれぞれどちらに入るかな?」と発問する。
一つ一つの形容詞について、おそらく子どもたちは楽しそうに「A」とか「B」と言ったように答えていくだろう。
そして、その時点で教師は、「君たちはいったいどういう基準でAとBを分けたの?」と問いかけてみる。おそらく子どもたちは「性質か気持ちかの違い」のように答えるものと予想される。このタイミングで、実はAタイプの形容詞を「属性形容詞」と言い、Bタイプのものを「感情形容詞」と呼ぶことがあるということを説明する(暗記になってはつまらないので、用語として覚えさせることよりも、おおまかに二つのタイプに分けられることを理解させられればよい)。
ところが、はっきりとAかBか区別かの区別が付けやすい形容詞がある一方で、中には必ずしもAかBのどちらかに決めることができない形容詞もあることに気づき始める(子どもが気づかなければ教師が示唆してやってかまわない)。
例えば、「痛い」である。道で転ぶなどして反射的に「痛い!」と言えば、それは確かに感情を表していると言えるだろうが、一方で、「インフルエンザの注射は痛い」のように、多くの人が認めるような言い方になってくる(つまり「痛い」という感情が個人のものではなく一般化してくる)と、それはむしろ属性形容詞的な扱われ方になってくるのではないか。
同様に、「さびしくて涙が出る。」の「さびしい」は感情形容詞的だが、「学校の裏山はさびしい」の「さびしい」はかなり属性形容詞的である。
こう考えると、実は属性形容詞と感情形容詞の境目は必ずしもはっきりしたものではなく、その使われ方によって両者の間で揺れるものがいくつもあるということにも気づく。
言葉(単語)というものは、たくさんの人がそれを用いて表現することによって、そのもともとの性質を変えてゆくことがある――中学レベルで形容詞の下位分類について扱う授業はあまり見られないと思うが、ここに挙げたような取り上げ方をすることで、子どもたちは言葉のもつ流動的な性格にも気づくことができるのである。
2「違う」の品詞は?
さらに形容詞に関わる授業展開として、動詞の「違う」を用いた次のような展開もおもしろい。
子どもたち(最近では多くの大人も)の会話を聞いていると「違う」という言葉について本来は「違っていた」と言うべきところを「違(ちが)かった」と言ったり、「違わない」というべきところを「違くない」と言ったりしている場面に出くわすことがある。また、男の子どうしの会話などでは「違うよ」と言うべきところをやや乱暴に「ちげーよ」と言っている例にも出会う。このような事例を、形容詞の活用を簡単に学んだ後に採り上げてみるとあることに気づく。
実は、「違かった」の「かっ」や「違くない」の「く」などは、動詞ではなく形容詞の活用語尾に見られるものなのである。そのことについて子どもたちに気づかせることができたら、教師はさらに、「じゃあ、なぜ動詞の『違う』を形容詞のように活用させてしまうことが多いのかな?」と問うてみたい。子どもたちが「?」という顔をしていたら、ヒントとして「動詞は動きを表すことが多いね。形容詞は?」と問えば、「性質や感情」と答えるだろう。そこで「『違う』は動詞だけれど?」と尋ねれば、子どもたちはこの動詞が他の動詞とは異なり、例外的に性質(状態)を表すものであるということに気づくことができるだろう。英語で「different」という「形容詞」を学習済みであれば、そのことに触れてもよいかもしれない。
そう考えていくと「ちげーよ」という一見乱暴な言い方も、実は形容詞で「うまいよ」を「うめーよ」と言ったり「おもしろいよ」を「おもしれーよ」と言ったりするのと同じ操作を、自分たちでも気づかないうちに行っているということが見えてくるのである。
子どもたちの実際の言語生活に見られる事例をもとに、このような授業を組み立ててみるのもおもしろい(属性形容詞?)だろう。
プロフィール
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筑波大学日本語・日本文化学類卒業 同大学院教育研究科修了
茗溪学園中学校高等学校教諭/立教大学兼任講師
[専門]日本語文法教育
[趣味]落語
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