説明的文章の構造よみをどうおこなうか

研究紀要VI(2004.8)

丸山義昭(新潟県立長岡高等学校)

1 構造よみとは何か

一 なぜ構造よみを最初にやるのか

 構造よみとは、文章を前文・本文・後文(序論・本論・結論)の三部構造で把握することであり、構造よみ・要約よみ・要旨よみという三読法の第一読に当たる。
 構造よみ段階で、包括概念を使って、前文・本文・後文の三部構造で把握し、各部分の柱の段落をある程度明らかにしておく。この過程で、その文章が何を言おうとしている文章なのか、あらあら理解することができる。文章全体をいくつかの部分で把握することによって、要約よみ段階で各部分ごとに段落どうしの関係を確かめながら、さらに文どうしの関係の読みへと進めていくことができるのである。構造よみ段階でのあらあらの理解がすでにあるからこそ要約よみという、部分部分の読みがスムーズにおこなわれると言えよう。

二 構造よみでは「包括概念」を使って前文・本文・後文をまず明らかにする

 「包括概念」とは、ある部分と部分、ある段落と段落、ある文と文、ある語句と語句、ある語と語の関係をみたときに、どちらかがもう一方を包括するとして、関係をおさえる考え方のことである。もちろん「包括概念」を当てはめてみたが、どちらももう一方を包括する関係がない、という場合もある。
 包括する方が「柱」(柱の段落・柱の文)になる。読み研方式では柱と柱以外の関係を次の三つに区分する。

○柱←詳しい説明
○柱←例・事実
○柱←原因・理由・前提

 前文と呼ばれる部分は、通常、本文を包括する問題提示を持つ。その場合、前文と本文の関係は、問いと答えの関係となり、問いは柱で、答えは問い(柱)に対して詳しい説明という関係になる。問いと答えの関係で一応は完結している「前文・本文」をさらに高次のレベルで後文がまとめている場合、後文が柱で、「前文・本文」が詳しい説明とか例とかになる。また、「前文・本文」が前提となり、後文が結論となる場合もある。(この場合も後文が柱。)

三 構造よみでは本文の各部分の柱の段落をだいたい明らかにする(本文内の包括関係をだいたい明らかにする)ところまでおこなう

 前文や後文では、普通、柱の段落は一つである。前文では、それは問題提示の段落であり、後文では、それはまとめ・結論の段落である。これに対して、本文部分には、複数の「柱の段落」がある場合が少なくない。その場合は、その柱の段落が包括する範囲ごとに本文I・本文II・本文III……と位置づけていく。これに対して、本文内に、本文のまとめの段落がある場合では、本文内の柱の段落も一つであり、本文I・II・IIIというような把握はできない。(以上の点については後述する。)

2 構造よみの指標

一 説明文の典型構造について

  説明文の典型構造

  前文  本文を包括する問題提示(問い・まとめ)

  本文  前文の問題提示に対する答え・説明

  後文  前文・本文を包括するまとめ

 右の典型構造については、次のように考えれば分かりやすい。まず前文と本文が「問い←答え」「まとめ←説明」という関係でセットになっている。そして、「前文・本文」と後文が「説明→まとめ」という関係でセットになっている。「前文←本文」の二部構造があり、それを包むように「前文・本文→後文」の二部構造があり、全体で三部構造となる。
「ホタルのすむ水辺」「花を見つける手がかり」「外来語と日本文化」「魚を育てる森」「クマに会ったらどうするか」、いずれもこの典型構造に当てはまる。
「アーチ橋の仕組み」には前文がなく、「クジラの飲み水」「クジラたちの音の世界」は、後文がない。

二 問題提示には、問いの形をとって、文字通り問題を投げかけるものと、まとめや結論をあらかじめ述べておく問題提示とがある

 「ホタルのすむ水辺」の第1段落は、

 そのホタルがいなくなってきた、人間が水をよごしたからだという声をよく聞きます。それは本当なのでしょうか。それなら、川をきれいにすれば、ホタルはもどってくるのでしょうか。

