新指導要領と読み研の今後

読み研通信66号(2002.1)

1 国語の授業が変わる

 新指導要領実施に伴い、国語の授業が大きく変化している。ていねいな読解を避け、粗筋をなぞる文学作品指導。一読後すぐに調査活動を促す説明文指導。書かれている内容からかけ離れた表現活動を求める指導。このような指導で、読解力、論理的思考力といった国語の力が獲得できるのだろうか。
 さらに指導内容、指導時間ともに大幅な削減がなされたわけである。国語の授業をどうするか。今こそ真剣に考えねばならない。読み研としても、授業づくりの論議をさらに進めるべきだ。新指導要領に対し、批判的または対置的スタンスで接する姿勢はきわめて重要だ。しかし、現場の状況を受け入れつつ課題や方向を提示することも、実践家には必要だ。
 私は現場の仲間と語り合うなかで、課題を次項から述べる三点に絞ってみた。これらを、読み研の理論と実践が発展していくための課題として、さらに方向として定めたいと考えている。

2 基礎・基本項目を明確にした系統だった指導構想の確立

 新指導要領では」基礎的・基本的な内容の確実な定着を図」ることを、総則の第一で述べている。昨今の学力低下を危惧する動向に対し、この部分はさらに強調されることになるだろう。
 このことに異論はない。読み研でも、まずは国語における「基礎的・基本的な内容」を明らかにすることだ。つまり、指導内容を選び出すのである。
 というのも読み研の仲間の授業で、しばしば、停滞ともいえる状態を見ることがあり、その原因が指導内容の量によるという場合があるからだ。
 読み研は教材分析に力を入れる。深い教材分析なしに、中身のある授業をつくり出すことなどできるはずもない。
 しかしながら深い分析に振り回されて授業が停滞してしまうこともある。あれもこれも読み取らせようとして、ねらいがぼやけてしまうのである。
 削減された授業時間の中で確かな学力を獲得させるためには、深い教材分析の後、何を捨てる(教えない)かを選び出す作業がよりいっそう重要となる。
 そのためには、小学校であれば、一年間という横軸と六年間という縦軸を基準として全体的な構想を立てることだ。要するに、どの学年のどの教材で何を教えるかを明確にするのである。これは膨大なエネルギーを要する作業だが、ぜひとも行いたいものである(私は教育出版の六年間分の新教科書を読み進めている。最初は大ざっぱでよい。少しずつ確かなものにしていくつもりだ)。
 ではまず横軸をどうつくるのか。
 私は鶴田清司氏の提起をもとに、プランを立てている。氏は教材のタイプ(学習形態)を次のように区別し、形態を変えて指導するように述べている。(「国語教材の徹底分析」 科学的『読み』の授業研究会編・学文社より)

 A 精読型(じっくりと深く読む教材)
 B 活動展開型 (表現や読書などに生かす教材)
 C 言語技術訓練型(読み方を身につける教材)

 年度当初、どんなに忙しくとも、年間で指導する教材文すべてに目を通し、それらをABCの三つの型に分類する作業を行う。
 それは容易な作業ではない。明確な分類は難しい。従って、だいたいでよい。指導しにくい教材があれば、投げこみ教材を用意してもよい。とにかく大まかな見通しを立てるのである。
 次に縦軸はどうか。
 これもやはり「読み研研究紀要1」で紹介された鶴田清司氏の「文学教材で教えるべき『読みの技術』」をもとにしている。私は、ここで示された五つの指導項目を「基礎・基本項目」とし、二学年別にねらいを定めている。例えば「3 視点をとらえる」については次のように分けている。

・低学年 扱わない。
・中学年 作者と話者を区別する。
・高学年 一人称視点と三人称視点の効果を明らかにする。

 以上のように、まず自分自身で横軸と縦軸を基準に「基礎・基本項目」を定めてみることだ。それをもとに各サークル等で集団討議して「基礎・基本項目を明確にした指導構想」をつくりあげていけばよい。

