論証責任を問う「批判よみ」のスキル

薄井道正(滋賀県立長浜北高等学校)

 拙著『謎とき国語への挑戦』(学文社)に収録した「国語通信」60号で、ロニー・アレキサンダー氏(神戸大学教授)の「『食』だけが文化なのか」(2002年5月23日付『朝日新聞』「eメール時評」)という文章への私の反論例を挙げた。(「日本は捕鯨をやめるべきだ」というアレキサンダー氏の議論について、その根拠を批判した。)
 今回は、その反論例に加筆するとともに、そこから抽出した「批判よみ」のスキル(筆者の論証責任を問うためのスキル)を提示したい。

 山口県下下関市で20日始まった国際捕鯨委員会(IWC)総会に先立って、捕鯨反対で知られる世界自然保護基金(WWF)ジャパンが、対話路線に切り替えた。しかし、WWFは依然、日本の市場を狙うIWC加盟国以外の動きを恐れている。①日本のクジラ好きは有名で、商業捕鯨の再開をきっかけに市場競争が起こらないとも限らない。 IWCが商業捕鯨の一時停止を設定して16年。環境汚染、魚の乱獲、気候変動などで、海そのものが危機にさらされている。②国連食糧農業機関(FAO)によると、漁業資源の約半分は捕獲の限界にあり、魚種の約1割が枯渇状態にある。寿命が20~30年と長生きするクジラの体内に蓄積するポリ塩化ビフェニール(PCB)などの有害物質も気になる。
 ④敗戦直後、給食に登場していたクジラに対する愛着、それを禁止されたことへのルサンチマンは理解できる。しかし、今や若い人たちはほとんどクジラを食べたことがない。⑤食物が溢れる今日の日本において、捕鯨を再開しても、鯨食を維持するだけの消費者は、いないのかもしれない。
 ⑥日本文化におけるクジラの意義は、食べることによってのみ存続するのか。日高知県大方町は、捕鯨の歴史を大事にしながら、今はホエールウオッチングに力を入れている。クジラと共存してきた日本だからこそ、新たな市場づくりより、⑧世界と強調することを期待したいのだ。

 傍線を付した箇所について、次のような疑問・反論が可能である。(以下、①②…は本文の下線箇所に対応している。)

① まず、この箇所は明らかに⑤と矛盾する。ここで「市場競争が起こらないとも限らない」ほど「日本のクジラ好きは有名」と言っておきながら、⑤で「今日の日本において、…鯨食を維持するだけの消費者は、いない」と言うのは、矛盾する(不整合な)ご都合主義的な言い分である。また、「市場競争が起こらない」ために、IWC(国際捕鯨取締条約をルールブックとする国際捕鯨委員会)という組織もある。(日本やノルウェーはIWCで鯨の持続的利用を常に訴えている。)

 →批判スキル① 矛盾する(不整合な)主張をしていないか。

 また、「とも限らない」とか「かもしれない」といった言い方は無責任である。

 →批判スキル② 責任逃れの(批判をかわす、腰の引けた)言い回しをしていないか。(裏づけとなるDataはあるのか。)
 
② だから鯨を捕るな、とFAOは言っているのか。逆である。
 1995年、FAOの協賛を受けて京都で開催された「食糧安全保障のための漁業の持続的な貢献に関する国際会議」(95カ国参加)では、「再生可能な漁業こそ将来予想される食糧危機を救う」という視点のもと、次のような合意がなされた。一つに、世界の漁業において地域的な特徴・特色を尊重しようということ。二つめには、各地域の食文化を尊重しようということ。三つめには、海洋生態系のすべての要素(もちろん鯨も含まれている)をまんべんなく利用しようということである。

 →批判スキル③ Data(データ=事実)に誤りはないか。(Dateに根拠はあるのか。)

