〈実践報告〉伏線を読む授業―俵万智の短歌を使って―
『読み研通信』第128号(2018.11.1発行)より岸あゆり先生の「〈実践報告〉伏線を読む授業―「化けくらべ」と俵万智の短歌を使って―」の一部を紹介します。
短歌の伏線を読む
象徴性に満ちた、俵万智の短歌を使って
短歌で伏線を読む授業を紹介したい。
砂浜に二人で埋めた飛行機の
折れた翼を忘れないでね俵万智
『短歌という爆弾』(穂村弘、小学館、二〇〇〇年四月)より
この短歌は教科書に載っているわけではないが、伏線を読み取らせるおもしろさを味わえると思って、短歌の授業の時に紹介してきたものである。『短歌という爆弾』(穂村弘、小学館、二〇〇〇年四月)という短歌入門書で取り上げられていて、穂村弘氏はちょっとおもしろい現代歌人である。本を読んで興味を惹かれてから、こんな短歌が授業で読めればおもしろいのになあと思って、授業化にチャレンジしてみた。
この短歌は、一見、砂浜に二人が折れた飛行機の翼を埋めたという体験を書いただけの内容にとれる。
(ただし「飛行機」そのものを埋めたのか、「飛行機の折れた翼」を埋めたのかまでははっきりしない)
現に授業でこの作品を黒板に書き、大づかみに「この歌、どういう意味?」と生徒に投げかけてみると、先のような内容の答えが返ってくることがある。いわく、「先生、これって二人が飛行機の翼を埋めたって意味でしょ」とのことである。
しかしこう言ってくれればしめたものである。
私はしたり顔で「『正確に読む』と『解釈する』ことは違うんだよ。説明文は『正確に読む』けど、物語や詩では『解釈』することをしなくちゃいけないんだよ。」と言うことができる(もちろん内心はこの授業がうまくいくかどうか不安なのだが)。
この短歌は象徴性に満ちた短歌である。「翼」、「折れた」、「砂浜」など、言葉の解釈のしがいのある作品なのである。ではどのような解釈が可能なのか。
教材研究—人物・場所・時・その他
教材研究は次の通りである。
人物像について
- 「翼」は本来二つで一対となり飛んでいくもののはずである。それが地中に埋められている。ということは、空から地へ落ちたのだろう。それは二つで一つの関係がバランスを崩したことを意味する。
- 「折れた」から「挫折」、「傷の痛み」などを連想することができるであろう。
場所について
- 「砂浜」とある。なぜわざわざ砂浜に埋めたのだろう。そこで遊んでいたからとか思い出の場所だからとかいう解釈も成り立つ。しかしもっと人物像に関連させて読めないだろうか。
「砂」で思い出すのは啄木の「一握の砂」である。また生徒にとっては砂時計などもあるだろう。一つ一つの砂が一秒、一分という時間を表している。「砂浜」はその集積、つまり思い出と読める。
時について
- 「飛行機」とあるのは、もちろん航空機ではなく、おもちゃの飛行機であろう(本物の飛行機と考える生徒もいた。しかし、巨大な飛行機の翼を二人で埋めるというのはどう考えてもSF的なシュールな光景である)。
やはり、紙や木でできたおもちゃを想定するのが無理がない。おもちゃの飛行機を持つような年齢の人(若い)なのである。
またおもちゃの飛行機の飛び方から連想されるような不安定なもろい年ごろなのである。
その他
- 「忘れないでね」と呼びかけるように書かれていながら、カギ括弧(「」)も、句切れもない歌である。そのため、ずどんと一気に心の中の言葉が投げ込まれる印象がある。
まるで誰かが自分に向かって「忘れないでね」と呼びかけているような、そんな衝撃がある歌である。
ショートストーリーを作成させる授業
実際の授業では「折れた」「翼」「埋めた」の言葉を取り上げて、解釈を考えてみるという方法で行った(中学2年生で実践した)。その読み取りの授業はここでは割愛する。
授業の中で読み取った言葉を元に生徒にショートストーリーを作成させた。ショートストーリーのあらすじを紹介し、伏線がどのように解釈に結実したのかを検証したい。 (矢印以下は、岸の検証である。)
親友が、引っ越してしまうことになった。でも私のことを忘れないでね。
→(検証)二つで一対のものがバランスを崩して落ちることから、親友が引っ越すという解釈が出てくるとは思わなかった。生徒にとって引っ越しとはこれほどまでに大きな意味を持つということであろう。しかし「折れた翼」をどう読んだのだろうか。この点まで生徒にもう一度生徒に問うべきであった。
「飛行機を忘れないでね」ではなく、「飛行機の折れた翼を忘れないでね」なのである。あくまでも作者は埋めた飛行機の中でも「折れた翼」という一点にフォーカスしている。そこに私は、関係の崩壊の先にあった痛みを読み取らせたかった。
青春時代に親友と二人で追いかけた夢、うまくいかなくて挫折してしまったけれど、その挫折の経験を忘れないでね。
→(検証)この解釈だとなぜ「忘れないでね」なのかが、判然としない。「忘れないでね」という言葉はこのままでいると忘れられてしまう状況、つまり別れ・離別を前提にした言葉だからだ。「親友」は今は違う場所に行ってしまったのだろうか。この点を確認すべきだった。
他にも恋人の別れと解釈したものなどが生徒から挙がった。誰も飛行機の翼を埋めるなんていう経験はないだろう。しかし自分の過去の中にそんなことがあったような気持ちにさせる。それを穂村弘は「驚異(ワンダー)と共感」の感覚と呼んでいる。誰も経験したことのない内容でありながら、人の心の奥底にある葬り去られた青春の痛みを思い出させる、そんな短歌なのである。それは具体的な経験に還元することはできないような歌なのかもしれない。その点でショートストーリーにするという課題は難しかったかもしれない。
親友の引っ越しの解釈が示すように、生徒はあくまでも自分の既存知識の下に言葉を解釈していく。短歌はその短さが示すように、読者のイメージを限定しない。この自由さは短歌ならではのものであろう。それが今回は様々な解釈を生み出したともいえる。ある程度の長さがある小説であれば、読者の読みも絞り込むことが可能になってくるであろう。
今回は、短歌という短めの作品で伏線を読む授業を実践した。ただ中学校の国語教材はもっと分量的に長く、複雑である。そんな教材で伏線を読む授業を組み立てることが自分にとっての目下の課題である。
今回ご紹介した文章は、『読み研通信』に掲載されていたものです。
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