授業づくりにおける「助言」の意味と位置について考える

読み研通信81号(2005.10)

1 授業づくりという課題

 ここ何年間か、読み研では「教科内容」という観点から追究を進めてきた。その一時間、その単元でどういう具体的な国語の力をつけるのか、どういう具体的な読みの力をつけるのか、ということを追究してきた。その成果が『国語授業の改革4・国語科の教科内容をデザインする』や『国語授業の改革3・この教材で基礎・基本としての言語スキルを身につける』(以上学文社)等で示されている。
 その追究にもとづいて、それではそういった力を授業で実際にどのように子どもたちに身につけさせるのかという解明――つまり授業づくりについての解明を、今まで以上に精力的に進めていく必要があると考えている。2005年12月の冬の研究会でも、2006年8月の夏の大会でも、この教科内容と授業づくりとの結びつきが、大きなテーマとして位置づけられている。
 そこで、連載の最終回として授業づくりの問題を取り上げたい。その中でも、中核となる指導言、さらにその中でも鍵となる「助言」について、若干の問題提起を行いたい。

2 優れた授業には必ず優れた「助言」がある

 野口芳宏氏にしても大西忠治氏にしても斎藤喜博氏にしても、授業に優れていると言われている教師の授業展開の中には、共通する要素がいくつかある。その中の中心的な要素の一つに助言の切れ味がある。
 教師が授業の準備をする場合、通常主要な学習課題(発問)については丁寧に準備をする。しかし、その主要な学習課題を支え、学習をより深めていくための助言については、きちんと準備をしていないという場合がよくある。授業中に助言は打つのだが、それはその場で思いつくままに打つのである。
それでは質の高い授業は望めない。主要な発問だけでなく、助言を丁寧に準備することで授業の質は確実に高まる。
 安西冬衛の詩「春」の授業展開を例に助言の重要性について考えてみたい。詩は次のとおりである。

     春

  てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。

 1929(昭和4)年に彼の第一詩集『軍艦茉莉』に掲載された詩である。冬衛の代表作というだけでなく、昭和を代表する詩の一つと言われている。
 この詩を中学一年生を対象に授業を行う場合を想定して考えていく。実際にいくつかの中学校で阿部が授業を行った。その時の子どもの発言を参考にしつつ述べていく。
 この詩は、内容よりも「てふてふ」と「韃靼海峡」の対比が大きな意味をもっている。内容的には、蝶々というひらひら飛ぶ、か弱いイメージをもつ昆虫と、海峡という陸地と陸地の間の海という巨大なイメージの存在との対比である。その上「韃靼海峡」である。「韃靼海峡」は樺太と大陸の間の海峡である。だから当然極寒の厳しい自然環境の海峡である。が、そういう知識以前に「韃靼」という言葉のもつ非日常性、異境の地、未知の場所というイメージに意味がある。蝶々との対比性は一層強まる。
 詩は、(1)言語内容 (2)音としての言語表現 (3)絵としての言語表現――の三つの観点から読むことが有効である。音としての言語表現という観点から対比を探るとどうなるか。「チョウチョウ」と「ダッタン」。「ダッタン」にはダ行の濁音が含まれる。その上「ッ」という促音がある。「ン」つまり撥音も「タ」と結びつくことで一層強い調子を出す。極めて強い音の響きである。「チョウチョウ」は拗音があるくらいでさほど強い音の響きはない。その上「チョウチョウ」には文語としての「てふてふ」という文字から生じつ印象としての「テフテフ」の音が少し重なると思われる。そうなると一層柔らかい音の響きとなる。これらの音の対比は、そのまま言語内容としての対比と重なってくる。
 絵としての言語表現という観点から読む。「てふてふ」は言うまでもなくひらがな表記である。普通は「蝶々」と書く。まして「韃靼」のような難解な字まで「ダッタン」としないで漢字にしているのだから、「蝶々」となっている方が自然である。ひらがな表記には、通常柔らかさ、軽さ、そして弱さなどの形象性が含まれる。ここでは、ぴったりと蝶々の柔らかく、軽く、弱々しい形象性と重なる。さらに言えば、「てふてふ」を絵として見ると、この「ふ」などの自体は、まるで蝶がひらひらと飛んでいる絵画形象をそのまま字にしたような印象さえある。
 一方の「韃靼」は漢字表記である。漢字表記は、ひらがななどに比べると硬く、重く、強い形象性がある。その上、この「韃靼」は特に画数が多い。ごちゃっとしてより重く不可解な印象を与える。
 授業づくりでは、私はまず「てふてふ」と「韃靼海峡」という対比的な形象性をもつ二つの言葉に着目させたい。そして、その対比構造を前提に一つ一つの言葉を読み広げ読み深めていきたい。
 まず、「てふてふ」からである。「『チョウチョウ』ってどんなイメージ?」と子どもたちに問う。クラスによっては、すぐに様々なイメージが出されることがあるが、「イメージ」と言われただけでは答えにくいという顔をすることがある。その場合、「そうだな。たとえば『ライオン』だったら、強いとか、獰猛だとか、王様だとかといったイメージがあるよね。」といった助言を打つ。これによって、生物としてのチョウチョウというだけでなく、文化文脈におけるチョウチョウのイメージも読んでいくのだということが、子どもたちに理解される。「カブトムシなどと比べるとチョウチョウは?」といった助言を打つこともある。子どもたちからは、「ひらひらと優雅」「ふわふわ軽い感じ」「柔らかさ」「弱そう」「華麗」「きれいだ」などといったイメージが出されることになる。
 しかし、「チョウチョウ」についての読みは、この程度しか出てこない。そこで、「まだ読めます。それにはね、ある読み取りの方法を使うんです。新しい詩の読み方です。」と言いつつ、次のように授業を展開する。

