教材研究「一つの花」

研究紀要I(1999.8)

これは、1996年の夏の大会で私が担当した全体模擬授業のための教材研究に、さらに手を加えたものである。

I 構造よみ

 ☆「一つの花」の構造表
〇冒頭 「一つだけちょうだい。」

〇発端 それからまもなく、…… 

〇山場のはじまり ところが、……

◎───最高潮 「ゆみ。さあ一つだけあげよう。一つだけのお花、大事にするんだよう。」
〇結末 一つの花を見つめながら──。

〇終わり ……お昼を作る日です。 

1 発端について

a.予想される異説とそれへの反論

A「一つだけちょうだい。」……
 冒頭=発端とする考え。会話文であり、描写的でもあり、「一つだけちょうだい」はこの話の事件においてはカギとなる言葉である。しかし、冒頭は会話文ではあるが、その後の文は説明になっている。また、「一つだけ~」と言う言葉は確かに重要な意味をもつが、この言葉を覚えたことで事件が始まるのではない。

B まだ戦争のはげしかったころのことです。……
 「戦争のはげしかったころ」に事件が起こったことを示している。しかし、時を示すことがそのまま事件のはじまりとはならない。

C ゆみ子はいつもおなかをすかしていたのでしょうか。……
 ゆみ子と母の会話がここからはじまり、ゆみ子の空腹がここで述べられる。しかし、説明から描写的にはなるが、ここで述べられるのは母子の日常の会話(生活)であり、何らかの事件が起こることを示していない。

D「なんてかわいそうな子でしょうね。……
 行アキがあり、説明から描写へと変化している。またこれにつづく表現には「ある時」という事件が起きるときによく用いられる言葉がある。しかし、行アキは発端の決定において優先的な理由とはならない。また、「説明から描写への変化」についても同様である。さらに、「ある時」はその後の「そんな時」に対応している。ということはこのエピソードは一回だけのものではなく何回か同じようなことがあったと考えられる。そして「するのでした」と説明的に結んでいることも発端としない理由の一つである。

b.「それからまもなく、……」を発端とする根拠

①父が「戦争に行く」という事件のはじまり。
②ここでの主要な事件は戦争によって家族がばらばらに引き 裂かれることを通して展開していく。
③その意味ではここでの二つの勢力は戦争と家族。

2 最高潮(クライマックス)について

a.予想される異説とそれへの反論

A お母さんはそう言って、ゆみ子をあやしましたが、ゆみ子 はとうとうなきだしてしまいました。
 父といよいよ別れるというところで、ゆみ子が泣きだしてしまう緊張感の高いところである。しかし、緊張感は高いが泣きだした原因はおにぎりをもらえないことであり、この後父に花をもらうことで泣きやみ、そして父と別れるということからみても事件の最大の転換点とは言えない。

B ゆみ子は、お父さんに花をもらうと、キャッキャッと、足 をばたつかせて喜びました。
 ゆみ子が父に花をもらうことで、泣きやみ、笑って喜んだところ。つまり、ゆみ子が泣く→笑うという変化が読める。しかし、泣く→笑うという変化は、最大の変化というには弱すぎる。また、戦争と家族という二つの勢力の関係が変化してもいない。

C お父さんは、それを見て、にっこりとわらうと、何も言わずに汽車に乗っていってしまいました。
 父が去り、家族が戦争によって別れ別れに引き裂かれる、それが決定的になるところである。戦争と家族の対立が確かに際立つところではある。しかし、これは戦争によって家族が裂かれる(解決→破局)というだけ話なのか?さらに、冒頭の「一つだけ」と繰り返されてきた言葉がここがクライマックスとすると、まったく生かされないことになる。

Dゆみ子のにぎっている一つの花を見つめながら──。
 題名の「一つの花」がそのまま出てくる唯一の箇所であり緊張感もある。しかし、この前の文と倒置になっており、この文だけでは不十分。さらに「──」に示されるように、余情・余韻を感じさせるところであり、その意味で緊張感はあっても弱い。また、父が去った後であり事件のヤマは過ぎてしまったという感じが強い。

b.「ゆみ。さあ一つだけ……」を最高潮とする根拠

①「一つだけの花」という一つだからこそかけがえのない大事なもの、それをゆみ子に父が与えるところ。父のゆみ子(家族)への愛情が示されるところである。
②これまでは「一つだけ」という言葉は父母には否定的にとらえられていたが、ここでは一つしかないものという意味 で肯定的な意味合いをもって使われている。
③最後の別れで、ある意味では形見として父のゆみ子への思いがもっとも込められているものをゆみ子に与えた。
④「一つだけ」「一つだけの花」と「一つだけ」が繰り返されており、題名や冒頭から考えてもテーマと最も深い関わりがある箇所と考えられる。 
⑤戦争の最中に、それとは対極にある「花」を子どもに与え る。戦争の対極にある価値を示している。
⑥父は、最後まで「みんな」(いっぱい・たくさん)ゆみ子に与えることはできなかった。戦争の悲劇性が示されてもいる。
⑦会話文であり、描写性が高い。

