『ごんぎつね』の教材研究でわかったこと

『ごんぎつね』(新美南吉、光村図書・東京書籍・教育出版・学校図書・三省堂 4年)の作品の中に「物置」という表現が4回、「なや」という表現が1回出てくる。両方とも「薪や炭や雑具等を入れておく小屋のこと」という意味であるが、なぜ2つの小屋が出てくるのか、自分はあまり意識をしないまま今まで授業を行っていた。しかし他の先生の授業を見て大変驚いた。その授業では、「兵十の家」と「物置」と「なや」の3つの絵を書いて、兵十とごんの行動を書き込んでいた。つまり「物置」と「なや」を別の建物として読みとっていたのである。私はあまり深く分析することもなく、意味が同じだから、同じ建物だろう程度の分析で授業を行っていた。

『ごんぎつね』は、多くの研究者に研究されている。その中に、府川源一郎氏の「『ごんぎつね』をめぐる謎」(教育出版、2000年)という本があり、この問題に触れている。

 新美南吉の作品である『ごんぎつね』は、『赤い鳥』(1932年1月号)に『ごん狐』として掲載された。しかし編集者の鈴木三重吉は、書き直して掲載した。その1つが「なや」であった。「なや」では読者にわかりにくいと判断した鈴木三重吉は、「物置」と書き直した。しかし5か所ある「なや」のうち、最後の1ヶ所だけ書き直し忘れたのである。それは南吉の草稿の『権狐』を見ると明らかである。『権狐』では、すべて「なや」と表記されている。つまり「なや」と「物置」は同じなのである。なお、教科書の『ごんぎつね』と『赤い鳥』の『ごん狐』は表記の違いはあるが、同じである。

「なや」の他にも、府川氏は10か所も名称や呼称が改変されていると指摘している。「ごん」の呼称も元々は「権狐」であった。「ごん」の方が読みやすくて親しみが持てると、鈴木三重吉は考えたのであろうか。

 次に3の場面をみてみる。『ごん狐』では、「つぎの日も、そのつぎの日もごんは栗をひろっては、兵十のうちへもってきてやりました。そのつぎの日には、栗ばかりでなく、まつたけも二、三本もっていきました。」となっている。しかし草稿の『権狐』では、「栗ばかりではなく、きの子や、薪を持って行ってやる事もありました。そして権狐は、もう悪戯をしなくなりました。」(下線永橋)となっている。つぐないの品物は、まつたけではなく、「きの子や薪」だったのである。しかもこの後「悪戯をしなくなった」とはっきり書かれてある。つぐないを始めてからは、いたずらをしているという記述がないため、いたずらをしなくなったのではないかと予想することができるが、確定はできなかった。しかし草稿の『権狐』でははっきりと「もう悪戯はしなくなりました。」と書かれているのである。

 また、ごんが兵十に撃たれて死ぬ最後の6の場面をみてみる。『ごん狐』では、「ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。」と書かれている。しかし『権狐』では、「権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました。」(下線永橋)と書かれているのである。『権狐』では、はっきりと「うれしくなりました」とごんの心情が書かれている。しかし『ごん狐』では、「うなづきました」であり、『権狐』の方がはっきりと心情が書かれている。しかしこの場合、ごんの心情をはっきりと書かない『ごん狐』の方が、ごんの思いを読者に委ねることができる。鈴木三重吉は、そういうことをねらって書き直したのであろうか。

 普段は、なかなか作品の初出を読むという余裕がないが、初出をしっかり読み込んで、自分で丁寧に教材研究する重要さを改めて感じると同時に、新しい発見に感動を覚えることもできた。