「とんかつ」(三浦哲郎)から

 関西サークルの第3回例会で、大商大堺高校の藤田隆介さんが三浦哲郎の「とんかつ」の授業について報告した。
 だいぶ前のことになるが、数社の高校の国語の教科書に「とんかつ」が収録された。その時は「とんかつ」は高校の国語教師の間ではちょっとした話題になった。しかし私は正直なところ、あまりいい作品とは思っていなかった。

あらすじは──

 北陸のある町の旅館に母子の二人連れが訪れる。旅館の方ではひょっとして母子心中ではないかと気をもむのだが、わかってみればこの春中学を卒業する息子がそこにある寺(永平寺を思わせるのだが)に修行に入るためにやってきたのだという。旅館の奥さんは寺に入るまえにご馳走しましょうと申し出ると、母親は息子の好物のとんかつがいいという。
 一年後母親が再び、その旅館を訪れる。息子の怪我見舞いに来たのだという。そして約束した時間に、息子が旅館を訪れる……。

 今の時点から振り返ってみると、「とんかつ」をおもしろいと思わなかった原因が少し見えてくる。
 その第一は、私に作品そのものが読めていなかったことである。読み手に読む力がなければよい作品も、駄作と変わらなくなる。
 二つめには、当時の私が読み研方式に合う作品を求めていたこと。今から思えば、構造よみにぴったり合う作品を求めていたように思う。「とんかつ」は高校一年の最初の小説教材という位置に大体置かれていた。そして関西の例会でも議論になったのだが、なかなか構造よみがすんなりとはいかない作品なのである。そこに無理に構造表を当てはめようとしていたように思う。構造よみのものさしを当ててみて、いかにそのものさしが当てはまらないかが見えることも、作品の読みを深めていく。ものさしにすっきり当てはまるから、作品が読めるというわけではないのである。そして、無理矢理にものさしに当てはめようとすることは、かえって読みを歪めたつまらないものにしてしまう。
 今回久し振りに「とんかつ」を読み返してみて、思っていた以上に私にはおもしろかった。そこには関西サークルでの議論の深まりもある。あらためて集団での検討の重要さと面白さを確認できた。一人で読んでいるのとは違って、複数での議論はああでもない、こうでもないとさまざまな意見が出、思いがけない着眼点に気づかされ、一人で読むときの数倍の読みの深まりをもたらしてくれる。
 特に私が興味をもったのは「とんかつ」に描かれる母子関係の変化であった。最初に旅館を訪れたとき、母子(特に息子の方)は次のように描かれている。

女(母親のこと・加藤注)は振り返って、半分開けたままの戸の外へ鋭く声をかけた。ちゃんづけで名を呼んだのが、なおちゃ、と聞こえた。青白い顔の、ひょろりとした、ひよわそうな少年が戸の陰からあらわれて、はにかみ笑いを浮かべながらぺこりと頭を下げた。

 それが一年後には次のように描かれる。

夕方六時きっかりに、衣姿の雲水が玄関に立った。びっくりした。わずか一年足らずの間に、顔からも体つきからも可憐さがすっかり消えて、見違えるような凛とした僧になっている。去年、人前では口をつぐんだままだった彼は、思いがけなく練れた太い声で、
「おひさしぶりです。その節はお世話になりました。」
といった。

 この二カ所から、一年足らずの僧堂での修行生活が息子の有り様をどのように変えたかよくわかる。
 ただ議論の中で見えてきたのは単なる息子の成長物語ではないことだった。「里心がつくといけないから面会などせずに、……五年間の修行を終えて帰ってくるのを待つつもり」といっていた母親が、息子が怪我をしたことから一年もたたずに会いに来る。先に引用した箇所は、母親の待つ旅館に僧となった息子が現れるところである。そこには息子の成長とともに、母子の関係が大きく変わったことも暗示されているのである。
 そして題名になっている「とんかつ」が母子関係の変化を巧妙に象徴するものとして使われていることも見えてきた。
 一時、数社の教科書に採られていた「とんかつ」も今は一社だけになってしまったようである。軽い作品で、さほどのものではないと私が思ったように、現場でもそれほど受けがよくなかったのかもしれない(幸か不幸か私自身は授業でこれまで「とんかつ」を扱う場面がなかったのであるが)。しかし三浦の作品は、その長さが教科書収録に向いているということもあってか、割とよく採られているように思う(今年から光村図書の中学二年に「盆土産」が入っている)。「とんかつ」が教科書教材としてどうなるかはわからないが、私としては是非一度授業にかけてみたいと今回の議論を通して思った。
 サークルでの議論は、おもしろい。一人では気づけなかったあたらしい発見をもたらしてくれる。教材となる作品の読みが深まっていくのは、国語の教師として、とても魅力的で楽しいものである。そんなよろこびが味わえた「とんかつ」であった。