【読み研通信掲載実践】私が授業の中で意識して使う「言葉」

 唐突ですが、先生方はどのような「授業の技術」をお持ちですか?こういう発問はわかりやすいとか、こういう指示を出すと上手くいくとか、こういった言い方は生徒の意欲をかきたてるとか、きっと人それぞれお持ちなのではないかと思うのです。
 ここでは、そういった技術の中でも「授業中の教師の言葉」に着目をして考えてみたいと思っています。同じ内容のことを伝えるにしても、「授業に有効な表現」はあると思うからです。また、せっかくいい内容の授業をしても、教師の表現方法しだいで、あやふやで退屈な授業にもなりかねないと思っているからです。そこで、「私が授業の中で意識して使っている言葉」をあげてみます。

 ……とは言っても、私自身が考え出したオリジナルのものばかりというわけではありません。そのほとんどが、学内や研究会やビデオの授業を見て、私がいいなと思っている表現を「まねをしているもの」です。
ですから、正確に言うと「私が授業の中で意識して使っている言葉」というようなたいそうなものではなく、「私自身の授業のために集めてきた言葉」という言い方のほうが良いのかもしれません。前置きが長くなりました。では、ご紹介いたします。

■「今日の目的は二つです。一つは……。もう一つは……です。この二つができると、今日の授業は〇(まる)です。頑張っていこう。」

私は本時のねらいは何か、授業の最初に宣言をします。「ねらい」を一言で説明できない授業は、どこかあやふやな授業になると考えているからです。
また、「ねらい」を宣言することで、そのねらいを達成できたかどうか、「評価」することができます。自分達がいかに成長できたかを授業時間の最後でフィードバックすることは国語の授業にとって最も大切なことだと思っています。

■「根拠は?」

 発問に対する、生徒の答えの後「根拠は?」とよく聞き返します。どんなに生徒の答えが優れていても、その根拠が文章の中で示せないと、まだまだ不十分だと思うからです。また、優れた意見は、えてして他の生徒がついていけないことが多いからです。
つい「いい答えだね。みんなわかった?今の意見はね……ということなんだよ。」とやってしまいたくなりますが、ここで踏ん張って「根拠は?」と返すことで、授業が深まっていきます。

■「うーん、三十点。」

 特に主題読みのように、難易度が高い発問の時、いい線はいっているものの、不十分な答が返ってきたときに使います。「三十点」と言うと、周囲の子達が、俄然と張り切って意見を出し始めます。「お、だんだん良くなってきたぞ、でも五十点。」「惜しい、八十点。」発言をする生徒がだんだん増えていきます。

■「はい。」

 「うるさい」「静かにしなさい」「集中しなさい」静かにさせたいときにこういった言葉がいかに空しいか。
 私は「授業開き」の時に、「『はい』と言われたら何をしていても一旦止めて集中すること」と生徒と約束をします。「はい」の代わりに、手をたたくでも黒板をたたくでもいいのですが、少し大きな音が出る動作をおこないます。
 もちろん「〇班、集中が早いね。」「〇班、班長がよく注意してくれました。」などの評価は加えていきます。

■「違う。」「残念でした。」「先生はそうは読まない。」「そうではないよ。理由がわかる人いる?」

 明らかに誤った答えに対しては、誤っているとはっきりさせたほうがいいと思うのです。国語という教科の特質から「せっかくクラスの生徒の前で意見を出してくれたのに、否定したらかわいそうだ。」とつい考えたくなるのも人情ですが、誤った答えに対して私は「違う」とばっさり明るく言います。
「うーん、いいんだけどねえ・・・。」「・・・そういう考え方もありますねえ。」「なるほど・・・。」「違う考え方はないかな。」といった、歯切れの悪い評価は、合っているのかいないのかがわかりません。また、正しく考える生徒のやる気をそいでしまうことになりかねません。

■「するどい!」「いいねえ!」「よくそこまで読み取った。」「素晴らしい読みだ。」「びっくりした。」

逆に、いい答をしたときには、授業を受けている子供達全員にわかるようなはっきりとした評価にするようにしています。少々オーバーなくらいのほうが、読み取っていく意欲を高めていくように思います。

■「前回の授業では〇班の意見がすばらしかったね。」「〇班、冴えていたね。班長がよく話し合いをリードしていたのがよかったんだね。」「〇班、今日は発言できるように頑張ろう。最初に発言権あげるから、よく考えてな。」

 授業の最初で、前時の復習とともに、前時の班討議の評価を簡単に加えます。なぜその班が評価されるのか、またなぜ上手くいったのかを、全体に話します。
 教師が、いかに自分たち生徒をしっかり見ているか、そしてそのことを覚えているかということを伝えることで、安心感・信頼感を高められると同時に、班毎の対抗意識も高められます。

 もともと、「読み研」の授業形態は、生徒が発言したり討論したりするのに適しているとよく言われます。私も、実際に自分がやってみてその事実を実感しています。ただ世間一般的には、「小学生には(中学生には)(高校生には)授業の中で討論などさせるのは難しい。」「せいぜいディベートが精一杯だ。」「最近の子供達は質が変ってきている。昔のようにはできない。」といった声が多く聞かれ、討論させる(発言させる)授業が敬遠される傾向にあります。「読み研」方式をご理解いただくためには、教材分析だけではなく、「確かにこういう言い方をすれば、討論もできそうだ。」という「授業技術」の交流・検討も必要ではないかと考えます。この通信がそういう場になればいいなと思います。皆さんの「言葉」も是非お寄せください。