《構造よみ補説》
 この作品の最高潮の決定にはむつかしさがある。生徒は直観的に「ゆみ。さあ一つだけ……」を見つけても、その理由をうまく言えないかもしれない。むしろ他の箇所の方が最高潮としての理由をつけやすかったりもする。そのような場合一定の議論はさせても、無理に最高潮を決定せず、形象・主題よみの中で最高潮を明らかにしていけばよい。

II 形象よみ 

 〈導入部〉 

1 時 

まだ戦争がはげしかったころ
①太平洋戦争のころ
②昭和十八~二十年くらいの頃か
③「まだ~ころ」→物語の時代は戦争が続いているときであり、それを語っている今はもう戦争は終わっている

そのころは、おまんじゅうだの、キャラメルだの、チョコレートだの、そんな物は、どこへ行ってもありません。
①今はおまんじゅうやキャラメル・チョコレートがある時代 →物語を語っている時代は現代ではない。まんじゅう・キャラメルをこどもの好きなものとしてあげることから見て少なくとも今より二十~三十年前。
②「そのころ」が時代として太平洋戦争のあたりであることがこの説明から一層はっきりとする。
③おまんじゅう・キャラメル・チョコレート───お菓子類 なくても生活できるもの・食べなくても生きていけるもの、つまり生活のゆとりを示すもの。
 →「そのころ」は、生活のゆとりがなくなっていた時代・生きていくだけで精一杯の時代

お米の代わりに配給される、おいもや、まめや、かぼちゃしかありませんでした。
①米が不足している時代→主食すら満足に手に入らない時代
②生きていくことも苦しい時代

毎日、てきの飛行機が飛んできて、ばくだんを落としていきました。
①戦争もかなり末期に入ってきている。
②食料の不安だけでなく、一般の人間でさえ生命の危機を感 じる時代。
③戦争が劣勢になってきている。
 ※本土空襲は、一九四四年(昭十九)六月~翌年八月までB29によって行なわれた。

2 場

 直接にゆみ子たちの住んでいた場所を示す言葉はないが、「配給」「町は」といった表現から考えると、都会もしくはそれに近い町。

3 人物

☆ゆみ子について 

(名前読み)
①都会的な名前
②「ゆみ」には色々な漢字を当てはめることができる。
 →ひらがなにすることでイメージの固定化をふせいでいる
→ひらがなで書くことで幼さを出している
 →ひらがなで書くことでやわらかい感じがある 

はっきり覚えた最初の言葉
①言葉を赤ん坊がしゃべりだす頃から少したっている
 →一~二才くらい
②ゆみ子の幼さを示す

「もっと、もっと」
①「もっとほしい」「もっとちょうだい」の意
②それを「もっともっと」としか言えない
③ゆみ子の幼さ→一~二才

ゆみ子のおかあさんは、……自分の分から一つ ──1 
①ゆみ子は一人っ子←何人かいたら母は自分の分から一つ分けてやることはできない
②大事に育てられている

お父さんは……ゆみ子をめちゃくちゃに高い高いするのでした。 ──2 
①高い高いをしてもらって喜ぶ年頃→幼さ
②お父さんもゆみ子のことを大事に思っている
  1、2より、ゆみ子は両親の愛を一身に受けて育っていることがわかる

☆おかあさんについて

自分の分から一つ、ゆみ子に分けてくれる
①やさしい
②子供思い
③ゆみ子の年令から考えて、二十代の母ではないか。それも どちらかといえば二十代前半ではないのか。
④人生経験も豊かではなく、初めての子を必死に育てている

☆おとうさんについて 
ゆみ子の年令から見て→まだ若い父親・二十代後半から三十代のはじめくらい
この子は一生~すごすかもしれないね。
①ゆみ子の将来に思いをはせている。
②ゆみ子の将来を不安に思っている。
③裏返せば、ゆみ子に「みんなちょうだい」「山ほどちょう だい」と言うような子になってほしい。
 →たくさんの幸せを得る子になってほしい→ゆみ子の幸せを願う親の気持ち
④「一生」「~ね」という言葉遣いから見て知的な人物。

一つだってもらえないかもしれないんだね
①ゆみ子が幸せを得られないのではと不安に思っている
②裏返せば、ゆみ子の幸せを願う親としての気持ち
③「一つだけ」→ささやかな、小さな幸せ。ささやかでもいいから、小さくてもいいからゆみ子が幸せに育ってほしいと願っている
 →いっぱいの幸せを与えられるものなら与えたいという気持ちでもある

いったい大きくなってどんな子に育つだろう
①ゆみ子の将来を繰り返して、不安に思っている。
②それほどに「一つだけ……」という言い方をすることを気にしている。
③自分がゆみ子が大きくなるまで生きていないのではという 不安を持っている。

