「見通し」が存在する授業

読み研通信84号(2006.7)

1 お疲れ様でした!

 一学期が終了しようとしています。全国の先生方、本当にお疲れ様でした!皆さん、こんにちは。連載3回目となりました。読み研の運営委員、町田です。
 わたし達の仕事は、生徒に対しては「よく頑張ったね。」「よく最後までやりぬいた、偉いぞ。」「君が思っているより、いい仕事だったぞ、自信を持って!」などなど、言います。でも、逆に誰かに褒められるなんていうこと、なかなか、・・・いや、まずありませんよね。ここはひとつみんなで褒め合いませんか。
「目が回るほど忙しかったでしょ。本当に、お疲れ様でした。」「腹が立つこともたくさんあったでしょ。よく、こらえました。」「なんとかここまでたどり着きましたね。偉い!」「あなたの努力の一つ一つが、教育界を、いや未来を支えているのです。素晴らしいっ!」
 まずは、先生方、一人一人が元気になることが、何よりも何よりも大切なことだと思うのです。夏休みもきっと忙しいのでしょう。何日かでもリフレッシュできるといいですね。そしてまた、一緒に歩んでいきましょう。我々読み研の提案が、皆さんの国語の授業を、向上させるヒントとなれば幸いです。

2 疲れる言葉・うれしい言葉

 国語の授業をやっていてがっかりする時や、逆にうれしくなる時ってありますか。・・・そうですね。例えば、生徒に言われて疲れる言葉・うれしい言葉ってありますか。
 わたしは、あります。なんと言っても一番疲れる言葉は、「作者はそんなことまで考えて、この文章を書いているのですか」でしょうか。構造読みから始めて、形象読み、主題読みとずっと読みつづけてきて最後の授業、今までの読みが収斂する言わばまとめの授業で、この言葉を言われると、なんだか泣きたい気分にさえなります。(特に、中学高校の先生方、思い当たるふしはありませんか。)たとえクラスのほとんどの生徒が納得していても、誰かにそういわれると今までの努力が水の泡になった感じがします。そういう意味では、国語の教師泣かせの言葉ナンバーワンだと思います。
 逆に、一番うれしい言葉は、・・・なんでしょうかね。わたしの場合「芥川龍之介(教えている作品の作家)って、すごいですね!」でしょうか。授業が終った後に、目を輝かせながらそんな言葉で知的な興奮を伝えてくれる生徒がいると、「芥川龍之介(教えている作品の作家)よ、この作品を残してくれて、本当にありがとう!」と、心から感謝したくなります。その上、授業の後に、その作家の他の作品を図書館で借りて読んでいてくれたりしたら、まさに天にも昇るような気分になります。
 まあ、単純と言ったら単純な教師かもしれませんが、教師にとっての国語の授業の醍醐味は実は、こんなところにあるような気がしています。
 
3 二つの授業の差

 今述べてきた二つの授業の差は、いったいどこにあるのでしょうか。その作品の価値を伝えられたかどうか、言い換えれば、授業の中で作品と生徒が幸せな出会いをすることができたかどうか、ということになりましょうか。我々教師は、そのために四苦八苦しているようにさえ思います。
 もちろん、生徒に自分一人でも読み取ることのできる国語力をつけさせることが一番の目的になるのでしょうが、自分一人でも「読み取ってみよう」という気持ちの問題も実は大切な視点だと思うのです。後者のような授業を続けることが、文学への興味・関心を高めることは言うまでもありません。
 では、前者の授業をどうすれば、後者のような授業にすることができるのでしょうか。
 失敗する授業とは、たいてい「見通し」が存在しない授業です。最終的に「芥川龍之介(何度も書いてしつこいですが教えている作品の作家のこと)ってすごいですね!」と言わせる授業を、目標地点とするならば、そこに焦点をしぼって授業を展開する必要があります。

4 失敗する授業

 例えば、こんな授業は失敗します。
 その一。
「果たしてこの作品の授業はどこに進もうとしているの??」と思わせる授業。こういう授業は、意外と多いのです。一つ一つの質問(や課題)が、(良く言えば)独立していて、言い直すと(悪く言えば)何の脈略もなかったりします。そういう授業に限って、文章から直接読み取れる形象(一次形象)を読み取って、終ってしまったりします。せっかく一次形象が読み取れたなら、その形象性をまとめる形象(二次形象)まで読み取るところまで一時間の中で進めたいところです。
 例えば、導入部の人物を読み取る授業ならば、線引きした箇所をそれぞれ読み取って終わりにするのではなく、読み取った内容を総合して、「つまりこの人物はどういう人物と言うことができる?」や「今までに読んだ形象に共通する点はないかな?」と、まとめておくことです。 
 毎時間のこの二次形象が、作品の主題読みの授業で総合され、生徒に「なるほど」と言わせるのです。
 その二。
「事件(特に展開部)を省略して読み進める」授業。正直に言います。私は以前、導入部・山場の部・終結部のそれぞれの部分に比べ、展開部の読みとりにはそれほど時間をかけてきませんでした。それには理由があります。小学校の教材に比べて、中学校や高校の教材は長編が多く、教材を隅から隅まで満遍なく読むには、時間が足りなさすぎるのです。結果、「どの部分を端折るか」ということがいつも大きな問題となります。事実、導入部で作品設定を読んだ後、一気にクライマックス付近まで飛ばしてしまう作品もありました。作者の主張は、作品の後半に描かれていて、構造よみをしていれば、それでもある程度の読み取りはできてしまうと思っていたからです。思うに、中高の先生の中には、そういう方も少なくないのではないでしょうか。
 しかし事件の読みを端折ってしまうことには、危険があります。事件を読み飛ばしてしまうと、読者はその主張に納得が持てなくなるのです。それは、事件には作者の主張に移る前の伏線が描かれているからです。その伏線が、主張を支える「根拠」となって、山場の部へと続いていきます。
 授業の中で展開部を丁寧に読んでおけば、主題読みに時間をかけてしつこく説得するように読み進めなくともすみます。失敗する授業は「強引」で「理屈っぽい」説明が延々と続く授業です。おわかりですよね。
 生徒たちは「作品自身が持っている力」を自分達で読み取り、自分達で納得できるようになります。生徒に「なるほど」と言わせる主題読みをする鍵は、「事件(特に展開部)の読みとり」にあるというのが、わたしの考えです。

 忙しい毎日の中で、先を見通す授業展開を作ることは、なかなかしんどかったりしますよね。お互い頑張りましょう。よい夏休みをお迎えください!