導入部の仕掛けからテーマを読む

『高瀬舟』(中3・光村図書)の場合

佐藤建男(運営委員)

 小説の導入部に仕掛けられた「仕掛け」を意識的に読むことによって、その小説の通説的に言われているテーマとは別な、新たなテーマが浮かび上がってくることがある。これは、中学校の生徒にとって小説を読み深めていくための一つの有効な「読みの方法」となるのではないか。
 このことを、『高瀬舟』を取り上げながら述べてみたい。
『高瀬舟』は、三つの──によって、四つの部分に区切られている。そのはじめの部分が「導入部」(冒頭部)である。この導入部は、語り手が、高瀬舟がどのような「場」(世界)であるかを語っている部分である。
 「この導入部の内容を三つにまとめよう」と生徒に指示をして話し合うと、だいたい次のような内容になる。
①高瀬舟に乗せられる罪人は、親類一人を同船させることを許されていた。②罪人は、「心得違いのために、思わぬ科を犯した人」などが多かった。③護送する同心は、罪人の「悲惨な境遇」を知り、同情・共感してしまう。
 つまり、高瀬舟に乗る同心は、「思わぬ科を犯した」罪人の「悲惨な境遇」を聞くはめになり、そのことによって、「護送」という役職の領分をはみ出して、個人的な感情や考えを持ってしまうことになるのだが、ここに仕掛けがある。庄兵衛が喜助の話を聞いてたどる思考の必然性が暗示されているのである。
「高瀬舟に乗ると、同心はどういう立場に立たされることになる?」と問うと、「罪人に同情して罪人の立場になってしまう」「奉行所の立場とは違った立場になって、お上を疑ったり批判的になったりする」などの意見が出てくる。
 このことを押さえた上で、「導入部のこの仕掛けは、どこで仕掛けの意味と効果を発揮することになる?」と発問する。すると、生徒は、ほぼ間違いなく最後の部分を指摘する。すなわち、庄兵衛は「いろいろに考え」た結果、①「自分より上のものの判斷に任すほかない」と思ったが、しかし、「そうは思っても」②「まだどこやらに腑に落ちぬものが殘って」いて「お奉行樣に聞いて見たくてならなかった」という部分である。
この部分の意味を話し合うと、①からは、「お奉行様・お上に従うことが絶対的に必 要な同心という役職に忠実な生き方」、②からは「庄兵衛の人間としての、個としての生き方や考え方」が出てくる。そして、「庄兵衛は、この二つの間の板挟みになっている」という「読み」になっていく。
 庄兵衛は喜助という罪人の罪に疑問を抱き、おかしいのはお奉行様ではないか、と思うようになるのである。庄兵衛は、「役職」と「個人」に引き裂かれ、さらには、お上に疑念を抱くという危険領域に踏み込むところで「沈黙」をする。
 このように、導入部の仕掛けをたどって読んでいくと、『高瀬舟』では通説になっている「知足」と「安楽死」という二つのテーマとは別の所に行き着くのである。
 次に機会があれば、『少年の日の思い出』をとりあげて、このことを述べてみたい。

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