読み研の研究 実践の緻密な検証と大胆な洗い直しを

読み研通信84号(2006.7)

2006年8月の読み研夏の大会は、二十周年記念大会となる。これまで読み研は、様々な研究・実践上の成果を残してきた。しかし、一方でまだまだ研究・実践上の甘さ・課題も少なからず抱えている。
 夏の大会の冒頭で、阿部が基調講演というかたちで読み研の二十年の成果と課題を提起する。ここではその一部を紹介したい。

1 これまでの読み研の研究成果

 これまで読み研では、深く豊かに文章を読むことのできる力を子どもに身につけさせていく授業を追究してきた。その中でも特に重視してきたのは、子どもが自力で文章を読めるようになるための「読みの方法」に関する研究・実践である。
 そういった研究の一つの到達点が、読み研が編集した『国語授業の改革4・国語科の教科内容をデザインする』(2004年、学文社)である。この中で、今までの研究の成果が総括され、同時にそれに基づいた様々な新しい提案がされている。物語・小説の「構造を読む力」「形象を読む力」「着眼点を発見する力―『線引き』」「吟味する力」、説明的文章の「構造を読む力」「論理を読む力」「吟味する力」、「メディアを吟味する力」「語彙を吟味する力」など、体系的な教科内容を再構築していくための提案である。
 また、指導過程についても、豊かに深く読む力を子どもたちに確かに身につけさせるためには、どういう指導の手順・方法が有効であるかということを追究してきた。たとえば小説・物語であれば「I 構造よみ II 形象よみ III 主題よみ」あるいは「I 構造よみ II 形象よみ III 吟味よみ」(1)
――などの指導過程が提案されている。説明的文章では「I 構造よみ II 論理よみ III 吟味よみ」あるいは「I 構造よみII 要約よみ III 要旨よみ」(2)――などの過程が提案されてきている。
 当然のことながら、読み研は「研究会」であるから、指導過程の有効性をめぐって、様々な論議がある。右記のように複数の過程が提案されているのも、そのためである。そういった論議を含め、小学校、中学校、高等学校に適した指導の方法、学習用語等についても、先進的な提案を行ってきた。
 また、小学校・中学校・高等学校の「読むこと」に関する教材についての研究も精力的に行ってきた。ここには「教材研究」と「教材選択」の課題がある。鋭く豊かな教材研究ができなければ、国語の力を子どもたちに身につけさせることはできない。教師が確実に質の高い教材研究を行える方法を研究してきた。同時に教科書研究、教材開発研究を含めた教材選択の課題にも挑んでいる。
 その成果の一つが、『教材研究の定説化シリーズ』全30巻である。(3) 小中高の物語・小説・詩の教科書教材を、徹底的に分析・総合した教材研究集である。その発展として、読み研編の『国語授業の改革1・国語科新教材の徹底分析』(2001年、学文社)、『国語授業の改革5・国語科小学校・中学校 新教材の徹底研究と授業づくり』(2005年、学文社)が出版されている。以上の文献は、読み研以外の多くの教材研究にも引用されている。

2 国語科教育研究における読み研の位置

 読み研の研究・実践は、現在の国語科教育研究の中で、ここ数年高く評価されてきている。その一つのバロメーターが、国語科教育関係の事典類の記述である。
 『国語科重要用語三〇〇の基礎知識』(大槻和夫編著、2001年、明治図書)では、「主題」や「文学体験」の項の解説の中で「読み研」が登場する。『国語教育指導用語辞典[第三版]』(田近洵一・井上尚美編著、2004年、教育出版)では、「読解」の項に「科学的『読み』の授業研究会による文章読解過程における『構造』と『論理』の追究」に関する解説がある。『教育心理学用語辞典』(岸本弘他編、1994年、学文社)の「読み方の教育」の項でも「最近」「注目されている」方法という文脈で読み研が取り上げられている。
 また、全国大学国語教育学会が編集した『国語科教育学研究の成果と展望』(2002年、明治図書)においても、「読み研」「科学的『読み』の授業研究会」「読み研方式」についての記述が、複数箇所に存在する。たとえば「文学的文章の領域における実践研究の成果と展望」の中には、次のような記述がある。

 「読み研」グループ(1993)は、また、国語教科書研究においても成果をあげている。「少年の日の思い出」「故郷」など 中学校の共通教材について、教材としての歴史、教材への評価、教材としての価値、そして「学習の手引き」の批判的検討と、読み研方式による「学習の手引き」の代案、という観点からの研究である。現行の「学習の手引き」の問題点を指摘した上での、「読み研」理論による代案 の提示である。批判にとどまらず、生産的な提案性をもった研究方法であった。

