読むことから書くことへ

読み研通信82号(2006.1)

一 はじめに

 昔の話をするようになったら終わりだとは思うが、始めに来歴を一言。
 1982年、私は四校目の中学校に転任した。翌年、東京町田市の忠生中事件に遭遇した。教師が生徒をナイフで刺し、校内暴力が荒れ狂った事件である。80年代、非行の第二のピークと言われた時期に重なっている。当時、私は全生研の中央常任だったが、責めを感じて任を辞した。そして、ここに13年留まり、定年を迎えた。
 5年の嘱託期間を専ら国語授業に打ち込み、その後、学習院女子大で4年、大東文化大で2年半非常勤講師を勤めた。学習院女子大では、前期に論理的文章、後期にパブリックスピーキングを担当し、大東文化大では国語科教育法を担当した。
 今回の連載では、大学での授業実践を4コマ述べることにする。

二 読みから書きへの発展

A 先日、新大阪駅のホームで列車をまっているときのことです。
 すぐ近くに若い両親と三~四歳の男の子の三人家族がいて、父親がのぞみやひかりなどの特急列車について教えてあげていました。
 子どもは一生懸命に聞いていたようですが、入ってくる列車をもっと近くで見たくなったのでしょう。入線してくる列車に向かって駆け寄ろうとしました。すると、母親があわてて「そんな近くに行ったらしかられるよ」といいました。子どもは「だれにしかられるの?」と聞き返しました。母親は少し考えて「運転手さんにしかられるよ」と答えました。
 そこまでは私もぼんやりと母子の会話を聞いていたのですが、次の子どものひとことが耳を打ちました。「運転手さん、ピストル持ってるの?」B
 入ってくる列車に近づくと危ないからと注意するのではなく「しかられるから」という母親の言葉にも疑問を感じましたが、「運転手さん、ピストル持ってるの?」という小さな子どものひとことにギクリとしました。
 人をしかったり注意するものは、何か武器を持って相手を威圧するのが普通の感覚になっているとしたらそれはたいへん怖い感覚です。考えさせられるひとことでした。(A紙投書欄より)

「読みから書きへの発展」をねらいとしてこの投書を教材化する場合、二つの授業構想が考えられる。
 一つは、Aの部分だけを提示して、次の発問に答えるものである。

問 教材文は新聞の投書欄に掲載されたものである。この場の様子を観察している第三者の「私」の立場から400字以内で意見を述べよ。

【実作例1】
 私は驚いて、思わず運転手の方へと顔を向けました。この光景とあまりにかけ離れている言葉が不意に聞こえたからです。すると、そこには指さし確認をする運転手の姿が……。私は男の子のその年頃特有の素直な感性に感心し、また可愛らしさに思わず苦笑してしまいました。私と同様に、その男の子の両親も、はじめは驚いたふうに運転手を見ましたが、子どもの言いたいことを理解できたらしく、母親が、「違うのよ。あれはね、運転手さんが危なくないかどうか、確認しているのよ。」と、教えていました。子どもは、大人が見ても何とも思わないようなありふれたものにも、こうして新鮮な印象を与えてくれます。子どもには、私たち大人は持ち得ない真っすぐで素直な感性が備わっているのだなあと感じました。
 「子どもは小さな天才」とはよく言ったものです。男の子とその子の両親に感謝したくなるような、そんな出来事でした。(岡田綾子)

【実作例2】
 私は、この母子の何気ない会話で子どもの単純ながら明確である思考回路に驚いてしまった。
 自分をしかる=自分より偉い=自分では太刀打ちできない力を持っているという図式が、この子どもの頭を巡ったのだろう。その太刀打ちできない「力」こそが、ピストルなのだと感じたのだろう。大人にしてもそうだが、ピストルは、どんな口論、人格、暴力をも一瞬で静かなものにしてしまう力があると子どもは思っているに違いない。と同時に、ピストルを持っていない大人は無力なのだとも感じているかもしれない。そこには、単純ながら明確である子どもの思考回路というものが浮き彫りにされている。
 私は思うのだが、子どものこういった発想について、親はどう受け止めるべきか、どう誤りを正すかがいちばん重要だろう。(熊谷清香)

【実作例3】
 現在の社会事情、私たちをとりまく社会環境は多大に変化している。この会話は、そんな現在の事象を表すよい一例である。
 この母子の会話において問題となることが二点ある。一つめは、母親が子どもへ注意を促すのではなく「しかられるから」やめなさいという、もし「しかる」人がいなかったらしてもよいという親として子どもの行為に責任を放棄しているという考え方。二つめは、子どもの返答である「ピストル持っているの?」という、子どもにとって「しかる人」は悪いときめつけ、また悪い人はピストルを持っているという固定観念をもっている考え方である。
 最近は親が子どもを育てるうえで大切な倫理観を持たないために、子どもも倫理観を持たない親へと成長してしまったり、情報を受身的にのみとらえ、自分で考えることをしなくなるがゆえに、創造力が欠如している子どもも多いという。これらのことを解決するためにも親としての義務や価値を見直さなければいけない。(伊藤真由美)

