授業に規律を生み出そう

読み研通信83号(2006.4)

1 勝負!

 昨年度一年間の授業はいかがでしたか。みなさん、こんにちは。連載の2回目となりました。読み研の運営委員、町田と申します。今号も、しばらくおつきあいのほどを……。
 同僚の教員で、年間の自分のクラスや授業クラスを「勝ち負け」で表現する方がいます。自分の指導が通り、一定の成果が残せた場合は「勝ち」。現状維持の場合は「引き分け」。後退してしまった場合は「負け」。「今年は完敗だった。」とか「かろうじて引き分けだった。」とか「勝った。祝杯をあげたい。」とかいう言い方で表現をします。もちろん生徒との戦いではありません。いかに指導力を上げられたかという、自分との戦いということです。この通信が出ている頃は、全国の教員の勝負が始まっている頃ですね。いざ、勝負!であります。苦しい戦いを強いられている方もいらっしゃるでしょう。が、お互い智恵を出し合いながら、頑張りましょう。「読み研」が、少しでも皆さんのお役にたてれば幸いです!

2 口癖?

 先日、ある授業のビデオを拝見しました。
 月に一度、優秀な先生方の授業を見ながら、ストップモーション方式でディスカッションをする研究会があるのです。参加人数はその回によって異なるのですが、7~8人という少人数。思いつくまま言いたいことを言い合っています。
ストップモーション方式の良いところは、気になるところがあれば、参加者の誰でも「ストップ」をかけられるところにあります。ポーズボタンを押して、即討論が始まります。
 これがですね、もの凄く勉強になるんですよ。「自分だったらこうするぞ。」「この発問はわかりにくい。」から始まって、「立ち位置が悪い。」「声のトーンが単調。」「姿勢が悪い。」などなど。全員が目の前で見ているので、討論はしっかりとかみ合っていきます。
 それで、先日見たビデオの話に戻るのですが……。皆さん自分の口癖って、ありますか。または、わかっていますか。例えば、「えーっと」を連発する人っていませんか。(私は、「つまりね、……」を連発しているようです。)その先生の口癖は、「静かにしなさい。」だったのです。
 ビデオの授業は公開授業であり、教室の後ろにはたくさんの先生方が見に来ていました。その影響かも知れないのですが、その授業はとても静かに整然と進行していました。しかし、それでも、その先生は「静かにしなさい」といい続けていました。ひょっとしてビデオに写っていないところで、集中していない生徒がいたのかも知れません。それにしても「静かにしなさい。」という発言のたびに、授業は中断されていました。ひょっとすると、この先生は「静かにしなさい」が口癖になっているのかもしれない。たぶんそれだけ、普段の授業に規律を生み出すのに苦労をなさっているのかもしれない。そう思いました。
 授業は、静かに整然とした雰囲気の中で進めたい。授業者の誰もが願っていることでしょう。しかしこれがなかなか実現できない。我々共通の永遠の課題、ですよね。でもですよ、「静かにしなさい」を連発して、本当に生徒は静かになるのでしょうか。むしろ言えば言うほど「指示が通らない教員」「指示を無視する生徒」が明るみとなり、両者の力関係が明確になってしまうように思います。例え赤信号でもみんなで渡れば恐くない、というような状況が生まれやすくなるというわけです。

3 都合?

「静かにして欲しい」のは何故なんだろうかと考えます。「うるさいと授業にならない」からではないでしょうか。そうすると、教師は力で押さえつけようとし始めるかもしれません。何度も注意する。声を大きくして注意する。いかに人の話を聞くことが人間にとっては大切なのかと説得する。「ちゃんと聞けないような生徒はたいした人間にならない」と脅す。授業がうまくいかないのは、そのクラスが悪いからだ、その生徒が悪いからだという結論になります。決してそのつもりがなくても、「この授業がうまくいかないのは君達のせいだ」というメッセージを、暗に発信し続ける授業が結構あるような気がします。生徒を悪者にしてしまえば、教師は精神的に少々楽になります。でも、何の解決にもなりません。授業にならなくて一番都合が悪いのは、実は授業者なのかも知れません。先ほどの先生は授業の冒頭で「授業目標」を掲げていました。「(1)難しい作品です。頑張って読み取りましょう。(2)この授業はたくさん進みます。頑張りましょう。(3)お客様(参観者)がいますが、発言しましょう。」どうも自分の都合が優先してしまい、生徒が置き去りになっている印象をうけました。この三つの目標は生徒に掲げる目標ではなく、授業者の目標です。

4 共に作り上げよう!

 授業の責任は、確かに授業者にあります。ただその責任感が強すぎるあまり、自分一人で何とかしようと思うと、今述べたような授業になってしまうような気がします。授業は、授業者と生徒が一緒になって作り上げるものなのです。そのためには生徒が置き去りにならない、生徒が望む授業をすること、それこそが授業に規律を生み出す基本だと思っています。
 生徒が望む授業とは、もちろん「君達のせいで授業がうまくいかない」と言われ続ける授業ではありません。そして、抱腹絶倒のご機嫌取りのような授業でもありません。「わかる授業」です。わからない授業は生徒を確実に置き去りにしていき、退屈にさせ、おしゃべりをさせます。そういう生徒がある一定の人数になると、授業は成立しなくなるのです。逆に言うと、うるさい授業は、授業者に対するメッセージ「わかんないから、わかるように教えてくれよ」なのかもしれません。

5 宣言!

 私は、四月の授業開きのときに生徒に宣言をします。「私は約束します。必ず皆さんが『わかる』授業にします。そして、一年間の後に、自分が成長できたと実感させます。」約束をするわけですから、この宣言を言うときはいつも緊張します。自分が全力を尽くすという覚悟を固めるための儀式のようなものです。そして続けます。
「そのためには、みんなの協力が必要です。授業は私だけが頑張って作り上げるものではないからです。二つ約束をしてください。一つ目『私は授業中に黒板を叩く時があります。それは、ここだけは聞いてくれというサインです。討議をしていても、板書を写していても、何をしていても一旦止めて、こちらを向いてください。』二つ目『その時、集中していない人がいた時、話しを止めます。別に怒っているわけではありません。ああ誰か集中していないんだなと思って、しばらく待っていてください。』この二つです。」
 そして、この二つの約束だけは、どんなことがあっても、一年間妥協しません。いい加減にしてしまうと、生徒との約束を守れなくなってしまうからです。本気の授業を続けられれば、きっと生徒に伝わるのではないでしょうか。