若い先生方よ、来たれ!

 このところ若い先生方の提案を分析したり、授業を参観したりする機会に恵まれている。新規採用の先生の増加にともない、このような機会が今後さらに増えるだろう。喜ばしいことである。
 先日は教育実習生の精錬授業を参観した。対象学年は小学校二年生、教材は「さけが大きくなるまで」である。若い教育実習生は、持てるちからを全部出し切って子どもにぶつかっている。実にさわやかだ。子どもたちは、どの子もいきいきと発言している。微笑ましい場面が何度も見られ、楽しい時間を過ごすことができた。
 授業終了後に参観してのコメントを渡した。子どもへの誠実な態度や熱意、歯切れのよい言葉遣い等、すばらしい点をたくさん述べた後、次の三点についてアドバイス(四角囲み)した。
 一つ目は動作化の場面である。文中に「(さけは)三メートルぐらいのたきでものりこえて」とある。彼女はそこを取り上げて「先生はね、今日、滝をもってきましたよ」と、三メートル程の青いすずらんテープを何本も束ねた「滝」を取り出した。そして「さあ誰か。さけがこの滝を登るところをやってみて」と投げかけた。「はーい!!」「やりたい!」の声が一斉に上がり、数名の子が指名された。指名された子はどの子も皆、紙に描かれた体長五・六十センチ程のさけを「滝」の上で激しく揺すりながら上方へ進ませた。ワーワーキャーキャー、実に楽しそうだ。

◆動作化は文で示された状況・様子などを、具体的にわからせたり、イメージさせたり、確認させたりするために行う。根拠のない動作化は、ただの「遊び」になってしまう。今回の動作化では、激しく揺する子に対し「そんなことしたら、(川底の)石にぶつかっちゃうよ」との発言を引き出すなどして、次につなげたい。

 二つ目は「さけはどんなふうに滝を登るのだろう?」と発問したことへの受け答え方である。子どもたちはそれぞれ、根拠のない好き勝手な答えを述べていた。そのなかで一人の女の子が「教科書に『いきおいよく』と書いてあるからね……」と文中の言葉を取り上げた。先生はそれをほめた。そのあと再び文からはなれ、明らかに想像といえるような考えの発表が続いた。

◆子どもの答えをすべて受け入れることはよい。しかし解釈の範囲を明らかに逸脱しているような答えを認めてはいけない。「どれもいいですね」などは、子どもの発言を大事にしているのではない。逆だ。子どもの知的な要求の芽をつんでしまうことになる。

 三つ目は授業の節についてである。先生が問う、子どもがいろいろと答える。さらに先生が問う。子どもが答える。また先生が問う。このような先生と子どもたちのやり取りが長く続いた。

◆授業には節がある。子どもの答えの中にキラリと光る言葉があったり、先生が取り上げたいという言葉があったりしたら、その言葉をきちんと取り上げる。その際、当該の言葉が書いてある箇所を全員で音読させたり、ノートに書かせるといった作業をさせたりする必要がある。一時間の授業の中でこのような節を意識するとよい。

 冒頭で述べたように、今後若い先生方が増える。若い彼らにぜひとも読み研の理論と実践を知っていただきたい。そして、すぐれた国語の授業を創りあげてほしい。
そこで我々としても、読み研の理論を伝えると同時に、授業づくりについても詳細に、かつていねいに打ち出しいきたい。
 上の実習生へのアドバイスはどれも授業づくりの基本である。しかしながらベテランの先生方のなかにも、このような基本を再確認したいとの要求があるのではないだろうか。「構造よみで討論がまきおこらなくて」「うちの学級は『形象よみ』なんていうレベルではないわ」などとの声を聞くが、そこには案外上記のような基本の欠落が原因になってはいないだろうか。
 若い先生方を学習会にどんどん呼んで、共に学習を深める。それにより経験を重ねた先生方もあらためて授業の進め方の基本を確認していく。そのような学びを創っていきたい。