授業に挑む 詩「相聞」の授業づくり

読み研通信84号(2006.7)

一.学生の教材分析と授業案づくり

 教職課程の国語科教育法も後期の大詰めに入って、学生による模擬授業を行うことになった。二クラスとも学習グループは7班編成である。教材は詩、二〇分間の模擬授業とした。グループごとに教材を割り当て、教師役などの分担を決め、教材分析と授業案を作成した。
「相聞」を担当した4限クラスのNさん(教師役)の教材分析と授業略案を紹介する。この教材は、平成5年度版の東京書籍の教科書(中3)に採録された。いい教材だと思っていたが、一回限りで姿を消した。

  相聞    芥川龍之介

また立ちかへる水無月の
嘆きを誰にかたるべき。
沙羅のみづ枝に花さけば、
かなしき人の目ぞ見ゆる。

【教材分析】

1.語釈
相聞=消息を通じ合う。万葉集で一つのジャンルとして区切られている。恋の歌。
立ちかへる=戻る。繰り返す。逆転する。
水無月=古くは清音。「水の月」で、水を田に注ぎ入れる月の意。六月。
べき=「べし」の連体形。(1)当然・推量・予定。(2)意志・決意。(3)適当・義務・命令。(4)可能。
沙羅=夏椿のこと。(沙羅双樹の沙羅)
 開花時期6月上旬~7月上旬頃。白い花が咲くが、花がとても落ちやすい。
みづ枝=みずみずしく若い枝(瑞枝)。
ば=助詞。古語では未然形・已然形に接続し、現代語では仮定形に接続。
かなしき=愛らしい。いとしい。悲しい。
ぞ=係助詞で強意・強調を表す。「見ゆる」との係り結び。

2.通釈
 またくり返す六月の悲しみを一体誰に語ることができようか。いや、できない。夏椿の若い枝に花が咲くと、愛しい人の姿を思い出す。

3.教材分析
*構造 
 二連から構成されている。
 一連=1・2行 二連=3・4行
*技法
 ・文語定型詩、七五調。
 ・係り結び
 ・頭韻を踏んでいる。
  ま(ma)、嘆き(na)、沙(sa)、
  か(ka)
*主題
(1)かなしき人の目ぞ見ゆる
 係り結びで強調されていると考え、この部分に注目する。
a「かなしき」は、「悲しき」と「愛しき」の二種類の漢字が当てられる。
 ・悲しき=泣きたくなるほどつらい。
 ・愛しき=身にしみていとおしい。
b「目」の意味
 ・目、まなこ。
 ・顔、姿。
 ・境遇、体験。
c「見ゆる」は「見ゆ」の連体形。
 ・見える、目に入る。
 ・現れる。
 ・会う。
 ・思われる。 
(2)沙羅のみづ枝に花さけば
a「沙羅」は沙羅双樹のことであり、夏椿のこと。ちょうど水無月の頃と思われる。この花は咲いてもとても落ちやすい。そのはかなさになぞらえていると考えられる。
b花が咲くのであるから始まりのように思えるが、花はすぐ落ちてしまうので、始まり(明)と終わり(暗)を同時に表す。
(3)嘆きを誰にかたるべき
a「誰に」の後に「ぞ」ないし「か」が省略されている。「ぞ・か~べき」で係り結びになっている。
b「べき」=可能
 「可能」の意にすることによって、誰にも気持ちを語る、打ち明けることができないことを強調している。芥川は愛しい人へのその気持ちを秘めていると考えられる。

【授業略案】
本時のねらい
主題よみから作者の気持ちを読み取る。

1この詩を、まず声に出して読みましょう。(指示)
2詩の読み方は?(発問)
 *構造よみ・技法よみ・主題よみ
3この詩を読んで気づくことは?(発問)
(1)リズムに注目しよう。(助言)
(2)始まりの言葉に注目しよう。
 *ま・な・さ・か―頭韻
4この詩で一番強調されているところは?(発問)
 *かなしき人の目ぞ見ゆる
  理由=係り結びがあるから。
5特にどの部分に注目しますか?(発問)
 *かなしき・目・見ゆる
6「かなしき」にはどのような意味があり
ますか。(発問)
(1)「悲しい」だけでしょうか?(助言)
(2)どういうとき悲しいか?(助言)
(3)辞書にはどうあるか?(指示)
 *悲しい、いとおしい
(4)この場合、「泣きたくなるほどつらい」人のことなのか、「身にしみていとおしい」人のことなのか。どちらでしょう?(助言)
 (5)題名「相聞」について調べてみよう。(指示)
 *万葉集にある歌の一つのジャンル。恋の歌。
(6)ではどちらの意味でしょう?(助言)
7「目」の意味をあげてみよう。(発問)
(1)例文を挙げてみよう。(助言)
(2)辞書で調べてみよう。(指示)
 *目・体験→「姿」にたどりつく。
8「見ゆ」の意味は?(発問)
 *見える・会う→「思われる」にたどりつく。
9では、この部分からどんな主題が読み取れるでしょう?(発問)