めちゃくちゃに高い高いするのでした
①ものすごく高い高いする
②何回もする・いっぱいする
③ゆみ子がたまらなくかわいい
④「一つだけ~」というゆみ子がいじらしく、かわいそうで高い高いをした。
⑤父親として今ゆみ子にしてやることのできるのはこれくらいしかない。
 →物もないし、お金もない
 →父親の精一杯の愛情表現
※「何度も何度も」という表現と比べて
 「何度も~」だとゆみ子が喜ぶから、高い高いをするという意味合いが強くなるが、「めちゃくちゃに」はゆみ子が喜ぶからというだけでなく、しないではいられないいらだちのようなものが読み取れる。
⑥自分の不安をふりはらおうとしている。
 ア・戦争への不安→まだまだ激しさの続く戦争への不安
 イ・自分の将来への不安→自分もいつか戦争に行かなくてはならない
 ウ・家族の将来を考えての不安
 エ・「みんな」「山ほど」(いっぱい)のものをゆみ子に与えてやることができないいらだち

4 事件設定

(冒頭よみ)
「一つだけちょうだい。」
これがゆみ子のはっきり覚えた、最初の言葉でした。
①子供が最初に覚えるにしては異常な言葉
②子供が「一つだけ~」という異常な状況
③「一つだけちょうだい」を強調した表現
④ポット出式・読者の興味を一気に作品世界に引き込む効果
⑤一つしかものがもらえないような状況を表している
⑥題名と関連があり、この言葉がこの先重要な意味をもってくるのではないかと予想できる。
 ◎話者設定──三人称客観視点
 「おなかをすかしていたのでしょうか」という表現に見られるように、人物の心の中に入りこんで語るのではなく、あくまでも(やや例外はあるが)外側から描こうとするところに特徴がある。また、ゆみ子を基点として語っている。したがってゆみ子以外はお父さん、お母さんとなっている。

 〈展開部〉   

 ※(事)は事件・(人)は人物・(文)は文体を示す

(事)それからまもなく、あまりじょうぶでないゆみ子のお父さんも、戦争に行かなければならない日がやってきました。
〈それからまもなく〉
①前の文で述べられた出来事があってから少したって
②前の文の出来事は一回かぎりのことではない
 →二、三回同じようなことがあり、それは近接した時間の中で起こったこと。
③②→父の中にはゆみ子を高い高いせずにはいられないような何かがあった。
〈あまりじょうぶでないゆみ子のお父さんも〉
①体が弱い
②だからこれまで戦争に行かずにすんでいた。とすると、丙種合格くらいか。
③戦争に行ってもあまり役に立ちそうではない
④戦争に行っても体力的にもたないのではないか
⑤「も」までも、さえも→他にもたくさんの人が戦争に行っている。お父さんのようなあまり丈夫でない人まで大勢戦 争にかりだされている。
⑥③④⑤→それだけ戦局が悪化してきている・劣勢になっている
⑦③④⑤⑥→父の戦死を暗示している
〈戦争に行かなければならない日〉
①召集令状が来たということ。
 ※「行く日」と比べることで
②本人の意思と関わりなく、させられる。本人は、戦争に行きたいとは思っていないことを暗に示している。
③義務であり、強制的なもの(断ることはできない)
④親子が引き裂かれる日・父が去る日
⑤父の死を予感させるニュアンスがより強まる。
〈やってきました〉
「やってくる」向こうからこちらに来る・近づいて来るの意
①こちらの意志・気持ちに関わりなく、向こうから来た。 
②家族が望んでいたものではない。
③「不幸」(この先によくないことがおこること)を暗示

(事+人)お父さんが戦争に行く日、ゆみ子は、お母さんにおぶわれて、遠い汽車の駅まで送っていきました。
〈遠い汽車の駅まで〉
「遠い汽車の駅」という言い方には二通りの読みが可能
 A.汽車の駅が近くにはなく、遠くにしかなかった。
 B.近い駅もあり、それに対して遠い駅という。
 Aと考えると、町に一家が住んでいるということと矛盾してくる。「遠い汽車の駅」迄には、少なくとも二~三時間はかかっていると考えられる。歩くにしろ、バスにしろかなりの距離があり、町中に一家が住んでいたとは考えられなくなる。これ以前に明確に住んでいる場所を述べているところはないが「配給」「町は~」という表現は一家が町に住んでいたことを暗示する。それ故、Aとは考えにくい。すると、
①近い駅で別れるのではなく、わざわざ遠い駅まで見送りについていった。
②遠い駅は幹線の駅ではないか。
③近い駅までは近所の人々も見送りにきたのではないか。 
④①→少しでも長い間、家族が一緒にいたかったので見送り にいった。
⑤これが最後の別れになるという予感があったのではないか
⑥④⑤→家族の結びつきの強さが示される

