随筆の構造よみ ─「字のないはがき」─

読み研通信78号(2005.1)

西原丈人(立命館宇治中学校・高等学校)

1 はじめに

 この原稿を書くにあたって大いに迷った。なぜなら、私は「読み研方式」を踏襲した授業を実践しているわけではない。むしろ「読み研方式」に疑問を感じながら研究会に参加している。
 研究会に参加することで、自分自身の技術向上に役立っていることは確かである。しかし、模擬授業や講座を受けながら釈然としないものを感じるのも事実だ。
 例えば、説明的文章の「構造よみ」や「論理よみ」では必ずといっていいほど教師同士で意見が対立する。お互いが譲らず決着がつかない場面を見るにつけ、国語教師でさえ判然としない「構造」や「段落相互関係」を子どもたちに求めるのはいかがなものかと首を傾げてしまう。
 また、文学作品(小説)の「構造よみ」に関しても、「発端」「山場の始まり」「クライマックス」などが教師間でも一致しない場合がある。況や生徒間をやである。活発な意見交流ができるといえば聞こえはいいが、教師があらかじめ用意した答え(教材分析)に子どもたちは心から納得するだろうか。
 こんな思いで授業をしているため、いまだに自分の授業スタイルを確立できずにいる。そんな私が「読み研通信」の原稿を書くことになったから大変である。

2 随筆について 

 「読み研」では文学作品・説明的文章についての研究は数多くなされているが、随筆に関する実践報告はあまり見かけない。これはなぜだろうか。
 『広辞苑』(第五版)で「随筆」を引いてみると、「見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章」(傍点、引用者)とある。「気の向くままに記した文章」であるから、「構造よみ」が通用しない場合が必然的にでてくる。また、内容が筆者の感性に負うところが大きいため、読みのスキルを適用しにくいという欠点もある。さらに、「随筆」という文章の守備範囲が広すぎるため、「文学的随筆」と「説明的随筆」に分類はするが、両者の要素をあわせ持った文章もあって扱いにくいというのも理由の一つであろう。明確なジャンル分けが困難な「随筆」を読むには、「読み研方式」を無理に当てはめて読もうとするよりも、読みの指標を変えた方がよい場合もあるのではなかろうか。
 以下に、向田邦子の『字のないはがき』(光村図書中学二年)の授業実践例を示す。

3 随筆の構造よみ

 向田邦子の書く随筆といえば、もちろん文学作品的要素が強く、いわゆる「文学的随筆」に分類される。
『字のないはがき』は、「死んだ父は筆まめな人であった。」という冒頭から生前の父を回想する構造になっている。「大酒を飲み」「かんしゃくを起こして」「母や子供たちに手を上げる」「暴君」であるふだんの父とはまた違った姿を、手紙やはがきにまつわるエピソードによって読者に紹介し、心あたたまるストーリーになっている。
さて、この『字のないはがき』を「文学作品」ととらえて構造よみしてみる。

(冒頭)死んだ父は筆まめな人であった。

(発端)私が女学校一年で初めて親元を離れたときも、三日にあげず……

(山場の始まり)ところが、次の日からマルは急激に小さくなっていた。

(クライマックス)茶の間に座っていた父は、はだしで表へとび出した。防火用水桶の前で、やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。

(結末)私は父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た。

(おわり)……私は一度も見ていない。

 一見、文学作品の典型的な構造になっているように見えるが、生徒たちの意見は収束しなかった。「山場の始まり」で意見が割れた。「まもなくバツのはがきも来なくなった。」をあげた生徒もいれば、「妹が帰ってくる日……」を推す生徒もいた。それぞれに根拠が示され、「先生、答えはどこですか。」と問われ、返答に窮してしまった。
 「発端」にしても、「事件の始まり」を私(邦子)と父の手紙のやりとりからとらえる者もいれば、妹と父のはがきの話からが事件だと考える者もいた。
 そもそもこの作品は随筆である。それならば、「随筆の構造よみ」があってもいいのではなかろうか。

4 「エピソード」と「まとめ」

 随筆の構造を簡潔に示すと、「エピソード」と「まとめ」に分けられる。
 「エピソード」とは、筆者の体験談や回想・見聞などのことで、「こんなことがあった」ということを示し、筆者の体験を読者に追体験させる役割を担っている。説明的文章の具体例とは性格を異にし、ある意味この「エピソード」が随筆の骨格をなしているといってもよい。
 「まとめ」とは、先に挙げた「エピソード」の感想・主張・後日譚などで、読者に問題を投げかけてもいいし、筆者自身が余韻をかみしめる部分であってもいい。もちろん、「まとめ」が省略されていてもかまわない。
 このような随筆の構造を示し、生徒たちに再度『字のないはがき』を構造よみさせてみたところ以下のようになった。

(エピソード1)父から私への手紙
「冒頭」~やってみたのかもしれない。

(まとめ1)手紙の行方と優しい父の姿
手紙は一日に~この手紙の中だけである。

(エピソード2)妹のはがきと父の涙
この手紙もなつかしい~を初めて見た。

(まとめ2)三十一年後のはがきの行方
あれから三十一年。~一度も見ていない。

 もちろん、このようにきれいに分類できる随筆ばかりではなかろうが、随筆の典型構造を意識させることで、「読む力」がそのまま「書く力」になるはずである。
 子どもたちが小学校・中学校で書いてきた「作文」は、紛れもなく「随筆」である。自分が体験したことを「気の向くままに記した文章」なのだから、書き手も読み手ももっと楽しいはずなのだが……。
 子どもたちに「書く」楽しさを教えるためにも、これからの随筆指導をもっと強化すべきであろう。

5 感性をみがく

 今回、『字のないはがき』を学習した生徒から、「面白かった」「感動した」という声が多かった。そして、授業後の課題として随筆を書かせてみた。それを読んで正直驚いた。みんな伸び伸びとした筆致で、こちらが読んでいて思わず引き込まれるような名随筆を書いているのだ。
 向田邦子の作品のような素晴らしい文章との出会いが、きっと子どもたちの感性をみがいてくれるのであろう。
 今後の「読み研」における「随筆の読み方指導」の研究に期待する。