3 学習集団をつくりあげる

 新指導要領の目玉は「総合的な学習の時間」である。この時間の実践形態の多くは、調査や体験を重視したものになっているようだ。いわゆる従来の一斉指導形態とはかけ離れている。つまり、きちんと机に向かって学習することが少なくなるわけだ。
 そういった学習形態自体は、問題ではない。型にとらわれずによいと、積極的に支持する声もある。
 しかしただでさえ机に向かわない今の子ども達が、ますます落ち着かなくなるとの不安も現場では広がっている。
「子ども達が学びから撤退している」といわれる昨今、どう学ぶかという学習集団の問題はきわめて重要だ。
 読み研創立代表の大西忠治先生は、学習集団論を多数発表されている。「大西忠治 教育技術著作集 7」では「教科的な力量もあり、指導上のさまざまな技術をも身につけている教師でも、子どもたちを授業の中に引き入れられないような事情が最近の学校と生徒の中に起こってきている」と述べ、学習集団づくりの意義を説かれている。そこでは、「『学習集団』の形成とは、子どもに『学び方』『授業の受け方』『自分で学習する方法』を身につけさせる以外のなにものでもないといえる」と述べている。
 この三点を身につけさせるにはどうすればよいか。その意義を繰り返し訴えても効果はない。より魅力的な発問を準備してもうまくいくわけではない。
 そこではまず子ども達に「授業とは、先生が子ども達を引っ張ってつくるものではない。先生と子ども達でいっしょにつくりあげていくものなのだ」との意識を持たせることだ。
 そのためには、子どもの組織をつくることである。
 具体的には、学習リーダーを中心に学習班を組織するといったことである。
 以前「読み研の模擬授業は常に班を用いるが、理由があるのか」と問われたことがある。大西先生の学習集団理論と実践を受け継ぎ、さらなる発展を目指す我々にとっては、学習班の有用性を強く示したいのである。
 さて、組織や集団の形成には、リーダーの存在が不可欠となる。中心になる人間である。その子ども達をまず学習リーダーとして位置づける。教科的力量がなくとも、当面は意欲だけで十分である。
 その子ども達と学習リーダー会を開き授業の構想を伝えるのである。例えば次のように。

「五問終えたら『班ごとにノートを集めなさい』と指示します。そのとき君達 は『待ってください』と言い、班の人達のノートを確認しなさい。できていない人がいたら『先生、少し待ってください』と言いなさい。できるかな?」

 当然ながら、発達段階や学級の状況によって投げかけの言葉や取り組み内容を変えていく。
 発表についても同様である。「うちの学級は発表しない子が多くて・・・」と嘆く前に、発表させる手だてを講じることが先だ。
 そこでも学習リーダーとともに授業を組み立てるのである。

「まず、学習リーダーが挙手するのだ。間違えをどんどん言いなさい。松井君と工藤君、言えるか?よし頼んだぞ」

というように。
 集団から逸脱する、厳しさに耐えられない等、様々な問題を抱える子が今後増えるだろうといわれている。そういった状況だからこそ、子ども達の組織づくり
という視点を明確にし、皆で学びあう授業を目指すことが大切になる。

4「伝え合う力」を育てる討論を

 新指導要領(国語)では、「話すこと・聞くこと」が「内容」のトップに掲げられた。今改定のキーワードである「伝え合う力」が重視されたわけである。
 読み研は当然ながら「読むこと」に力を注いできた。柴田義松氏も「学校の国語教育において中心的位置を占めるのは何といっても読み方の教育である」(「読み研通信 第六十二号」より)と述べている。
 しかし現場では「伝え合う力」重視を支持する声が強い。子ども達の話し言葉があまりにも殺伐としていることや、おしゃべりは際限なく続けるにもかかわらず、公的場面ではまともに話せない子が多いこと等がその理由である。 
 読み研はこういった現場の要求にも応える必要がある。
 そのポイントは「討議づくり」にあるだろう。
 読み研大会の模擬授業では、毎回活発な討論が展開される。文学作品指導では構造よみにおいてクライマックスや発端をめぐり論争が生じる。また形象よみや主題よみでは、いかに深く読み込めるかで意見が絡み合う。前者は集中的な、そして後者は拡散的な論議といえる。
 説明文指導では、やはり構造よみにおいて前文、後文決定の論争が生じ、さらに柱の段落をめぐり意見が戦わされる。
 このような活発な討論が仕組めるのは読み研がよみの「ものさし」を持つからだ。文学作品を分析する際の構造表、説明文の論理関係を明らかにする際の柱という概念。これらがあるからこそ、書かれている文から離れることなく、生産的な討論が持続するのである。
 こういった授業では、まさに「伝え合う力」が育ちうる。
 今後「伝え合う力」をさらに意識して授業の中に討論を組み入れたい。
 その際、次の二点を留意する。
 第一に、討論によって何が獲得されたかをはっきり示すことである。
 討論場面において、討論自体が目的かと思われる授業を見ることがある。
 また、一部の子どもばかりが活躍したり、終了の見通しが立たない討論も見受けられる。
 これでは、子ども達に充実感を与えられないどころか、討論を重ねる程、子ども達はむしろ話し合いぎらいになる。
 そうならぬために、獲得事項を明確にし、討議内容を絞り込むのだ。
 例えば、この教材ではクライマックス決定討論のみを三十分間行い、発端は教師が示すというように。そして討論で得た価値(教科内容面と学習集団面の二面からの価値がよい)と評価を適切に述べるのである。
 獲得されたことが明示されれば、子ども達は「かしこくなった」と実感する。
この心情があってこそ、討論に参加しようとの意欲がわくのである。
 第二に、討論の術を指導することである。
 これは前項で述べた学習集団指導に関わる。例えば次のような術である。
・こう着状態の場合は班会議を要求する
・同じ班の仲間の発言を聞くように、他の班に投げかける。
・相手の発言内容を引用しながら反論する。等々。
 どんな術を教えるかは発達段階で異なる。実際の授業で、問題にしたい内容をその都度取り上げればよい。そこで指導した術は教室に掲示するなどして、定着を促す。