 これは、阿部昇・大西忠治編著『授業づくりのための中学国語科教科書研究』全三巻(1993年、明治図書)についての評価である。
 さらに、同書では、読み研というかたちではないが、阿部の『授業づくりのための「説明的文章教材」の徹底批判』(1996年、明治図書)が、次のようなかたちで取り上げられている。

 大西忠治の「構造よみ」「要約よみ」「要 旨よみ」を批判的に継承して、「構造よみ」「論理よみ」「吟味よみ」という説明的文章の指導過程を提案した阿部昇(1996)にも批判読みへの志向は明確

 同書の中では、阿部の『力をつける「読み」の授業』(1993年、学事出版)も取り上げられ、物語・小説についての「『読み研』方式による仮説的な実践モデルを作り上げていった」という評価を得ている。
 大学の教員養成課程用のテキストとして編集された『あたらしい国語科指導法・改訂版』(柴田義松他編著、2005年、学文社)の中にも「科学的『読み』の授業研究会」「読み研方式」についての記述が数カ所にある。
 柴田義松氏は、『現代教育科学』の連載「授業を変える学習集団つくり」の中で、「読み研方式」の授業の一つとして臺野芳孝氏の授業を紹介している。(4)「構造読み」「論理読み」「吟味読み」という指導過程によって「師問児答から児問児答」に転換していく過程を高く評価している。
 同連載で柴田氏は、阿部の「文章吟味力を鍛える―教科書・メディア・総合の吟味』(2003年、明治図書)を取り上げている。「『吟味読みの方法』について」「『読み研』の研究がずいぶん発展」してきたことを、指摘しつつ、「国語や社会科の教師必読の書と言ってよいだろう。」と同書を評価している。

3 緻密な検証と大胆な洗い直し

 既に述べたように、読み研では、物語・小説については、「I 構造よみ II 形象よみ III 主題よみ」あるいは「I 構造よみ II 形象よみ III 吟味よみ」――の指導過程が提案されている。
 これらの指導過程は、全国の教師に支持され、数々の成果を残しつつある。多くの子どもたちに確かな国語の力をつけることに、かなりの程度貢献してきた。 
 しかし、そうでありながらも、たとえばなぜ物語・小説では、たとえば構造よみ→形象よみ→吟味よみ(あるいは主題よみ)という指導過程を踏む必要があるか、についての理論的・実証的な追究は、まだ十分であるとは言い難い。それは、たとえば物語・小説の「構造よみ」の中で、導入部が終わり事件が始まる「発端」にまず着目することの意味はどこにあるのか、ということについての追究の甘さなどとも連動している。また、なぜクライマックスと言われる部分に着目する必要があるのかということも同様である。確かに発端についても、クライマックスについても、それを追究していくと活発な討論が展開され授業は盛り上がる。子どもたちも、面白い・楽しいという感想を残してくれる。
 しかし、いくら盛り上がっても、いくら面白いと言われても、「発端を追究することで子どもたちにどういう力がつくのか」「クライマックスを追究することが、読むこと指導全体の中でどういう意味をもつのか」等についての、厳しい追究がないとしたら、それは経験主義の範囲内と言われても仕方がない。
 確かに一定程度の意味づけは、これまでもされてきた。それによって、事件の性格が把握できる、二つの勢力を把握することで作品理解が深まる、主題がより明確になる、などである。しかし、本当に「発端」「クライマックス」でなくてはいけないのか、そもそも「事件の性格」とは何なのか、「二つの勢力」という把握の仕方は妥当なのか、などの問いかけにもっと緻密にもっと具体的に答えていかなければならない。
 私は、間もなく発行される読み研の『研究紀要第?号』(2006年)で、これまでの読み研の物語・小説の構造よみについて、批判的な検討を行った。たとえば構造よみの「発端」の指導過程で、これまで過剰な指導を行ってきていたという指摘をした。これまでは「発端」の指導過程で「二つ以上の勢力」などの指標を前面に出しながら、かなり重厚で難しい読みとりを多くの時間をかけて子どもたちにさせている場合が少なくなかった。そのことによって、無用の混乱を生じさせているケースが見られたという指摘である。
 それは、構造よみにおける「構造」という用語についての検討の甘さともかかわっている。構造よみの過程には、「構成」 を把握する過程と「構造」を把握する過 程とが明らかに混在している。それを、曖昧にしたまま指導を行ってきたために、そういった問題が生じてきた。
 そのことは、物語・小説の「形象よみ」についても言える。特に作品の中のポイントとなる部分に着目させていく指導過程である「線引き」にその甘さがよく現象していると言える。たとえば、展開部以降の「線引き」の指標は、大西忠治以来、1人物の性格・行動 2事件の発展 3文体の成立――ということになっている。これらには、当時としては先進的な提案性があった。しかし、これらの指標についての検討もまだまだ甘い。
 そういう中で、機械的に1人物の性格・行動 2事件の発展 3文体の成立などを絶対的指標として線引きを指導するから、「線引きは難しい」「すべての部分に線が引けてしまう」「線を引いたものの何をどう読んでいいか分からない」という陥穽にはまっていくことになる。そして、線引きや形象よみは避けられ、実質的に表層をなぞっているだけの授業が広がっていく。
 今まで自明とされてきた指導の在り方についての洗い直しが是非必要である。

