村上春樹「色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年」をめぐって

 村上春樹の新刊が話題になっている。へそ曲がりなところがあり、売れている、人気だというものほど、ちょっと遠目で見ようとするところがある。しかし、今回の新刊は発売日の翌日に本屋で買い、その翌日には読み終えていた。
 もともと村上春樹は、けっこう好きな作家の一人である。新刊のたびに買う、というほどではないが、主だった長編はほぼ読んでいる。今年のはじめ頃から村上の『レキシントンの幽霊』という短篇について、あれこれ考えていた。これについては、今年の読み研紀要に書くのでそれをご覧頂けたらと思う。『レキシントンの幽霊』を読みながら、改めて考えたのは村上春樹の小説作りの方法が、きちんとした型を踏まえているということだった。物語としての面白さのコツをしっかりと踏まえて書かれているということだった。
 もちろん、『レキシントンの幽霊』(短篇集のタイトルとしてではなく、一つの短篇として)だけを読みながらそう思っていたのであり、改めて今までの作品を読み返したわけではない。そんな折に、新刊が出た。そこで、そんな自分の思いを確かめてみたいこともあり、早速に新刊を手にしたわけである。
 私の思いは間違っていなかった、というのが読み終わっての感想である。読者を、早々に作品の世界に引き込み、ぐいぐいと引っ張っていく。二日で読み終えたのは(たまたま、まとまった時間もあったのだが)、作品の力に引っ張られてのことである。
 夏目漱石の『こころ』は、高校の定番教材の一つであり、私の好きな作品の一つである。上中下の三つに分かれており、「上」でさまざまな謎が提示され、「下」でその謎が解き明かされる。そこには、推理小説を読むようなサスペンスがある。さまざまな謎に引っ張られて、ぐんぐん作品世界に引きこまれていく。『色彩をもたない多崎つくる~』も、それに似たところがある。
 次にはどうなるのか、あるいはそれはどうしてなのか……といった興味が、読者をして物語の先へ先へと読み進ませていく。とにかく読んでいて面白いのである。そのような力は、現代文学の最先端をいく村上のような作家とは一見縁遠いもののように見えるかもしれないが、村上春樹の魅力の第一は、そこにあるのではないかと私は思う。物語を読むことの面白さをまずもって読者に味わわせてくれる。物語の世界に入ることの楽しさに気づかせてくれる。物語そのものの面白さが村上人気の根底にはある。村上春樹は難解な作家とも言われる。しかし、難解さ以上に、物語の面白さがあり、それが難解さをも魅力に変えているのではないだろうか。
 まだお読みになっていない方も多いと思い、作品の内容には触れないで述べてきた。最後に一つだけ、中身に関わって述べておきたい。タイトルにある「色彩」は、この作品で重要な働きをしている。主人公「多崎つくる」の友人は、それぞれの名前に色を持っている。「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」の四色である。この四つは、日本語における四原色である。日本語における色を表すことばの内で、最も古い言葉がこの四つだと言われている。そして、「アカ」と「アオ」、「シロ」と「クロ」は対で用いられるのである。「赤信号」の反対が、「青信号」なのであり(ミドリに見えても青信号というのは、「赤」の反対の色が「青」だからである)、「白黒をつける」といった言葉もある。作品内でもこの四色は対で用いられ、対で用いられる意味もきちんと仕掛けられている。そんなことを意識しておくだけでも、作品の面白さが増す
 村上春樹の作品は、多くの言語に翻訳されている。英語や中国語など他の言語では、この四色は相互にどのような関係にあるのだろうか。『色彩をもたない多崎つくる~』における四色の意味を理解するには、少なくとも日本語が一番わかり易いものとなっているのではないかと思うのだが、どうだろうか。

※日本語におけるこの四色については、下記の本が参考になる
 小松 英雄「日本語の歴史―青信号はなぜアオなのか」(笠間書院) 
また、加藤の「日本語の力を鍛える『古典』の授業」(明治図書)では、「色」をテーマとした古典入門期の授業を紹介している。