(事)お母さんのかたにかかっているかばんには、包帯、お薬、配給のきっぷ、そして、大事なお米で作った、おにぎりが入っていました。
〈包帯、お薬、配給のきっぷ〉
お父さんを見送りにいくのに、なぜこんなものを持ち歩くのだろうか?
①包帯、お薬───いつ、怪我をするかわからないから。
 →常に生命の危機を感じているような状況。(空襲がいつあるかわからない)
②配給のきっぷ───大切なもの、なくしたら食料等が手に入らなくなる。
 →空襲にあったり、焼け出されも心配ないように
〈大事なお米で作った、おにぎり〉
①「大事な」は「お米」を修飾する。前出の「お米の代わりに配給される~」と照応して、この時代にいかに米が大事 なものであったかが改めて述べられている。
②米は、いつもあるものでも毎日食べられるものでもない。貴重なもの。
③ふだん食べられないだけに、とてもおいしく感じられる
④父の出征の日だから、お米で「おにぎり」を作った

(人)ゆみ子はおにぎりが入っているのをちゃあんと知っていましたので、
「一つだけちょうだい。おじぎり一つだけちょうだい。」と言って、駅に着くまでにみんな食べてしまいました。
〈おじぎり一つだけちょうだい〉
①おにぎりが食べたい
②おなかをすかせている
③特別なおにぎりだということがゆみ子にはわかっていない④父の出征の意味がゆみ子にはわかっていない→ゆみ子の幼さ
〈みんな〉
 おにぎりは全部で何個あったのだろうか?「大事なお米」がたっぷりとあったとは考えられない。また、おにぎりは遠い駅まで見送りにいくためのお弁当(もしくは別れを惜しんでみんなで食べるためのもの)と考えられる。母のかばんに入れられたことから考えても父が列車に乗った後食べるためのものとは考えにくい。とすると、数は(ゆみ子が全部食べてしまったことから見ても)一人一個、全部で三個ぐらいではなかったか。
①みんな食べてしまうほどお腹をすかせていた。
②久しぶりのお米のおにぎりなので珍しくて、とてもおいしかった。
③三つとしてもそれを立て続けに食べたわけではない。それなりの時間が必要だった。
→少なくとも二~三時間。
④二~三時間の間におにぎりを全部食べてしまい、さらに駅でねだるという設定にはやや不自然さもあることは確かであろう。

(文)お母さんは、戦争に行くお父さんに、ゆみ子のなき顔を見せたくなかったのでしょうか。
①話者──母の心の中に入らず、母の行動からその心情を推察している。
②ゆみ子のなき顔──母としては出征していく父に少しでも心配をかけたくないと思っていた。
 →母の父への思いやり
③ゆみ子がかわいそう──これが父親に会える最後かもしれないという思いが母の中にあった。

(事)駅には、ほかにも戦争に行く人があって、人ごみの中から、ときどき、ばんざいの声が起こりました。
〈人ごみ〉
①たくさんの人がいる
②「遠い汽車の駅」が大きな駅(幹線の駅)であるとわかる
③都会の駅
④②→「遠い汽車の駅」はその駅しかなかったのではなく、わざわざそこまで見送りにきた
〈ばんざいの声〉
①戦争に行く人を送るばんざいの声
②戦争に行く人を見送る人もたくさん来ている
③たくさんの見送る人のいる家と一家三人での出征との対比

(事)また別の方からは、たえず勇ましい軍歌が聞こえてきました。
①出征兵士を見送るためのもの。にぎやか、盛大な見送り。
②盛大な見送りとさびしい見送りとの対比

(事+人)ゆみ子とお母さんのほかに見送りのいないお父さんは、プラットホームのはしの方で、ゆみ子をだいて、そんなばんざいや軍歌の声に合わせて、小さくばんざいをしていたり、歌を歌っていたりしていました。
〈ゆみ子とお母さんのほかに見送りのないお父さん〉
①家族三人で少しでも長く一緒にいたいから、ここまで見送りにきた。
②周囲の盛大な見送りの様子と対比的である。
 ※父の出征が家族以外の見送りのないものであったかといえば必ずしもそうは言いきれない。出征の前には祈願祭というものがあり、近所の人の見送りはそこですませているとも考えられるし、親戚などは近くの駅までは見送りにきていたとも考えられる。    
〈プラットホームのはしの方〉
①人ごみから少し離れたところにいる。
②人ごみのなかにはいたくなかった。
③はなやかな、晴れがましい気分ではない。
 →戦争に行くことを喜べるような気分ではない。
④ひっそりと、親子三人だけでいたかったから
 →周囲の状況と、親子三人の有り様がそれだけ対比的に描かれる。
⑤父は、身体が弱く、戦争にいってもあまり役に立ちそうもないことに引け目を感じていたからはしの方にいたとも読める。
〈ゆみ子をだいて〉
①駅ではお父さんがゆみ子を抱いている
②ゆみ子を抱けるのもこれが最後
③ゆみ子との別れを惜しんでいる
〈小さくばんざいをしていたり、歌を歌っていたり〉
①ゆみ子を抱いているから小さく。
②他の人たちの声に合わせているから小さく。
③歌も口ずさむように歌っている。
④出征を喜んでの、ばんざいや歌ではない。
⑤ゆみ子をあやすためにしている
⑥小さくでもばんざいしたり、歌をうたっていることから見て、父の中に明確な反戦意識があるわけではない。
 →戦争に行きたくはないが、かといってそれを拒むほどの勇気もない。当時としてはごく普通の人間の一人。