4 もっと柔軟な指導形態を追究しよう

 読み研が提案してきた指導過程の一つ一つを、上記のように具体的に厳しく見直していく必要がある。見直していくことで、これらの指導過程の有効性は、一層際だってくると言える。
 とは言え、一方では、こういったいわゆる三読法的指導過程を、常にこのとおり、この順番で行わなくてはいけないと考える必要もないと私は考える。
 もちろん、これらの過程で指導をしていく単元をきちんと位置づけておく必要はある。ただし、単元や教材によっては、構造よみを中心に行い、あとは軽く流す。あるいは構造はごく短い時間で終え、形象の読みとりを丁寧に指導する。それも、この教材では導入部とクライマックスの前後に焦点化して指導する。――などといったメリハリのある、そして柔軟な指導の在り方も追究する必要がある。
 たとえば、「走れメロス」の形象よみでは、導入部のメロスの人物像、展開部前半の王の人物像、メロスの「悪い夢」、クライマックス直前の「恐ろしく大きなもの」に「引きずられ」る部分――などに絞って指導していくというかたちである。それ以外の形象は無視するのではなく、これらの形象の読みとりの過程で必要に応じて関わらせていくのである。その中で、子どもたちに小説を読む楽しさを実感させつつ、それまでに子どもたちが学んでいない新しい「読みの方法」を身につけさせていく。
 説明的文章でも、だいたいの構成・構造が把握できたら「今回は『本文2』の論理と吟味だけに絞る」といったかたちで思い切って取捨選択をするという方法もある。
 明快で安定的な三読法的指導過程だからこそ、どの単元・教材でもわかりやすく安心して指導が行える、読む力がつけられる――という長所がある一方で、毎回同じパターンのルーティンワーク的指導になっていく危険も孕んでいる。同じようなわかりきったことを形式的に繰り返すだけの指導に陥る危険である。そのことを、読み研はもっと意識する必要がある。
 以前に学んだ読みの方法の繰り返しである場合は、復習的に極めて短時間で(たとえばワークシートなどを使って)済まし、そのかわり新しく学ばせるべき読みの方法には、十分時間をかけるという思い切った取捨選択も必要である。
 
5 思い切った再構築の時期である

 読み研の理論と実践には、確かに先進と言える部分が少なからず含まれている。しかし、一方で硬直化・形式化・形骸化と言わざるをえないような甘さも存在する。
 創立二十周年を機会に、読み研の理論と実践を厳しく豊かに見直し再構築をしていきたい。そして、やがては「読み研方式」などという名前が消え失せ、一つの典型的な指導法として誰もが、試みたくなるようなものにしていきたいと考える。

〈注〉
(1)小説・物語の「I 構造よみ II 形象よみ III 主題よみ」は、大西忠治が1970年代後半に提案した指導過程である。「I 構造よみ II 形象よみ III 吟味よみ」は、阿部昇がその大西の指導過程を批判的に検討しつつ、2000年代前半に提案した指導過程である。
(2)説明的文章の「I 構造よみII 要約よみ III 要旨よみ」は、大西が1980年第前半に提案した指導過程である。「I 構造よみ II 論理よみ III 吟味よみ」は、阿部がそれを批判的に検討しつつ、1990年代後半に提案した指導 過程である。
(3)読み研編の「教材研究の定説化」シリーズは、『「一つの花」の読み方指導』から『「川とノリオ」「スーホの白い馬」の読み方指導』まで計三○巻である。1991年~1996年の出版である。
(4)2005年4月~2006年3月に 『現代教育科学』(明治図書)に12回にわたって連載した「授業を変える学習 集団づくり」における紹介である。