〈指導言計画と必要に応じて「予想される反応」のみを取り上げた。発問・指示・助言などの分類は小林が付した。〉

二.教材分析と授業略案の検討

「これまでの国語教育の弱点がはっきり出ている教材分析と授業略案である」と、バッサリ切っておきたい。もちろん、Nさんの責任ではない。これまで国語教育を担ってきた側の責任である。
 語釈と通釈はよくできている。しかし、教材分析ができていない。詩が読めていないことになる。つまり、訓詁注釈や解釈・鑑賞はできるが、詩の読み方や教科内容を押さえた国語の学力が付いていないのである。具体的に検討してみよう。 詳しく述べる余裕はないが、私は詩の読み方として、構造よみ・技法よみ・主題よみという方法を教えてきた。Nさんは、「相聞」の構成は二連から成るとしている。分ける根拠は示されていないが、2行目と4行目に句点があるのが形式上の根拠であり、前半は内的な暗い心情が描かれているのに対して、後半は外的な世界に目を向けつつ、やや明るいイメージをもっているというのが内容上の根拠であると考えられる。構造を押さえる際は、その根拠を明確にしておきたい。構造よみは、詩の組み立てをあらあらつかんでおくという意味だけでなしに、構造を把握することによって、詩の読みがはっきり見えてくるという意味をもっているからである。
 私は、「相聞」の構造は、起承転結になっていると考える。
「起」で、まず行動が示される。「また立ちかへる」は、水無月に話者が再びこの地を訪れるのである。「また巡り来る」ではない。もしそうなら、「今年もまた水無月が訪れてくる」こととなり、単に回想と読める。「近接した表現を対置して、その差異を読む」というセオリーを援用すれば、その違いが明確になる。
「承」は、再びこの地を訪れたが、あの人に会うことはなかった。この嘆きを誰に語ることができようか、と続く。転・結は、すでに述べられている通りだが、沙羅のみづ枝―かなしき人、花―目が対句になっているのを見落としてはなるまい。
 ついでに言っておけば、「この地」とは軽井沢であり、「あの人」とは歌人の村松みね子(本名は片山広子)である。芥川は彼女に思慕の情を感じていたが、深い関係にはなかったと言われている。
 Nさんは、技法よみと主題よみの区別と関連が把握できていないように思われる。詩の中で使われている表現技法に着目すると、詩の形象を把握することができる。例えば、各行のはじめの言葉はア段の音で統一されている。「ま・な・さ・か」である。これは確かに「頭韻を踏む」技法である。ここに気がついたのはすばらしい、あるいは、「よく調べて」いる。問題は、その表現技法からどんな形象を読み取るかである。一般的に、ア段の音は明るい感じがする。それに対してイ段の音は沈み込んだ暗い印象を与える。例えば、「あははははと笑う」と「しみじみと感じる」を比べてみればその違いは歴然とする。そうだとすると、この詩は失恋の暗い嘆きや悲しみをテーマとした詩ではないということが読み取れる。
「ひらがな書き」もこの詩では重要な技法である。「かなしき人の目ぞ見ゆる」の「かなしき」は、漢字を当てると「悲しき」・「愛しき」・「哀しき」の三種類となる。もちろん、芥川は漢字で書くことができたはずである。しかし、「ひらがな書き」になっている。平仮名はやわらかな感じを演出するが、同時に意味の広がりや多様さを内包する。ここでは「相聞」という題名と響きあって「愛しき」がメインであるが、同時に「哀切さ」や「悲しみ」も内包された感情が表現されているのである。
 授業略案は、詩の解釈に終始してしまった。おそらく今までの詩の授業は殆どこのような授業であったに違いない。
 指導言計画の問題点として、私は次の三点を挙げたい。
 一つ目は、発問3「この詩を読んで気づくことは?」である。これでは何でもありになってしまう。詩の読みを「勘」で行うことになるからである。
 二つ目は、発問4「この詩で一番強調されているところは?」である。「一番強調されているところ」が分かれば、詩の読み方の半分以上は「学習済み」である。「係り結び」に着目させるなら、重要な技法を発見させる手立てを講じるべきである。
 三つ目は、発問6「『かなしき』にはどのような意味がありますか」である。ここではむしろ、「かなしき」をなぜひらがなで書いたかを問題にすべきだろう。特に、発問6の助言(4)・(6)の「かなしき」の意味を二者択一的に選択させるのは誤りである。なぜなら、「ひらがな書き」になっていること自体が、多様な読みの可能性を開いているからである。
 次回は、Nさんが指導案をどう修正して授業づくりを構想し、模擬授業に臨んだかを報告する。