見えないものが、見えてくる! 異説「秘密」(原田宗典・教育出版・中学二年)の教材分析

読み研通信70号(2003.1)

1 見えているもの

 この物語は、「十歳の夏休み、わたしは隣町の『秘密屋』で、偶然、母の秘密が質流れになって売りに出されているのを見た。わたしは、自分の秘密を質草にして母の秘密を買い、中身を見ずに川へ投げ込んだ」という話である。
 作品の枠組みは、いわゆる「額縁」型になっている。「少年時代の話を一つ、させてください。」という冒頭の文から始まって、
「あの時、ちょっとだけでも中を読んでみればよかったかな、といまだにわたしは思い返すことがあります。けれどそのたびにわたしは、いや、やはり何も知らなくてよかったのだ、と自分に言いきかせるのです。母親の秘密を秘密のままにしておいたからこそ、最後の親孝行になるのだと、そんなふうに思うのです。」という終結部で終わっている。「三十年以上も前のこと」と書かれているから、語り手は四十歳代である。
 クライマックスは、「その中に、母親の重大な秘密が記してあるのかと思うと、まるで母親の人生そのものを握っているかのような錯覚がありました。もちろん中を読んでみたくてしょうがありませんでしたが、わたしはそういう自分のいやしさを押し殺し、半ば無意識のうちに、巻紙を川に向かって放り投げました。」である。一文に絞るなら、後の文である。
 読者は、このクライマックスと終結部の「最後の親孝行になるのだ」を結びつけて、母と子の愛の形をテーマとして読み取る。母は「その翌年に思いがけず」亡くなっているのである。
 しかし、読み研の教師は、これでは飽き足りない。「なぜ、わたしは読まなかったのか?読んで母に話さなければ済むものを」とか「なぜ、母に返さなかったのか」、「母の秘密とは何だったのか」、「わたしは母をどう見ていたのか」、「四十歳過ぎて『最後の親孝行になるのだ』と自問自答しているのは何故か」などと追及する。そして、秘密を背負いながら生きる大人の未知の世界に接近する思春期前期の少年の姿を読み解いていく。しかし、はっきりしていることは、「秘密」の中身が読者には分からずじまいだということである。
 
2 構造よみから見えてくるもの

 発端は二つに意見が分れるだろう。

A・ある火曜日の夕暮れでした。
 火曜日は、わたしの町の銭湯が定休日なので、隣町の「ももの湯」へ行く日である。隣町はわたしにとって未知の世界であり、「ももの湯」で「秘密」との接点が生じる。二つの勢力は、わたしと「未知の世界」である。

B・いつもは早く風呂に飛び込みたい一心で、……
 この日は、どういうわけか道草をくう気になって、『秘密屋』に遭遇する。二つの勢力は、わたしと「秘密屋」である。

 山場の始まりはどこか。

A・そして数週間後のある火曜日、……B・そして二週間後の火曜日、……
のどちらかである。
 Aは、母の秘密が「秘密屋」のガラスケースに飾られて売りに出されているのを知った日であり、Bは母の秘密を買い取る決心をして、「秘密屋」に足を踏み入れた日である。クライマックスに続く場面の始まりは、より緊迫度の高いBが妥当であろう。
 しかし、ここまで構造よみを進めてくると、いやおうなく「火曜日」が何回も出てくることに気づく。気をつけて読み直してみると、発端と山場の始まりの中間にもう一カ所「以来、わたしは火曜日ごとに、……」とあることを発見する。計四回である。
 なぜ、火曜日なのか。この小説は「火曜日」という「仕掛け」で構成されているのではないか。そういう目で見ていくと、今まで見えなかった世界が見え始めてくる。
 まず、発端の決定である。
 確かに事件の始まりは、Bの「いつもは早く風呂に飛び込みたい一心で、……」が妥当のように思える。しかし、それはストーリーの発端である。Aの「ある火曜日の夕暮れでした。」は、この小説の仕掛けから見えてくるプロットの発端である。
 次に、「火曜日」を線でつないで、書かれ方の形象を追ってみる。
1回目の火曜日
 未知なる世界、秘密との出会いの伏線。
2回目の火曜日
「別に悪いことをしているわけではないのに、秘密屋のガラスケースをのぞいていることは、母親にも言えないわたしの秘密となりました。」(わたしの秘密)
3回目の火曜日
 母親の秘密が質流れになって、他人に買い取られる危機。(母の秘密)
4回目の火曜日
 自分の秘密を売って、母親の秘密を買い取る決心をする。売買されたわたしの秘密と母の秘密。(わたしと母の秘密)
 四回にわたって描かれる「火曜日」をつないでいくと、目に見える「母と子の愛の形」から、今まで見えてこなかった「秘密」の四重の形象の流れが浮かび上がってくる。

