加藤辰雄『クラス全員を授業に引き込む!発問・指示・説明の技術』(学陽書房)

 加藤辰雄さんの教育技術は、誰でも再現できるようになっている。優れた先生の名人芸で、とても真似できないという技術ではなく、未熟な自分でもやってみようと思えるものだ。今回の「発問・指示・説明の技術」も使う場面の具体例が分かりやすく、すぐ使えるものである。それと同時に、発問・指示・説明という普段の授業に欠かせない技術の意味を考えさせてくれる。


 この手の教育技術の本はよくあるが、使用例が掲載されているのみならず、教師の「指導言」理論をやさしく理解できる好著である。まず、教師が授業で使う言葉(指導言)の種類を「発問」「指示」「説明」の3つに分類している。それぞれの違いと使い分けが具体例とともに解説してある。加藤さんの本は豊富な経験に基づいた的確な具体例や教師の言葉が書かれてあり、「すぐ使える」と思えるのである。


 この本の10ページに、大西忠治氏の「発問上達法」(民衆社)の引用がされている。ベースに大西氏の理論があることが伺える。自分の本棚にあった、大西氏の本を改めて読み直してみた。やはりベースになっている理論は共通点が多い。「発問」は子どもの思考にはたらきかけ、「指示」は子どもの行動にはたらきかけ、「説明」は思考にも行動にもはたらきかける「指導言」であるという。ただ、大西氏は「発問・指示・説明」を「提言」と述べ、それらの補助的な発言を「助言」としている。大西氏はこの「助言」が子どもに勉強の仕方を教える大切は発言だとしているが、加藤さんの著書ではそういう観点では書かれていない。同様に大西氏の前掲書では「ゆれる」という言葉が多用されている。教師の発問がゆれることと子どもの思考がゆれることを肯定しているのである。一方で、加藤さんの著書では、子どもを混乱させず、集中させるためにゆれないことを求めているかのようである。この違いはどこからくるのか、検討してみたいところだ。


 こういった教育技術を扱う著書ではありがちなのだが、見出しを見てみると、「知っておこう」「使い分けよう」など教師が主語になっている。その技術を使うことでどのような子どもが育つのか、子どもを主語にして考えてみるとおもしろいだろう。「発問・指示・説明」が整理されることの良さが子どもの目線ではどのようなメリットがあるのだろうか。そんな読み方をすると、子ども主体の授業をつくり出すヒントになるのではないだろうか。


 この本を読んでいて、ふと思いついたのだが、「発問計画」という言葉はあるが、「説明計画」や「指示計画」という言葉は聞かない。それらをまとめて「指導言計画」と言えばよいのだが、「発問」はあらかじめ計画をたてておかなければならないくらい「ゆれて」難しいものだと考えられてきたのではないだろうか。説明や指示はあまり「ゆれない」ので、綿密な計画はそれほど必要ではないと考えられてきたのかもしれない。