(文体)まるで、戦争になんか行く人ではないかのように───。
 (倒置法・比喩(直喩)・省略法の使用)
〈まるで~かのように〉比喩
①お父さんを戦争に行かない人にたとえている
②悲壮感がない
③ゆみ子をあやして、楽しそうにしている。
〈なんか〉「など」の口語表現
①ある物事を否定的、あるいはつまらぬものとみなして取り立てる。
②戦争を否定的に見ている(話者の視点であることに注意)〈──〉省略法
前文との倒置法ともとれるが「──」に重点をおけば省略法と解釈できる。
 父が汽車が来るまでの時間(そんなに長い時間ではなかったであろう)を悲壮になるのでもなく、ゆみ子との(あるいは家族三人での)時間を楽しく、心残りなくすごそうとしている様子がうかがえる。
 →家族との時間あるいは家族を大事にする父親

III 主題よみ 

〈山場の部〉 

(事)ところが、いよいよ汽車が入ってくるという時になって、またゆみ子の「一つだけちょうだい。」が始まったのです。
〈ところが〉 逆接の接続詞
①それまでうまく(順調に)いっていたのが、うまく行かなくなることを示す。
②よくないことが起きることを暗示する
③事件の一つの転換点である
〈いよいよ汽車が入ってくるという時〉
①親子の別れの時が目の前にきている
②残された時間はあとわずかしかない
〈またゆみ子の「一つだけちょうだい」が始まった〉
①繰り返し──駅に着くまでにもあったのが「また」
②驚きを表す──こんな時になって、困ったことにも
③「一つだけ~」とゆみ子が言いだしたら何かを与えなくてはすまない。しかしおにぎりはもうない。

(文)「みんなおやりよ、母さん。おにぎりを───。」
①倒置法。ふつうなら「母さん、おにぎりを、みんなおやりよ。」
②「みんなおやりよ」を強調した言い方
③「一つ」ではなく「みんな」と言っている
④ゆみ子との別れの最後の時。せめて最後くらい「一つ」で はなく「みんな」やりたいと父は考えた。
 →父のゆみ子への愛
⑤父はおにぎりを母がみんなやってしまっていたことを知らなかった。
 →おにぎりが何個あるか、父は知らなかった。
 →母がゆみ子におにぎりを与えるのをさして気に止めていなかった。
 →父には他にもっと気になることがあった

(人)「ええ、もう食べちゃったんですの──。ゆみちゃんいいわねえ、お父ちゃん兵隊ちゃんになるんだって、ばんざあいって──。」
最初の〈──〉
①「おにぎりは」が省略されている。
②おにぎりをやりたくてもやれない、どうしていいかわからない戸惑い。
〈いいわねえ〉
①もうゆみ子にやれるものはない。だからゆみ子の気を別のものに向けさせようとしている。
②父が戦争に行くことをいいとは思っていない。→ゆみ子をあやすためにこう言っている
 ←「じょうぶでない」父を「遠い汽車の駅」まで送ってきたことから考えても
③②→ゆみ子のなき顔を父との最後の別れで見せたくない母の父に対するおもいやり・やさしさ(父に心配をかけまいとする)
二番目の〈──〉
①心から父の出征を喜んでいるわけではない。
②なんとか他のことでゆみ子が気を紛らしてほしいと願っている

(事+文)お父さんは、プラットホームのはしっぽの、ごみすて場のような所に、忘れられたようにさいていたコスモスの花を見つけたのです。
〈プラットホームのはしっぽ〉  ───1
①三人がいたのはホームの端の方、「はしっぽ」はホームの一番先端の所、ホームの終わりの所
②ゆみ子たちがいた所よりさらにホームの先。人のいない所
③人がほとんど行かない所
④口語的・子どもの言い方
⑤強調した言い方
〈ごみすて場のような所〉  ───2  
①比喩表現──本当のごみ捨て場ではないがそのようにも見える所
②ごみが捨ててあった可能性もある
③あまりきれいな所ではない
④人が寄り付くところではない
〈忘れられたようにさいていた〉  ───3
①あまり目立つこともなく
②人が行くような所ではないから忘れられていた
③コスモスの花自体、珍しいものではない。それ故、特に人目を引くものでもなかった。
④それほどたくさん咲いていたのでもない 
⑤戦争の最中では花は目を向けられるようなものではない
 1,2、3より   
 「プラットホームのはしの方」で、「ほかに見送り」もなく、「まるで戦争になんか行く人ではないかのよう」であった、ゆみ子の一家と、「コスモスの花」の有り様は照応している。
 →「コスモスの花」はゆみ子の一家と共通性を持つ。さらにいえば、「コスモスの花」はゆみ子の一家を象徴しているとも言えるのではないか
〈コスモスの花〉
①どこにでもあるありふれた花
②美しく、清楚な花
③一見弱々しそうではあるが、どこにでも生えるたくましさをもった花──風に吹く倒されても、茎から根を出し、また花をつける。
④一本のコスモスがたくさんの花をつける。
⑤吹き倒されても、すぐに花を咲かすようなたくましい花
⑥小さな花が集まって一つの大きな花を作る→家族を象徴する花
⑦「コスモス」秩序。転じて、それ自身のうちに秩序と調和とをもつ宇宙または世界の意。(広辞苑)
⑧ギリシア神話で、秩序整然とした調和ある世界。
⑨ギリシア語で「美しい」「飾り」の意味。
⑩花言葉──乙女の真心・少女の愛情・野性美
⑪「花」のもつ意味
 ア・食べることで精一杯の時代の中では、顧みられるものではない。
 イ・食物(実用的・実利的)に対して、鑑賞されるもの
   (実用的・実利的なものではない)       
 ウ・戦争の対極にあるもの
 エ・平和を表していくもの
 オ・美の象徴
 カ・心のゆとり、やさしさといった精神的なものを象徴
 キ・愛の象徴
⑫コスモスと外来語の書き方をしている───戦争とは異質なものを表している

