『洪庵のたいまつ』(司馬遼太郎)の教材研究 1

その1/その2/その3

司馬遼太郎の「洪庵のたいまつ」という文章がある。江戸時代、大阪で適塾を開いた蘭方医・緒方洪庵のことを述べた文章である。現在は三省堂・小学5年(平成27年版)の国語教科書に収録されている。
 現行の学習指導要領(国語)〔第5学年及び第6学年〕の読むことの言語活動例には、「ア 伝記を読み,自分の生き方について考えること。」とある。新しい学習指導要領(国語)では、同じく「イ詩や物語,伝記などを読み,内容を説明したり,自分の生き方などについて考えたことを伝え合ったりする活動。」ある。それゆえ、伝記教材は、小学校5、6年の教科書に散見される。
 「洪庵のたいまつ」を、伝記の読み方も考えながら読んでみた。

@伝記の読み方
1) 文章構成「はじめ―なか―おわり」を読みとる 
   伝記も説明文の一種と考える。したがって、構成は「はじめ―なか―おわり」の三部構成で考えていく。
「はじめ」には、誰について述べるか、またその人物についてなぜ述べるのかといった、その文章(伝記)の方向性を示すことが述べられる。ただし、伝記といってもその書かれ方は多様であるので、説明文や論説文における問題提示ほど明確ではないといえる。
「なか」では、「はじめ」で示された方向性に基づいて、人物の生涯や事蹟が語られる。またそれらに対する筆者の評価も加えられる。
「おわり」は、まとめや今とのつながりなどが語られる。
伝記において構成を考えることは、その文章が誰について、また何について述べようとするか、筆者はどのような考えからその人物を取り上げようとしているかを大きくつかみ、それらがどのように述べられているかをつかむことである。

2) どのような人物か。そして筆者は、その人物のことをなぜ述べるのか。どのようなところを評価しているかを読みとる(筆者がその人物を取り上げた理由をつかむ)
   「はじめ」では、人物の概略が語られ、その人物のことを語る理由が語られる。

3) 述べられている事柄(伝記的事柄)を読みとる
   「なか」で述べられる人物の生涯や事蹟を読みとる。
   「なか」「おわり」での筆者の見方や考え方を読みとる(筆者の評価点とその理由を読みとる)。

4) もっと知りたいところや疑問なところをあげる 
    語られている事柄から、もっと知りたいことや疑問点などをあげ、必要に応じて調べる。

5) 筆者の評価に対して、自分の考えを持つ
    筆者の人物評価に対して、自分の考えを持つ。

6) 自分が印象に残ったことを考える
    伝記を読んで、自分として印象に残ったことや考えたことをまとめる。
  *1)が構成よみ、2)~3)が細部の読み、4)~6)が吟味よみ

1.構成を読む
【構成】 行アキで以下の6つに分かれている
〈1〉 はじめ~ものだろうかと思った。(初め~p114・9行目)
〈2〉 人間は、人なみでない~読むことができるようになった。(p114・10行目~p116・5行目)
〈3〉 そのあと、長崎へ行った。~一つになったのである。(p116・6行目~p118・8行目) 
〈4〉 すばらしい学校だった。~意味のことを述べている。(p118・9行目~p120・10行目)
〈5〉 洪庵は、自分自身と~なくなったのである。(p120・11行目~p122・6行目)
〈6〉 ふり返ってみると~終わり(p122・7行目~終わり)

6つの部分の内容をまとめて小見出しをつけてみると、以下のようになる。
〈1〉 洪庵について語る理由と洪庵の簡単な紹介
〈2〉 蘭方医学を志す
〈3〉 長崎遊学と大阪で塾を開く
〈4〉 適塾のこと
〈5〉 洪庵のいましめと死
〈6〉 洪庵のたいまつ

「はじめ―なか―おわり」の構成は、以下のように考えた。
「はじめ」〈1〉 全体の方向性を示す
          洪庵の簡単な紹介
          出生
「なか1」〈2〉 〃   少年期・青年期
「なか2」〈3〉 〃   長崎遊学から適塾を開くまで
「なか3」〈4〉 〃   適塾の説明
「なか4」〈5〉 〃   洪庵のいましめと死
「おわり」〈6〉 まとめ

「はじめ」を〈1〉すべてととらえるか、最初の8行だけととらえるか、p113の洪庵の紹介部分までととらえるか、では意見は分かれると思われる。〈1〉の終わりでは、洪庵の生まれが述べられており、その意味では洪庵の一生が語り始められている。また、最初の8行では「美しい」という言葉が繰り返され、筆者が洪庵の人生をどのように見ているかが語られている。その意味では、ここまでを「はじめ」とする考えは十分に成り立つ。
「はじめ」はどこまでか、を子どもたちに考えさせる中で、〈1〉が大きく三つの部分から成り立っていることを読み取らせたい。「他人のために生き続けた」洪庵の人生を「美しい」と語り、洪庵の人物を簡単に紹介し、その生まれを語る。それが読み取れることが構成の読みでは大事である。その上で、どこまでを「はじめ」とするかは、三つの考えの中のどれに決まってもよい、と考える。
私が、あえて〈1〉を「はじめ」と考えたのは、筆者の行アキを尊重したからである。〈2〉で蘭学を志すところから実質的な洪庵の人生が始まったと筆者は捉えているように思われる。それゆえに、洪庵の出生の前で行を空けなかったのであろう。
〈6〉を「おわり」とするのは、異論がないだろう。〈5〉で洪庵の死が語られており、「ふり返ってみると、洪庵の一生で」と再度洪庵の人生を振り返った見方をしている。さらには、ここで初めて「たいまつ」という題名にもある言葉が登場し、洪庵の一生の意味をまとめている。

赤本では次のように「場面分け」をしている。
1の場面  はじめ~常人のようには思われなかったかもしれない。( ~p113・15行目)
2の場面  洪庵は、備中~主として医学を学んだのである。(p114・1行目~p115・9行目)
3の場面  中天游からすべてを~読むことができるようになった。(p115・10行目~p116・5行目)
4の場面  そのあと、長崎へ~洪庵は長崎の町で二年学んだ。(p116・6行目~p117・15行目)
5の場面  二十九才のとき~人を救うことだけ考えよ。(p118・1行目~p121・5行目)
6の場面  そういう洪庵に対し~終わり(p121・6行目~終わり)
 この分け方は、「場面」という言葉からもわかるように、洪庵のいた場所を中心として分けているように思われる。
2の場面 足守~大阪
3の場面 江戸
4の場面 長崎
5の場面 大阪(適塾)
6の場面 江戸
 6の場面では洪庵の死後のことも書かれており、場所は江戸だけにとどまらない。赤本のこの分け方は、「場面」の場所を中心に分けることで、それ以外の要素の読み取りを曖昧にしている。場面は、基本的に物語・小説に用いる用語であり、伝記に用いるとうまく分けられるところと、そうでないところとが出てくる。
何よりも問題なのは、筆者の行った行アキの意味をほとんど無視していることである。行アキがある場合、なぜそこで行アキがされているのか、その意味を考えるようにしていくことが大事である。もちろん、行アキが絶対的な意味を持つわけではない。しかし、行アキの意味を考えない読み方では、子どもたちの考える力は育っていかない。
 現に上に示したような内容が読みとれるし、筆者の行アキにはしっかりと意味があることがわかる。