【実作例4】
 運転手さんにしかられるから入線してくる列車に近づいてはならないという説明と、危険だから近づいてはならないという説明では、どちらが子どもを納得させることができるだろうか。
 子どもは理不尽な理由で怒られたり注意を受けることに敏感である。道理の通らない説明では納得できずに、ただ行動を制限されたという印象を残してしまうだろう。
 若い両親と子ども一人の三人家族であるが、この場面で注意をしたのは母親だけである。かたわらにいたはずの父親は一切発言していない。父権が弱体化している日本ではよく見られる光景なのかもしれないが、ある小さな出来事の中で父親の威厳を示すことはできるはずである。
 子どものしつけは両親二人の手にゆだねられているということを改めて感じた。(岡本真波)

【実作例5】
 この文章は、日本の現代社会の問題を明確に表している。
 まず第一に、「そんなに近くに行ったら、しかられるよ」という言葉である。日本の現代社会において、家庭内における「しつけ」は、昔より比べて甘くなってきてしまっている。他人にしかられると言う前に、母親が子どもに注意することが大切である。
 第二に、子どもの言った「ピストル持っているの?」という言葉からは日本社会の安全神話が崩れ去ってしまっていることが見てとれる。犯罪の低年齢化や犯罪の多発が子どもにまで恐怖感を植えつけてしまったのである。
 このような問題を解決するためには、まず家庭内でしっかりと子どもを教育し、愛情豊かな家族を作ることが大切である。そして、家庭や地域が共に社会を作っていくということを頭におき、生活していくことが重要になってくるのである。(東 佳奈)

 もう一つは、A・Bの全文を提示し、吟味よみを行ったうえで意見文を書くという授業構想である。
 投書は、ホームに入線してくる列車に近づこうとする子どもを、母親が注意するという単純な内容である。
 筆者は、「そんなに近くに行ったらしかられるよ」という母親の注意に疑問を呈し、「そんなに近くに行ったら危ないよ」とすべきだという意見を述べている。母親の注意に対して、子どもは「運転手さん、ピストル持ってるの?」と言う。これを聞いて筆者は、人を叱ったり注意する者は武器で威圧するものだ、という感覚になっているとしたら怖いと感じたというのである。

三 投書を吟味する

 投書の内容を吟味してみよう。
 第一、母親の注意について、「しかられる」と「あぶない」を対比して考えると次のような問題が明確になる。
①「しかられるよ」ではなく、「列車に近づくとあぶない」という事実認識を教えて注意すべきである。
②「だれかにしかられる」の「だれかに」は、「しかる人」を特定しない書き方である。三通りに読み取れる。
a母親だけでなく、他の人も同じように注意する。〈他の人も共通の認識を持っている〉
b母親は許すとしても、他の人は許さない。〈許容の範囲の問題〉
c他の「こわい人」にしかられる。〈権力関係を導入して、他者に責任転嫁する〉
③「あぶない」という事実認識表現よりも「しかられる」という感情的表現を使うほうが効果的であると考えたのかもしれない。〈感情表現の効果〉
④「しかられる」は、悪いことをしているという社会規範ないしは価値観による評価である。〈評価的基準の導入〉
⑤相互の認識レベルにズレがあるにもかかわらず、「あぶない」(事実認識)から「しかられる」(規範・価値認識)への短絡的な転化がある。〈認識レベルの短絡的な転化〉
 第二、「運転手さん、ピストル持ってるの?」について吟味する。
①ピストルの意義
 次の五点について、ピストルの意義ないし役割を考えておく。
a殺人用の武器
 例えば、ピストルによる犯罪など。
b威嚇用の武器
 例えば、警察官のピストル携行。
c護身用の武器
 例えば、アメリカなどでピストルの所持が認められているのは、護身用であるとともに人権の擁護という側面がある。藤木久志は「武装権はなによりも名誉権であり、その義務や負担がいかに重くとも、特権として高く評価された。また、その権利義務には、五つの要素があった。①平和時の武器携行の権利、②祖国防衛の権利と義務、③復讐の権利、④決闘権、⑤犯人の追捕権がそれである。」と述べている。(注1)
 植木枝盛は、権力が圧政を振るうときは「日本人民は兵器をもってこれに抗することを得」と書いた。(注2)また、丸山眞男も「人民の自己武装権」を論じている。(注3)
d戦争用の武器
 兵器として使用される場合、殺人が国家権力の名によって容認される。
 しかし、いずれの場合も「力(武器)によって相手を屈服させる手段」という点に共通性がある。
②単純で無邪気な幼い発想(実作例1)
③「しかられる」ような悪いことをしているという認識(実作例2・3)
④マスメディアの影響
⑤銃犯罪の多発という社会状況の反映(実作例5)
⑥子どもに対する親の躾・教育の問題
⑦子どもの感性の変化
 第三、父親と母親を対比して、親のあり方を吟味する。
①父親が子どもに、のぞみやひかりなど
 電車の種類を教えているのは知的関心であり、母親の安全への配慮とは対照的である。
②父権の問題(実作例4)
③子どもへの対応の違い
 電車に駆け寄ろうとする子どもへの父親の反応は書かれていないが、父親と母親の対応の違いは推測できる可能性がある。

 これが新聞の投書を授業で読み深め、内容を吟味して、自分の意見や主張を書いていく二つめの授業構想である。
 第2回は、自己PRを効果的に書くにはどうしたよいかについて、学習院女子大学での自主ゼミの取り組みを報告する予定である。

注1 『刀狩り』藤木久志著(岩波新書)
注2 「日本国国憲案」植木枝盛(1881年起草)
注3 『丸山眞男集』8(1960年)