(文)あわてて帰ってきたお父さんの手には、一輪のコスモスの花がありました。
〈手には~〉
①普通なら「お父さんは、~花を手に持っていました」となるところ
②「一輪の花」を主語にした言い方→強調した言い方
〈一輪のコスモスの花〉
 ゆみ子の「一つだけ~」という言い方に「大きくなってどんな子に育つだろう」と不安を感じていた父が、なぜ「一輪の花」を手にしてきたのか?
①一本、一つとは違って「一輪」──花に集中した言い方 それだけ花を強調している。 
②コスモスは群がって咲く花。一輪だけ咲いていたとは考えられない。
 →父が意図的に一輪とってきたのではないか
③そうすると、父は「一輪」であることに意味をもたせようとしたと考えられる。

[最高潮]
(事+人)「ゆみ。さあ一つだけあげよう。一つだけのお花、大事にするんだよう──。」
〈ゆみ〉
①呼び掛けている
②呼び捨て──その前の母の「ゆみちゃん」との違い
③あやすためではなく、真剣みがある。
④父が作中では初めて名前で呼んでいる
⑤何か大事なことを語りかけようとしている
⑥肉親への愛を込めた言い方←「ゆみ子」でなく「ゆみ」
⑦初めてゆみ子に面と向かって話し掛けている。それだけこの場面が作品の中で重要であることが示される。
〈さあ一つだけあげよう〉
 直前では「みんなおやりよ」と言っているにもかかわらずなぜ「一つだけ」なのか?
①ゆみ子の「一つだけ」に応えるため
②「一つだけ」と言えば、ゆみ子が泣き止むかもしれないと 考えて
③父はあきらかに意識して花を一輪とってきているし、「一つだけ」と言っている。
〈一つだけ〉
①ゆみ子の「一つだけ」とは違う意味で「一つだけ」と言っている   
 ア・ゆみ子の「一つだけ」は食物をねだるときの言葉、それに対して父が与えるのは花。 
 イ・ゆみ子の「一つだけ」はもっとちょうだいの意味だがここでは一つしかないものという意味。 
②一つしかないもの──他にはないこれ限りのもの
③父が娘に与えることのできる最後のもの(形見的なもの)
④この場かぎりのもの──二度と再び与えることのできるものではない
⑤かけがえのないもの・とても大事なもの
⑥他の花とは違う特別な意味を持った花
⑦父はそれまで「一つだけ~」をいじましい言葉として否定的にとらえていたが、ここではこれ限りのかけがえのないという肯定的な意味に転化させている。
⑧父はゆみ子に「みんな」与えたいと考えていたが、それは最後まで果たせず、ゆみ子に与えたのは「一つだけ」のものだった。
  →「一つだけ」は肯定的な意味に転化しているが、その一方では父のゆみ子に「みんな」与えてやりたいという思いは実現できなかった。
〈一つだけのお花〉
 花は「輪」で数えるが、ここでは「一つ」と言っている。「花」をものとしてだけではなく、象徴としてみている。
①「コスモス」・「花」の意味
 前出の読み参照
②父がゆみ子に「一つだけのお花」を与えた意味
 ア・ゆみ子を泣き止ませるため
 イ・生きて会える最後かもしれないこの時に泣いているゆみ子のために何かをしてやりたかった。
 ウ・家族(ゆみ子)に対する愛を伝えたかった
   →もう生きてあうこともないかもしれないが、自分がどれほど家族のことを思っていたかを一輪のコスモスに託して伝えた。 
 エ・父のゆみ子や母への願い(強くたくましく生きていってほしい・無事でいてほしい・幸せになってほしい)を花に託した
 オ・それはこの時点の父にできるぎりぎりのもの
   「一つだけ」にかけがえのない、大事なものという意味を込めながらも、最後まで「一つだけ」しか与えることができなかった。
 ※その思いはゆみ子に通じたのか?
 ゆみ子の年令を考えると、ゆみ子に父の思いが理解できたとは考えられないし、父もそれがわかると考えてはいなかったろう。とすれば、父がゆみ子に「一つの花」を渡した意味はどこにあったのか?
 a・ゆみ子が泣き止んでくれればよいと考えていた
 b・母に自分の思いを伝える→間接的にいつかは父の思いはゆみ子に伝わるはず
 c・父自身の思いを表すこと自体に意味があった
〈大事にするんだよう──〉
 「大事にするんだよ」と比べて
①念を押すような言い方──大事にしてほしいという気持ちの強さを表す
②なぜ大事にしてほしいと言うのか?
 ア・花は父の思いの象徴であるから。
 イ・「一つだけ」のものだから──かけがえのないものだから
 ウ・父が最後に残したもの(遺言的なもの)だから
 エ・「花を大事にする子になってほしい」という父の願い 
  a・美しさを大事にする子に
  b・やさしさを大事にする子に
  c・愛をもった子に
③「──」の意味
 ア・余韻を残した言い方
 イ・言葉にならない思いがあった
 ウ・何か言おうとしたが言わなかった
 エ・何か言おうとしたが言えなかった→一つしか与えることのできない無念さ

