京都文学散歩(2) 「古都」と「美しさと哀しみと」

「古都」は、川端康成の作品です。老舗呉服商の一人娘として育った捨て子の娘が、北山杉の村で見かけた自分の分身のような村娘と祇園祭の夜に偶然出逢う物語です。互いに心を通わせながらも同じ屋根の下で暮らせない双子の娘の健気な姿が、四季折々の美しい風景や京都の伝統を背景に、切なく可憐に描かれています。映画化も3回されており(1回目は岩下志麻さん、2回目は山口百恵さん、3回目は松雪泰子さんが主人公(二役))、ご存知な方も多いかもしれません。

ある日、千重子(双子の姉)は友達の真佐子に、高雄の新緑見物に誘われる。神護寺、高山寺を経て、北山丸太の里に足をのばす。「三時の休みか、草の下がりをしていたらしい、女達が杉山からおりてき来た。真佐子は立ちすくむように、娘の一人を見て、『千重子さん、あのひとよう似てる。千重子さんにそっくりやないの?』」双子の姉妹、千重子と苗子の出会いだ。が、言葉を交わすわけでもない。運命の糸は祇園祭宵山の日、四条寺町の八坂神社御旅所前で再びからまっていく。千重子は父母の健康を祈って無言の七度参りをしていたが、同じように七度参りする娘に気づく。千重子は娘に『何お祈りやしたの?』とたずねると、娘は『見ていやしたか。(中略)姉の行方を知りとうて……。あんた、姉さんや。神様のお引き合わせどす。』と目に涙を浮かべる。千重子は『うちは、ひとり子どす。』と言う。そして、お互いに「苗子」「千重子」と名乗りあげ、『今夜会うたこと知っていやすのは、御旅所の祇園さんだけ』という約束をして別れる。ところが西陣織職人の秀男が、苗子を千重子と思い込んで話しかけてくることから、双子の糸が結ばれ、またもつれていく。

「古都」のクライマックスは、千重子と苗子が、北山杉の里で夏の雷雨に遭うシーンだ。「『夕立どすな。』と苗子は言った。雨は、杉の小末の葉にたまって、大粒のしづくとなって落ちてきた。そしてはげしい雷鳴がともなった。『こはい、こはい。』と千重子は青ざめて、苗子の手を握った。『千重子さん、膝を折って、小さうおなりやす。』と苗子は言うと、千重子の上に重なって。ほとんど完全に抱きかぶさってくれた。」二人は心の中で、双子の姉妹を確信する。

京都市内から車で30分くらいの北山杉資料館(現在は休館中)には、「古都」を記念して、苗子が千重子を雷雨からかばっている銅像があります。また、京都の小学校3年生は、「わたしたちの京都市」の学習で、「北山丸太の里」と、「しば漬けの里」(漬け物)を社会科見学として訪れる学校も多いようです。

「美しさと哀しみと」も川端康成の作品です。主人公の大木年雄は、昔の恋人であり今は京都で絵筆をとっている上野音子と再開して、一緒に除夜の鐘をききたいと思い立ち、京都へとやって来ます。

「大木は、電話帳に上野音子の番号をさがした。『大木です。』『……。』『大木です。大木年雄です。』『はい、お久しいことどす。』と音子は京風に言った。大木はなにから言っていいのかわからない。そのむずかしい言葉をはぶいて、この電話がだしぬけであったように、相手にこだわらぬようなだしぬけな早口で言った。『京都で除夜の鐘を聞いてみたくて、やって来たんですよ。』『除夜の鐘を?…』『一緒に聞いてもらえませんか。』『……。』『一緒に聞いてもらえませんか。』『……。』電話にしては長いこと答えがなかった。音子はおどろき迷っているのだろう。『もしもし、もしもし……。』と大木は呼んだ。『お一人ですの?』『一人です。一人ですよ。』音子はまただまっていた。」 そして大晦日の夜、年雄への復讐を試みる音子の内弟子の坂見けい子がホテルへと迎えに来る。その車に乗って年雄は「円山公園を深く知恩院の方へ」と登っていく。音子は「古風な貸席の座敷」で年雄を迎え、『知恩院の鐘がいいでしょうと思って、こんなところにしました。』というのでした。」大木の妻になること、母になることを自分が奪ってしまったのかという呵責が、昔の思い出より先に、大木にせまってくるのであった。…大木年雄と上野音子と坂見けい子の綾なす数奇で情熱的な作品である。

知恩院の鐘は、大晦日の夜にNHKの「ゆく年、くる年」で毎年中継される鐘です。日本3大梵鐘と称されており、特別に大きいため、親綱と子綱を引く僧侶17人が「えーいひとつ」「そーれ」という掛け声のもと、一気に鐘をつきます。京都の人は、大晦日に八坂さん(八坂神社)で「をけら参り」をする人が多く、その後知恩院などの除夜の鐘を聞いて、一年の煩悩を落とすといわれています。

〈参考文献〉
1 河村吉宏 他 「京都文学散歩」 京都新聞出版センター 2006年
2 真銅正宏「ふるさと文学さんぽ 京都」 大和書房 2012年