教師 ここにはこう(「てふてふ」を指 さす)書いてあるけれど、他に書き方はない?
子ども 漢字で「蝶々」って書く。
 (「片仮名で「テフテフ」って書く。」という発言が同時に出ることもある。それを取り上げながら進めることもできる。)
教師 そうだよね。「蝶々が一匹~」でもいい。ほら、見てご覧(「韃靼」を指さす)。この「韃靼」にこんな難しい漢字を使っているんだから、ここも「蝶々」って漢字にしてもおかしくない。むしろそっちの方が自然なくらいだ。
子ども (「なるほど」という顔をする。)
教師 試しに作ってきました。
 (「蝶々が一匹韃靼海峡を渡つて行つた。」という短冊を、黒板に貼ってあるオリジナルの詩の横に貼り付ける。そして、「てふてふ」をより深く読むための助言を打つ。)
教師「てふてふが一匹~」と書いてあるのと、「蝶々が一匹~」と書いてあるのとどう違う?

 この後、一人で考える時間、そして子ども相互で話し合う時間を与える。だいたい次のような発言が出てくる。「漢字よりひらがなの方が、なめらかで柔らかい。」「漢字は重いけど、ひらがなの方が軽い感じ。」「漢字の方は強いけど、ひらがなだと弱々しい感じがする。」「漢字は難しいけど、ひらがなだとやさしいから小さい子でもわかる。」
 そういった読みが出た後に、ひらがな表記がなぜ漢字表記に比べてそう感じられるかの理由を子どもたちと見つけていく。漢字は鋭角的直角的な角張った線が多いこと。それに対して、ひらがなは曲線が主体であること。また、一般的に漢字は画数が多く活字の黒が目立つのに対し、ひらがなは画数が少なく紙の白い部分が目立つこと等である。
 そして、そのひらがな表記「てふてふ」の読み取りと、さきほど読んだ「チョウチョウ」の読み取りとが、実はかなりの程度重なることを発見させる。その後「韃靼海峡」を読み、「てふてふ」との対比の内実を確かめながら、この蝶がこの海峡を渡ることの困難さを読んでいく。
   
3 教科内容を身につけさせるための助言であること

 助言によって授業がうまく展開できたとしても、それによって子どもたちに教科内容を身につけさせることになっていかないとすると、それは優れた助言とは言いがたい。それでは教師の「正解」に誘導するだけの助言ということになる。
 たとえば、右に紹介した助言「『てふてふが一匹~』と書いてあるのと、『蝶々が一匹~』と書いてあるのとどう違う?」には、子どもたちに教科内容を確実に学ばせていくための内実が含まれている。既に述べたように言語にとっては、その意味内容だけでなく、「表記」そのものがもつ形象性も重要な意味をもつことを学ばせることにつながる。ここでは、ひらがな表記と漢字表記という典型的な表記の対比性であるが、これがきっかけとなって片仮名表記との違い、ローマ字表記との違いなどにまで発展していく。同じ漢字でも、その画数や構成によって形象性が違ってくることに気づかせることもできるようになる。そして、文学作品、特に詩においては、その文字表記のあり方を「絵画」的観点で読むことの大切さを学ばせることになる。このことは、さらには行や連の設定のあり方を読むということにも発展できる。同時に、その表記の形象性と意味の形象性とが互いに響き合って、優れた詩の形象性を作り出していることを学ばせることができる。
 また、ここでは「てふてふ」という表現を「蝶々」という表現と比べることで、「てふてふ」の形象性を際立たせた。これは別の表現可能性との「差異性」によって、言語表現を読むという読みの方法である。
 もちろん既に指摘した「対比」構造という観点から読むということ自体も、大切な教科内容である。
 これらの教科内容は、授業や単元の節目で「今日学んだこと」として子どもたちに意識化させていく必要がある。そして、ここで学んだ教科内容としての読みの方法は、この後の学習でさらに強化され深化されていくことになる。