最高潮の読みのまとめ

「一つだけ」の意味の転換
①みじめったらしい否定的な言葉であったのが、「一つしかない」大切な、かけがえのないものという肯定的な意味に転換。
 →否定的に見ていたゆみ子の将来に対し、肯定的な将来を示すことができた
 →父のゆみ子(家族)への愛を示した
②最後まで「一つだけ」しか与えることができなかった
 →親としては子どもにいっぱい与えたいと思いながらも、それを実現することは最後までできなかった。そのことは、戦争のもつ悲惨さを浮かび上がらせる。

「一つだけの花」の象徴性
①父の遺言的なもの──父の思いを象徴
②戦争の対極にあるもの
③家族・娘への愛の象徴
 →戦争の対極にある価値を示した。戦争は家族を奪い、引き裂いていくものだが、それに対して戦争よりも大事なかけがえのないもの(親の愛・家族への愛)を示す
④あくまでも「一つだけ」のもの
 →一つであるからこそのかけがえのなさと一つしかないことのかなしさ
(最高潮から読めるテーマ)
 父親のわが子によせる愛情と成長への願い
 またそれを十二分に果たすことのできない悲しさ

(人)ゆみ子は、お父さんに花をもらうと、キャッキャッと、足をばたつかせて喜びました。
〈キャッキャッと~喜びました〉
①泣き止んで、大喜びしている。
②ものをもらった喜び──但し、これまでのような食べ物ではなく、花である点が違う
③「花」に込められた思いがわかっての喜びではない。
④ゆみ子の幼さ
⑤②③→ゆみ子にも直観的に父の思いは通じたのではないか

(事+人)お父さんはそれを見て、にっこりわらうと、何も言わずに汽車に乗っていってしまいました。
〈にっこりわらうと〉
①ゆみ子が喜んだのを見てうれしい
②自分の思いが通じてうれしい
 ──ゆみ子に父の思いがわかったというよりも、父には自分の思いが通じたように思えたことがうれしかったのではないか。
③母に自分の思いを伝えることができたうれしさ
〈何も言わずに〉
①何も言う必要はない──花をわたしたことで、父の言いたいことはすべて尽きている。
②言わないことで思いを伝えようとした。
  
(文)ゆみ子のにぎっている一つの花を見つめながら──
①倒置法──強調している
②ゆみ子でもお母さんでもなく「一つの花」を見つめながら
③「一つの花」に込められ思いを見つめている
④「一つの花」は父の家族への思いであり、それは家族三人の有り様をも象徴するもの
 →父は最後まで家族への愛や信頼をもって戦争に行った
⑤「一輪のコスモスの花」→「一つだけの花」→「一つの花」と表現は変化してきている。
 ア・ここではじめて題名の「一つの花」という言い方が出てきている。
 イ・次第に抽象性を増してきている。
 

〈終結部〉 

(事)それから、十年の年月がすぎました。
〈それから〉
「あれから」は現在から過去のある時点を振り返って述べるのに対して、「それから」はその時点を基点にした言い方。
〈十年の年月〉
①長い時間が経過──ゆみ子は十二才くらいになっている②もう戦争は終わっている
③物語の上での「今」になっている
④昭和二十八、九年頃

(人)ゆみ子はお父さんの顔を覚えていません。
①ゆみ子のもとに父は戻ってこなかった。
②父は戦死した→父の死を婉曲に表現
③幼かったから、覚えていないのもやむをえない
④②→父の死を認めたくない気持ちが話者にはあるのではないか

