京都文学散歩(6)「澪標」

 「澪標」は、外村繁の作品です。滋賀県五個荘の豪商の家に生まれた外村繁は、大正10年に三高(現・京都大学)に入学し、18歳から21歳までの青年期を京都で過ごします。同級生に、梶井基次郎、中谷孝雄がおり、二人との親交を通して文学に目覚め、作家になることを志します。「澪標」は、彼の人生の私小説面での集大成といわれる作品で、がんを知らされた自分の生涯をもう一度見つめ直して、自己の性欲史を率直につづったものであると紹介されています。幼少期の思い出から初恋、中学時代の異性への関心と性欲、三高時代の文学への目覚め、さまざまな誘惑や衝動から守ってきた童貞、最初の妻との出会いと同棲生活、性の喜び、妻の死と再婚、上顎腫瘍による自身の入院と妻の乳がんの手術、その間の性生活などが淡々とした筆致で、赤裸々に描かれています。

 一方「澪標」には、京都の町の懐かしいたたずまいが、ところどころに描かれています。「下宿からは神泉苑も近かった。神泉苑は當時既に池には水もなく、埃っぽい小庭園に過ぎなかったが、私の好む場所となった。二條城も私の散歩の範囲にあったし、二條驛も私の好きな場所であった。散歩の途次、私は二條驛の木柵に依り、単線のレールが鈍く光ってゐるのを眺めながら……」当時の二條驛舎は、1996年に「京都市指定有形文化財」に指定され、梅小路蒸気機関車館に移築・復元され資料展示館として活用されており(最近は、新幹線0系や特急車両も展示され、京都鉄道博物館になっています。)、現在は京都水族館とともに市民に親しまれています。

 また、「祇園石段下にある『レーヴン』というカフェ」が登場します(梶井基次郎の「檸檬」にも登場します)。祇園石段下とは、八坂神社の石段下(近く)ということです。カフェ「レーヴン」の詳しい所在はずっと不明でしたが、先日、京都新聞に「四条通沿い北側の、東大路通から6件目であると所在が特定された。」と載っていました。その地には、最近まで小物販売店(土産ものや)がありましたが、現在は閉店しています。外村、梶井、中谷の3人は、毎晩のように集って文学論に花を咲かせていたのでしょうか。また近くには、くず切りで有名な「鍵善良房」もあります(おすすめです)。

〈参考文献〉
 河村吉宏 他 「京都文学散歩」 京都新聞出版センター 2006年