京都文学散歩(1) 『高瀬舟』と『高瀬川』

京都文学散歩(1) 『高瀬舟』と『高瀬川』

 京都で「読み研夏の大会」が開催された時、現地特別講座「京都文学散歩」を計画したことがありました。参加者は少なかったですが、二条通から寺町通へと進み、梶井基次郎の「檸檬」のあとをたどり、最後は京都三名水とも呼ばれる梨木神社の「染井の水」までの散策を楽しみました。

 今回は、個人的に京都を題材にした2つの文学作品の後をたどってみます。

『高瀬舟』は、森鴎外の作品です。高瀬川は江戸初期に、京都と大坂を結ぶために造った人工の川(運河)です。江戸時代には、京都の罪人が遠島を言い渡されると、高瀬舟で大坂へ回されていました。『高瀬舟』は、そうした罪人のひとりが護送される高瀬川を舞台に展開されます。護送役の同心、羽田庄兵衛は、牢屋敷から桟橋まで連れてくる間から、弟殺しの罪人の喜助の「いかにも神妙に、いかにもおとなしく…しかもそれが、罪人の間に往々見受けるやうな、温情を装って権勢に媚びる態度ではない」様子に、不思議な気持ちで接していました。舟に乗ってからも、庄兵衛は役目を離れた目で、喜助の挙動に注意をしていましたが、「いかにも楽しさうな」喜助の態度が考えれば考えるほどわからなくなり、こらえきれなくなった庄兵衛は、「喜助。お前は何を思ってゐるのか。」と呼びかけてしまいます。この作品のテーマは、財産観と安楽死(ユウタナジイ)だといわれていますが、これは、今の世を生きる私たちのテーマでもあります。

『高瀬川』は、水上勉の作品です。鴨川の分流「みそぎ川」(夏になると、川床の下を流れるあの川です)から水を取っている川が高瀬川です。高瀬川は角倉了以(すみのくらりょうい)が開削した運河です。二条から木屋町通りに沿って南下し、また鴨川に合流しています。作品は、飲み屋「六文銭」での4人の女家族の生き様を通して、表層では華やかに見える、高瀬川沿いの街の昼と夜との陰影を「底の浅い高瀬川」に重ね映して描いているといわれています。「うちはおでん屋よりもバーがおもろい思うねん。表の半分を改造してな。洋風のスタンドにして…高級酒しかおかへんねん。かわいいバーテンさんひとり置いて。お姉ちゃんとうちがお店へ出て…品のよいお客さんを片っ端から籠絡してやんのやな。そんなん、面白いやないか、姉ちゃん。」という気性の強い妹の露子に引っ張られながらも、母(兼子)、姉(由枝)、姉の子(みどり)の家族模様が展開していきます。

 高瀬川の両側は、飲み屋が多く観光客でにぎわう繁華街ですが(春は、意外と知られていない桜の名所で、高瀬川をバックにした桜は見事!)、また幕末の志士たちが暗躍したのも、高瀬川沿い(木屋町)でした。普段は、『高瀬舟』や『高瀬川』の作品を意識しないで歩いていますが、少しでも意識すると、歩くスピードもゆっくりになり、眺める風景も変わってくるのが不思議です。

参考文献
1 河村吉宏 他 「京都文学散歩」 京都新聞出版センター 2006年
2 真銅正宏「ふるさと文学さんぽ 京都」 大和書房 2012年