小学校 物語の教材研究 (東書・小一)「おとうとねずみ チロ」(もりやまみやこ)を読む その1

読み研通信124号からの転載です。

その1/その2/その3

「おとうとねずみ チロ」は、東京書籍小学1年・下に収録されている三匹のねずみのきょうだいの物語である。以下のようなあらすじである。
 ある日、おばあちゃんから「新しい毛糸で、チョッキを編んでいます。楽しみに待っていて下さい。」と手紙が届く。兄さんと姉さんに、「チロのはないよ」と言われ、チロは、おばあちゃんが自分の分のチョッキを忘れていないかと心配になる。しかし、手紙を書こうにも、字が書けないチロは、丘の上の木に登り、「ぼくにもチョッキ、あんでね」と大きな声で頼む。何日か経って、おばあちゃんから小包が届き、チロのチョッキも入っていた。チロはチョッキを着ると、再び丘の木に登り、「しましまのチョッキ、ありがとう。」とおばあちゃんにお礼を言う。

1 出典との比較
 出典は、「おとうとねずみチロのはなし」(森山京 講談社・一九九六年)という連作の中の一編である。チロを主人公にした五つの話があり、その一番初めに位置する話であり、「しましま」というタイトルがつけられている。「おとうとねずみチロのはなし」には、その続編もある。
教科書収録のものとの異同を簡単に見ておく。主な違いは、二つある。
一つ目は、チョッキの色をめぐるものである。教科書では、兄さんが「ぼくは赤がいいな」、姉さんが「わたしは青がすき」と言う。
「しましま」では、反対に兄さんが青、姉さんが赤がいいと言うのである。
 この違いは、男は青、女は赤といった旧来の見方に対する「異議」として変更されたのではないだろうか。
 もう一つは、チロが丘に登るところである。
 教科書では「おかのてっぺんの木に立つと」「おかのてっぺんの木へかけのぼりました」とある。
「しましま」では、丘の「てっぺんにたつと」「てっぺんへ かけのぼりました」で、丘の上の木に登ったという表現は見られない。ただし、挿絵では木の上から叫んでいるチロの様子が描かれているので、読者は丘の木の上に登っているように読む。

2 構成・構造をめぐって
 次のように構造を読んだ。

 ○はじめ・おこり ある日、三びきのねずみの……
 │
 ○山のはじまり なん日かたって、おばあちゃんから……
 │
  ◎───クライマックス「おばあちゃあん、ぼくはチロだよう。しましまのチョッキ、ありがとう。」
 │
 ○むすび・おわり ……「あ、り、が、と、う。」

 導入部はなく、おばあちゃんから手紙が届くところから始まる。チョッキが届いて、再び丘の木の上から、おばあちゃんに大きな声で「ありがとう」というところで終わる。つまり導入部と終結部がなく、展開部と山場の部から構成されている(クライマックスについては後述)。それぞれが、チロの家の場面と丘の上の場面の二場面からなり、全体として次の四場面から構成されている。

〈一場面〉ある日、三びきのねずみの……チロは、そとへとび出していきました。
(場所―家 おばあちゃんの手紙を受け取るところから、自分のチョッキがないのではと、心配するところまで)
〈二場面〉どんどんどんどんはしって……耳をすましていました。
  (場所―丘の上 大きな声でおばあちゃんにチョッキをお願いする)
〈三場面〉何日かたって、おばあちゃんから……「あ、しましまだ。だあいすき。」
 (場所―家 おばあちゃんのチョッキが届く)
〈四場面〉チロは、さっそく……「あ、り、が、と、う。」
 (場所―丘の上 大きな声でおばあちゃんにお礼を言う)

 右のように見てくると分かるように、場面の展開もシンプルでわかりやすい。登場人物も三匹のねずみのきょうだいであり、家の場面では三匹が登場し、丘の上はチロだけである。

3 中心人物―チロ
中心人物とは、「物語全体を通して、気持ちやその変化がいちばんくわしく書かれている人物」(東京書籍小学3年)と説明される。小学校の物語の読解において、中心人物という捉え方をする人が多くみられるが、私はあまり支持しない。それは、中心人物がどの作品でも有効に機能するものではないからである。そして、中心人物を決定するためのあまり意味のない議論に終始する場面をしばしば見かける。
ただ、小学校低中学年においては、物語の着眼点の一つとして、ある程度有効性があるとは考えている。
この作品は、チロを中心に展開している。兄さんや姉さんも登場するが「にいさんねずみ」「ねえさんねずみ」と表現され、名前が出てくるのはチロだけである。また、基本的にチロの目を通して描かれ、チロの行動や気持ちが語られている。 つまり、「おとうとねずみ チロ」の中心人物はチロといえる。
 この話では、中心人物チロに関わって何が一番大きく変わったのだろうか。
 結論から述べれば、チロは、丘の上から大きな声で叫べば、おばあちゃんに自分の声を届けることができると考えるようになった。そこにチロの変化がある。