(1)わたしの秘密。
 母親に内緒で「秘密屋のガラスケースをのぞく」秘密にせよ、「林君のうちの手のり文鳥を殺した」秘密にせよ、十歳の子どもらしい秘密である。
(2)母の秘密。
 ついに明かされることのない秘密である。しかし、手掛かりはある。1「いなくなった父」の秘密、2貧乏の秘密、3文中には書かれていない秘密の三つである。貧乏は現に自分も体験している秘密である。たいした秘密ではない。「父は死んだ」とは書かれていない。曰くありげである。しかも、母の秘密は、六千円もの高値で売られた大人の秘密である。いかにも、3の「文中には書かれていない秘密」ではないかと推測される書かれ方である。
(3)謎めいた秘密屋の年寄り。
 親切そうに振る舞ってはいるが、他人の秘密を売買して生きていく、子どもの目から見れば不可解な人物である。
(4)「秘密屋」の存在そのものの秘密。
「当時、まだ人々が恥を知っていたころには、どこの町にも一軒くらいは『ひ』ののれんを出した店があったものでした。」とあるが、それは誰しも虚構だと承知して読んでいるのである。ただ、見逃せないのは、三十年後の語り手の視点から「恥を知る」ことについての価値観ないし思想を語っている点である。これに対して十歳のわたしは、「大人になると何だかいろいろと大変そうだな」と感じているに過ぎない。これは、本文中での視点の転換によって、子ども時代には理解できなかった(三十年後になって、初めて理解できるようになった)大人の世界を抽象的な思想のレベルで提示しているのである。
 この四重の形象の流れから、「人間は、秘密を背負いながら生きる存在であり、他人の秘密を生活の糧にしながら生きる存在でもある。」というメッセージを読み取ることができる。こう見てくると、作品のテーマは「母と子の愛の形」といった単純な問題ではない。これが、「火曜日」という設定によって仕掛けられたプロットから浮かび上がる形象性である。

3 見えないものを読む

 さらに、母の秘密に迫ってみよう。
 プロットの発端「ある火曜日の夕暮れでした。」の「ある」とは何か。ここでは不確定の起点を示す。「ひと続きの流れの中の〈ある〉点」である。とすれば、「わたし」が隣町の「ももの湯」(これもエロチックな表現だが)に出かけるようになったのはもっと前である。往復には一時間半~二時間ぐらいかかる。この時間帯に、母は一人で家にいる。子どもの世話から解放されるゆとりの時間かもしれない。
 子どもを送り出す母親の描写は、
「母親は、火曜日にかぎって汚れて帰ってくるわたしを見ると、どうしたらそんなに汚せるのかねぇ、と独り言をもらしながら風呂道具を用意し、五十円玉を一つわたしに握らせると、
『さあ、ももの湯へ行っといで。』
となぜか威勢よく言ったものでした。」
と、ある。
「火曜日」にかぎってという限定は、もしかすると、「火曜日の夕暮れ」が母にとって特別な意味を持つ時間帯であることを、少年がうすうす感じとっていた、と考えられないだろうか。
 母は「汚れて帰ってくるわたし」をそう嫌がっているわけでもないようだし、「なぜか威勢よく言った」となると、むしろ喜んでいるとさえ読み取れる。そこに夫が「いなくなってしまった」四十代の寡婦の情事を見るのは読み過ぎだろうか。深読みとする証拠はないのである。
 六千円という破格の金額で自分の秘密を売った母を知って、
「わたしは、なにごともなかったかのように出迎える母親のことを、まともに見られませんでした。この人は何を隠して生きてきたのだろう、そう思うと恥ずかしいやら悲しいやらで、息がつまりそうでした。」と、母を「この人」と客観視する思春期前期の少年は、その幼い潔癖感ゆえに、巻紙に書かれた母の秘密を読まずに川へ放り投げたのではないか。
 自分が母親と同年代になった三十年後の現在、「いや、やはり何も知らなくてよかったのだ、と自分に言いきかせ」、「母親の秘密を秘密のままにしておいたからこそ、最後の親孝行になるのだ」と、大人の価値観から、少年時代を改めて問い直しているのである。