(文)自分にお父さんがあったことも、あるいは知らないのかもしれません。
話者がゆみ子の心を推量して述べている。しかも、お父さんがあったことを知らないというのは常識ではありえないのだから、この述べ方は異常といえる。
①お父さんのことなどとっくに忘れてしまい、思い出すこともない。
②お父さんは、今の生活には何の関わりもない存在だから 
③ゆみ子にとってお父さんがいたかどうかはもはや重要な問題ではない。
④重要なのは今、ゆみ子がどう生きているか。
 ※今西祐行はこの表現に関わって「私はここで、ゆみ子がお父さんのいないことの不自然さにさえ気づかないほど幸せに……というつもりだったんです」と述べている。しかし、この表現が作者の意図したそれほどゆみ子は幸せだったという読みを十分に引き出せているかというと、そこにはいささか疑問が残る。
 
(事)でも、今ゆみ子のとんとんぶきの小さな家は、コスモスの花でいっぱいに包まれています。
〈とんとんぶきの小さな家〉
①ゆみ子の家も空襲にあった。
②ささやかではあるが、ちゃんとした生活をしている。
〈コスモスの花でいっぱいに包まれています〉
①コスモスの花がたくさん咲いている。
②父が最後にわたしてくれた花がコスモス
 →父の願い、思いは今も受け継がれている
③「一つの花」が今はたくさんの花になっている
 →単に受け継がれているのではなく、広がり発展して受け継がれている。
④父をゆみ子は知らないかもしれないが、父はコスモスの花となりゆみ子の側にいて暖かく見守っている。  
⑤家族の愛はさらに大きく広がっている。
  戦争は家族の愛を引き裂くことはできず、戦争を乗り越えて、愛は大きく成長していることを表す。

(事+人)そこからミシンの音が、たえず速くなったりおそくなったり、まるで何かお話をしているかのように聞こえてきます。
〈ミシンの音〉
①誰かがミシンを踏んでいる
②仕事をしている
③内職か。
〈まるでお話をしているかのように〉
①比喩表現──ミシンの音を話し声にたとえている
②リズミカルな音
③明るい感じ
④楽しそう→仕事を楽しんでいる
⑤今のゆみ子たちの生活は豊かではないが、楽しいものであることを暗示。

(人)それはあのお母さんでしょうか。
①母と断定していない
②話者もはっきりとは知らない→家のなかに入らないで家の外から見ている
③話者ははっきり知っていてこう述べている。→読者と同じ視点に立って述べようとしている。
④客観的に述べようとしている。
⑤ややくどい述べ方でもある
 ──ミシンの音だけで母であることは大体わかる。なくてもよい一文ではないか。

(人)やがて、ミシンの音がいそがしく始まった時、買物かごをさげたゆみ子が、スキップをしながらコスモスのトンネルをくぐって出てきました。
〈スキップをしながら〉
①軽やかな足取り
②楽しそうな様子
③元気で明るい子供にゆみ子が育ったことを示す。
〈コスモスのトンネルをくぐって〉
①父の思いのこもった花のトンネル
②父の思い・願いに常に守られてゆみ子が育っていることを示す

(人)今日は日曜日、ゆみ子が小さなお母さんになって、お昼を作る日です。
〈日曜日〉
①休みの日にも関わらず、おかあさんは仕事をしている。
②生活自体はさほど楽ではない。
〈お昼を作る日〉
①毎日曜日、ゆみ子が昼食を作っている。
②母は仕事で忙しいので、日曜日はゆみ子が作っている。
③お昼を一人で作ることができるくらいゆみ子が成長した。
④生活のためにおかあさんに協力している。
⑤母の苦労を少しはわかちもつことができるくらいに成長している。

〈題名よみ〉                

「一つ」                   
①一つしかないもの
②一つだけのもの 
③それだけにかけがえのないもの            
④とても大事なもの
⑤ささやかなもの 
「花」     
①美しいもの
②愛・信頼・やさしさの象徴
③平和の象徴

《題名について》
 題名を「ひとつの花」とする考え方があるがそれはとらない。以下の理由による。
①初出(小二教育技術一九五三・十一)が「一つの花」であること。
②作者自身が次のように述べていること
「一つの花」は単行本になるときに、教育漢字や何かの関係で「ひとつの花」とかわり、今一応定本としています童話集「太郎コオロギ」の中でも「ひとつの花」としていますが、「一つの花」という表字の方が私は気に入っています。
③三井貴美子の「『一つの花』初出と異本の考察」によれば、講談社版「一つの花」がテキストとして信頼できると述べていること。 

〈主題〉                    

a・主要主題 
 戦争の中にあっても強い愛やつながりをもって精一杯生きようとする家族の姿
b・副次主題
①家族を引き裂いていく戦争の悲惨さ
②戦争によって引き裂かれてゆく家族の別離の悲しみ
③平和な中でこそ、人はのびのびと生きていくことができる
④「一つ」だけだからこそ大切なものがある。

プロフィール

「読み」の授業研究会
「読み」の授業研究会(読み研)
「読み」の授業研究会は、子どもたちに深く豊かな国語の力を身につけさせるための方法を体系的に解明している国語科の研究会です。
2021年に設立35年を迎えました。