と述べていて、これは問いの形をとった問題提示である。
 「クジラたちの音の世界」の第1段落は、

 動物たちはそれぞれ特有の方法で、身の回りの情報を得たり、得た情報や気持ちをたがいに伝え合ったりして生活している。特に、群れで暮らすことの多い動物たちにとって、それはとても重要なことである。

となっているが、これは本文の内容を高次のレベルでまとめている。この「クジラたちの音の世界」は頭括型の文章と言えよう。
 「くらしの中の和と洋」では、第2段落で、

 ここでは、「衣食住」の中の「住」を取り上げ、日本のくらしの中で「和」と「洋」それぞれの良さがどのように生かされているか、考えてみましょう。

と述べているが、これも問いの形の問題提示と言えよう。
「体を守る仕組み」では、第4段落が、

 でも、安心してください。わたしたちの体には、自分で自分を守るための仕組みがあるのです。

となっていて、これが本文の内容を包括している。本文内容のまとめをあらかじめ提示しているわけである。

三 前文の問題提示は、少なくとも本文を包括していなければならない

 部分的な包括では、「前文の問題提示」とならない。「アーチ橋の仕組み」の第3段落「ところで、このように、アーチが橋の組み立てに使われているのはなぜでしょうか」という問いは、第6段落までしか包括しない。第6段落まででこの問いに対する答えは出ている。そこで次の問いが用意され、それは第8段落の「では、石をアーチの形に組み合わせるには、どのようにすればよいのでしょうか」である。

四 導入の働きだけの前文は認めない(導入だけの部分は本文Iの一部、もしくは本文Iとなる)

 右のように「アーチ橋の仕組み」を構造よみすると、本文を包括する問題提示がないと言える。そこで、次のような第1段落と第2段落を「導入」ということで、前文にしたくなる。

1 左の三まいの写真を見くらべてみましょう。
2 三つの橋には、よくにたところがあるのに気がついたでしょうか。そうです、どの橋にも、大きなアーチがあります。このような橋をアーチ橋といいます。

 しかし、私たちは、最初の方の段落に「導入」という働きがあることは認めつつも、主観的な指標になりやすい「導入」は避けて、包括関係だけを構造よみの指標とした。そうするとこの第1段落と第2段落は、第3段落の問いの文の「このように、アーチが橋の組み立てに使われている」に包括されるのである。私たちの検討では、導入の部分は本文_の問題提示に包括される。それで、「導入」部分は本文_となる。

五 本文(だけ)のまとめは本文になる

 本文のまとめを後文とするとらえ方(指標)があることはよく承知している。ここで言いたいことは、その指標が間違っている、などということではない。私たちにとって大事なことは、どちらの指標がより多くの教材に合理的に適用できるか、ということであった。「包括概念」で見ていくと、本文のまとめ、つまり本文を包括するまとめがあり、次に前文と本文を包括するまとめがある場合、本文のまとめからを後文にすると、包括のレベルが違うまとめが後文に二つあることになり、「後文I」「後文II」とでもしたくなる。説明文は、前文の問いと本文の答えという二部構造がまずあり、その前文・本文を高次のレベルでまとめる後文があるという三部構造なのである。そうした三部構造を典型と考えるから、本文のまとめは、後文とはしない。本文ととらえる。
 「ホタルのすむ水辺」で言えば、第9段落と第10段落が本文のまとめであり、本文。第11段落に前文・本文を包括するまとめがあるから、第11段落が後文。
 「魚を育てる森」では、第14段落に、

①このように、海の生物は、森とたいへん強く結び付いている。②森が海の貝や魚を育てているともいえよう。③だから、襟裳岬のように、森が消えれば海も死んでしまうのである。

とあって、これが本文のまとめとなっている。それで、第14段落以降を後文とする人もいるようだが、後文は第16段落であり、第16段落の「森と海だけではない。自然界は、微妙なバランスを保ちながら、互いに関係し合って存在している」が高次のレベルから前文・本文の内容をまとめている。第13段落までの文章により密着した第14段落と、この第16段落を同じ後文として扱うわけにはいかない。