 もし、鯨をはじめとする海産ほ乳類だけが一方的に保護されれば、魚は食い荒らされることになり、海産資源はますます枯渇することになるのではないか。

 →批判スキル④ 逆の結果は生じないか。

③ 「気になる」といった不安だけを駆り立てるのは無責任ではないか。実際に検出されているのかどうか、データを示すべきである。たしかに、北西太平洋のミンク鯨の皮脂部から検出されたPCBの数値は魚介類より高かった。しかし、PCBは脂溶性であるから、加工の過程で流出してしまう。したがって、加工後に食べるのが普通である皮脂部は、安心なのである。また、南氷洋、北西太平洋とも、ミンク鯨の赤肉のダイオキシンは検出限界値を下回っている。つまり、検出されていないのである。

 →批判スキル③ Data(データ=事実)に誤りはないか。(Dateに根拠はあるのか。)

④ 「ルサンチマンは理解できる」などと、勝手な「理解」をすべきではない。問題を勝手に感情論のレベルに引き下ろして、相手の主張を矮小化するような論法は卑怯ではないのか。 

 →批判スキル⑤ 感情論に流れていないか。

⑤ 捕鯨の問題は食べる者がいるかいないかといった問題なのか。過剰保護による鯨の増加が海洋資源に悪影響を与えている。また、人口増加が避けられない将来に向けて、食糧確保の選択肢はすべてオープンにしておく必要がある。
 また、「かもしれない」といった不確かなことを根拠にすべきではない。

 →批判スキル② 責任逃れの(批判をかわす、腰の引けた)言い回しをしていないか。(裏づけとなるDataはあるのか。)

⑥ 「食べること」によっても日本文化は存続する。食も、ある国・民族・地域で固有に発展してきた貴重な文化である。

 →批判スキル⑥ 「~のみ」「~だけ」といった限定に対して、「~も」と考えられないか。

 ある民族や国民が自分たちの特定の動物に対する価値観を他の民族や国民に強要することは文化帝国主義である。カンガルーを食べている(ライフルで間引きもしている)オーストラリアの「食文化」を非難したら、オーストラリア(鯨を殺すのは倫理に反すると非難しているが)は、どう答えるのだろうか。

 →批判スキル⑦ 他のケースにも当てはめることができるか。

⑦ 鯨に近づいてウォッチングすることは、騒音、振動、海域の変化などをもたらして鯨に悪影響を与えるから禁止すべきだ、という声が高まっているのを知っているのか。また、船に鯨がぶつかって大事故になる危険性も大きい。

 →批判スキル④ 逆の結果は生じないか。

⑧ 「世界」とは、どこの国々を指しているのか。反捕鯨を主張しているのは欧米の一部の国々であり、中国、韓国、ロシア、ノルウェー、アイスランドなど、多くの発展途上国が、持続的捕鯨を支持している。世界154カ国が加盟するサイテス(ワシントン条約)では、鯨類の持続的利用を認める国が常に過半数を占めている。捕鯨を認めない国々こそが世界と強調することを期待されている。欧米の一部の国々を「世界」と取り違える傲慢さこそ批判されるべきである。

 →批判スキル⑧ (「われわれは」「日本人は」「世界は」といった)不当な一般化がなされていかいか。

 何かを主張する(何らかの意見を述べる)ときには、必ず論証責任が生ずる。論証責任を果たしていないような主張(意見)は、無責任なただの放言でしかない。したがって、「批判よみ」のメインは、「文章(筆者)が論証責任を果たしているかどうか」を問うことにある。上記のスキルは、そのためのものであるが、その一部でしかない。また、そのスキルは構造化されるべきものであるが、それはまたの機会に論じることとする。

〔補足〕

 アレキサンダー氏の文章は、「批判よみ」を教えることができる格好の(ツッコミどころ満載の)入門教材であると考え、授業で頻繁に利用させてもらっている。「批判よみ」を教えるためには、教師自身が「批判よみ」の典型例(実例)を持っていることも必要である。

参考文献 森下丈二『なぜクジラは座礁するのか?』河出書房新社
     小松正之『クジラは食べていい!』宝島社新書

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