「徒然草」の「柑子の木」のミカンはおいしかったか?

異聞「日本教育方法学会」in鹿児島

 第41回日本教育方法学会が10月1・2日の両日、鹿児島大学で開催された。それに先立って9月30日、鹿児島大学付属中学校で麻生信子さん(筑紫女学園大学)が「徒然草」の「神無月のころ」の授業を行った。学会のラウンドテーブル「国語科の授業研究─『確かさをふまえた楽しい国語科の授業』の創造をめぐって─の提案授業という位置づけであった。すでに、前の授業で「神無月のころ」の解釈は終わっているそうである。授業は、次の板書と一斉読みから始まった。

 かくてもあられけるよ、とあはれに見るほどにかなたの庭に大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるがまはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この(   )なからましかばと覚えしか。

「音読が二回とも間違っていた。『かくてもあられるよ』と読んでいた。生徒に配布されたプリントがそうなっていたんですね。少なくとも二回目は訂正すべきだった。加藤先生が指摘していましたが……。」と指定討論者の森岡先生。音読を聞いて私も気づいた。が、プリントミスだとは知らなかった。
 板書の(  )の部分は空白になっている。ここに何を入れるかが今日の授業のメインスポットだ。目のつけ所はさすがである。副提案をする加藤郁夫さんも同じ所をポイントにした授業案を提示している。期せずして同じ部分を取り上げた。
「括弧の中にどんな言葉が入るでしょうか」と問いかけて、麻生さんはこう話した。

 今の私たちにとってみかんはさほど貴重な果物ではない。しかし、当時の社会にあってはみかんは誰にとっても貴重な果物・デザートであった。思い起こせば私が子どもだった頃も、酸っぱい夏みかんや橙の類ばかりで口に入れて美味しいみかんなど正月しかお目にかかることはなかった。(レジュメより)

「あああ、この話なからましかば……」瞬間、私は、読みが誘導されてしまうゾ、と直感した。雑学の神様、木内剛先生は、「当時のミカンは酸っぱかったはずだ。今の温州みかんは明治に入ってからではないか、たしか原木が鹿児島にあるはず。子どもたちは、『柑子の木』のミカンを美味しい『温州みかん』と錯覚したのではないか。」とおっしゃる。そこまでは考えなくても、そんな貴重なものならば(  )の中には「囲ひ」が入るのが当然と生徒は思うのではないか。ちなみに大部分の生徒は「囲ひ」と答えた。男子2人だけが「柑子の木」と答えたが、自信なさそうにしていた。「穴埋め方式」を採れば、正解探しに生徒の関心が集中してしまうと加藤さんは言う。
 さらに麻生さんはレジュメの中で次のように続け、授業の中でもそう締めくくった。

 当時の社会におけるみかんの条件を考えたとき〈大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるを〉見れば、いほりの主に限らず誰だって人に盗られまいとして、〈まはりをきびしく囲〉ってしまうだろう。
〈この木なからましかば、と覚えしか〉の一文が当時の社会におけるみかんの条件を分からせ、珍しい貴重な物を持てば盗られまいとする欲望が他人を疑う工作をさせる人と物の関係を考えさせ、筆者、読者を含む多くの人間にありがちなこととして人間観を深め、ひいては、いほりの主のみを責めるのではない暖かい人間観に触れることができる。

 一つの読みである。だが、文章から離れてしまった。文中のどの言葉からそう読めるのか。私は「少しことさめて」に注目する。「全く」ではない。「少し」である。「人間ならば無理からぬことだが」という兼好の感慨がこもっている。「隠遁生活」に「あはれ」を感じるが、人間はなかなか物欲から離れることは難しいものだ、という兼好の思いが読み取れる。
 加藤さんは、「この木なからましかば」を「この囲ひなからましかば」と較べて読むことを提起し、次のように述べている。

 木があるから、みかんを取られたくないという気持ちが起きるのだ。木がなければ、みかんがなることもなく、当然のことながらみかんを取られまいとする気持ちは起きるはずもない。そのような筆者のものの見方がここからは読み取れる。つまり、ものを持つことで、欲が生まれる。ものを持たなければ、欲も生まれない、そのような兼好の考え方がここには表現されている。そうは言うものの、ものから離れて暮らすことの難しさも兼好には十分にわかっていたのだろう。それが「少しことさめて」という表現になったのではないか。人間が欲を離れて暮らす(隠者の暮らし)のはいかに難しいことかということを、筆者自身が柑子の木を見ながら改めて感じているともいえるのではないか。
 この家の主人に対する大いなる失望があるのではない。人間の中に欠陥を見つけ、それを暴き出すというよりも、隠者の生活をしている人にも欲があるのは致し方ないことだ、人間はそのような欲から離れることはなかなか難しいという兼好の人間観をここから読み取りたい。(授業案より)

 麻生さんの授業が終わり、路面電車に乗って私たちは宿に戻った。このビジネスホテルは洗面用具を無料で貸し出す。近くの銭湯に行くためだ。銭湯は温泉である。湯上りに一杯、うまいもの探しの達人加藤さんの案内で「きびなご」と焼酎を賞味しながら、麻生さんの授業検討の前夜祭を行った。