『竹取物語』を読む

読み研通信98号(2010.1)

1 古典授業の現状から

先日、研究発表会で『奥の細道』の冒頭部分の授業を見る機会があった。めあては「旅に出発しようとする芭蕉の気持ちを読み取る」である。
「予もいづれの…」の部分を音読し、旅に出たい気持ちや旅の支度をしている様子、俳句に表れた芭蕉の気持ちを押さえたうえで、芭蕉の旅に寄せる思いについて考えさせる授業であった。
授業は語注を参考に内容をとらえさせた後、旅に出ようとする芭蕉の思いを班で話し合い発表するという流れである。「死を覚悟しながらも、芭蕉にとって旅はあこがれが現実となる心弾むものであった」とまとめて授業は終わったのだが、生徒は何を手がかりに芭蕉の思いをとらえれば良かったのか?もちろんそれまで読んできた内容を手がかりとするのだが、それがはたして「古典を読む」ことになっているのかという疑問をもった。
 小松英雄氏は『古典再入門』の「精読のすすめ」の中で次のように述べている。
 「精読とは、テクストの一字一句をおろそかにせず、テクストの表現に即して原作者の意図を過不足なく読み取ることです。過不足なくとは、大切なところを読み落とさず、また、根拠薄弱な仮説を立てたりしないという意味です。・・・日本語による表現を、作者によって意図された通りに理解することです。」
また、「注釈書を開くまえに、まず、もとのテクストをじっくりと読み、みずからの頭でよく考えてみることです。なぜわからないかを確かめたうえで注釈書を開けば、問題意識のちがいがよくわかります。」と述べる。
ここに、古典の読みの方法が示唆されている。つまり、あくまで「言語教育」として古典の指導をすること、一語一文にこだわりながら読むことである。こうして古典を読み深めることで、古典教材の魅力を再発見できると考える。

2『竹取物語』の読みについて 

本稿は、二〇〇九年八月二十日の夏の大会の講座をもとに述べる。
〈教材文〉
  いまはむかし、たけとりの翁といふものありけり。野山にまじりて竹をとりつつ、よろづのことにつかひけり。名をば、さぬきのみやつことなむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一すぢありける。あやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。
  翁いふやう、・・・いとかしこく遊ぶ。
〈新編日本古典文学全集「竹取物語」・小学館〉

Ⅰ【いまはむかし、たけとりの翁といふものありけり。】
 ここでは「たけとりの翁といふもの」を読む。
まず、読みの指標である「普通とは違う表現」として着目してみる。三文目に「さぬきのみやつことなむいいける」とあるのだが、なぜ名前の前に「たけとりの翁」を先行して述べているのか。名前より職業名で呼ばれてとりわけ注目され、親しまれていたことが読める。それだけその地域の中で重んじられ、竹取りや細工の技術を持った人物が浮かび上がってくる。
 また、「たけとりの翁といふもの」に注目して読む。第六文めの「三寸ばかりなる人」と対比させる。「もの」に対して「人」は丁寧で相手を重んじた言い方であり、翁は初対面であるにもかかわらず「かぐや姫」を尊い存在として認めている。つまり書き手は「かぐや姫」を「たけとりの翁」よりも身分的に上の存在として描いているのである。その証拠として後の部分でもかぐや姫に対して「おはする」「たまふ」等の尊敬語を使っていることがあげられる。「かぐや姫」は登場したときから高貴で特異な存在として描かれているのである。
Ⅱ【名をば、さぬきのみやつことなむいひける。】
ここでは、翁の人物像をとらえるうえで、なぜここに係り結びがつかわれているのかに注目して読む。
 加藤郁夫氏は「『竹取物語』冒頭を読む(その1)」(註) の中で次のように述べる。
「ここには二通りの意味が読める。一つには、『さぬきの造』という名前そのものに強調すべき意味合いがあったということ。もう一つは、名前を持つ(示す)にたる人物であったということを強調しているということである。」
 そして加藤氏は、二つめの意味に関わって、冒頭部における翁と嫗の記述の違い、つまり嫗の登場が一カ所であるのに対して翁については詳しく述べられていることに着目して、翁と嫗の扱いが対等ではないことを挙げ、「名前を持つことは、個性を持つことであり、物語の中でも中心的に活躍していくことを意味している。・・・『竹取物語』の冒頭は、明らかに「翁の物語」として語り出されているのである。」と述べる。
強調されていることの意味や効果を考えることで、現代文と同じように古典をおもしろく読めることが納得できる。
Ⅲ【その竹の中に、もと光る竹なむ一筋 ありける。】(※紙面の都合で省略する。)
Ⅳ【あやしがりて、寄りて見るに、筒の 中光りたり。】
ここでは「筒の中光りたり」に着目して読む。「筒の中」と「筒」を比べる。「筒の中」は「中」が強調され、筒の内側が光っており、その光が外側に透けていると読める。
 また、「それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり」の「それ」は「筒の中」を指しているのだが、かぐや姫はどういう状態で翁の前に現れているのか。絵本を見ると、スパッと斜めに切られた竹の筒の中にかぐや姫が座っているものと、竹の筒の中が透けたようになってその中にかぐや姫が座っているものとに分けられる。ここでは「まだ切っていない竹の筒」を取る。生徒は素朴に「鉈や斧などで切ったらあぶないのではないか」という疑問をもつ。書かれ方を見ると「切った」とは書かれていないのである。たとえそれが省略されているとしても「それ」は光っている筒の中を指しており、そのすぐ前の「寄りて見るに」との間には翁が斧(鉈)を振り上げて竹を断ち割る時間は認められない。つまり、かぐや姫は光っている竹の筒の中から透けるように、抜け出てきたように登場するのである。ここからもかぐや姫の異質性を読むことができる。

3 終わりに

 導入部では「翁とかぐや姫の出会い」 が描かれる。尋常ではない出来事の中か ら「かぐや姫」が出現する。そのことが 伏線(事件設定)となって最後の「かぐや 姫の昇天」まで事件が続いていくのだが、そのおもしろさはこのように一語一文に こだわって読むことで深まりを見せるのである。

(註)
) 筑摩書房の教科書サイト「ちくまの教科書」内の「国語通信」連載記事「文章に即して古典を読む」(http://www.chikumashobo.co.jp/kyoukasho/tsuushin/rensai/koten/)
より。

プロフィール

熊添 由紀子「読み」の授業研究会 運営委員/福岡八女サークル
八女市立見崎中学校
[趣味]テニス

[執筆記事]教育科学「国語教育」(明治図書)
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