六 前文・本文と包括関係のない後文もある

私たちの研究では、本文と包括関係のない「前文」というものの存在は認めることはない。問題提示があれば、それは本文を包括する問題提示であるか、本文Iという部分的な問題提示であるかのどちらかであったし、問題提示がなければ、それは(導入の役割を果たしながら)そのまま本文Iであった。
 ところが、後文の場合には、前文・本文を包括しないし、また前文から包括もされない後文というのがある。前文・本文とプラスの関係ということになる。
 私たちは、それを「特に付け加えたいこと」と「新たな問題提示」の二つと考えた。 
 「くらしの中の和と洋」では、第2段落に、

 ここでは、「衣食住」の中の「住」を取り上げ、日本のくらしの中で「和」と「洋」それぞれの良さがどのように生かされているか、考えてみましょう。

とあって、これが問題提示となっており、第16段落の、

 ここでは、日本の「住」について取り上げましたが、「衣」や「食」についても、くらしの中で「和」と「洋」それぞれの良さがどのように生かされているか、考えることができるでしょう。

が後文となるが、これは新たな問題提示である。
 こうした場合は、左のような構造に当てはまることになる。

前文  本文を包括する問題提示(問い・まとめ)

本文  前文の問題提示に対する答え・説明
          +
後文  特に付け加えたいこと・新たな問題提示

3 構造よみの順序

一 前文のあとに後文を読みとるのではなく、前文のあとに本文(がどこまでか)を読みとる。それから後文を読みとる

 構造よみでは、従来は、①前文②後文③本文--の順序で読みとる、前文と後文を明らかにすることでおのずと本文がどこからどこまでか分かるという方式をとっていた人が多いように思われる。しかし、私たちの指標では、前文と後文が対応しているのではなく、前文と本文が〈問い←答え〉〈まとめ←詳しい説明〉といった形で対応しているのである。したがって、前文の問題提示を読みとることは同時に、問題提示に対する〈答え〉〈詳しい説明〉がどこまで書かれているのかを読みとることを意味する。本文がどこまでかを読みとることで後文も明らかになる。①前文②本文③後文──の順序で把握していくのである。

二 構造よみの最初は、まず問題提示があるかどうか読みとる

一番分かりやすいのは、問いの文が最初の方の段落にある場合である。「ホタルのすむ水辺」では、第1段落に、

①初夏の水辺で光を放ちながら飛ぶホタル。②ホタルは夏の風物詩の一つです。③そのホタルがいなくなってきた、人間が水をよごしたからだという声をよく聞きます。④それは本当なのでしょうか。⑤それなら、川をきれいにすれば、ホタルはもどってくるのでしょうか。

とあって、④⑤が問いの文になっている。
 「花を見つける手がかり」では、第2段落に、

①いったい、もんしろちょうは、何を手がかりにして、花を見つけるのでしょう。②花の色でしょうか。③形でしょうか。④それとも、においでしょうか。

という問いの文がある。
 右のほか、「クジラの飲み水」(大隅清治)「クマに会ったらどうするか」(玉手英夫)などでも、問いの文が最初の方にあるので、見つけやすい。
 「魚を育てる森」では、問いの文がすぐには出てこない。少し読んでいって、第6段落に、

①緑がよみがえることで、失われた漁場がもどったのはなぜなのだろうか。②森は、海にとってどのような役割を果たしているのだろうか。

とあって、問いの文が二つある。
 「外来語と日本文化」でも、少し進んでいって、第5段落に、

①どうしてこんなことになったのであろうか。②それはこれらの外来語が、いつ、どのようにして日本語の中に入ってきたか、ということと深い関係がある。

とある。①が問いの文であるが、実は②が答えの大枠を示していて、①と②の両方で、問題提示となっている。

三 問題提示の文が問いの文になっている場合、その答えがどの段落までで出されているかを読みとる(問題提示の文がどこまで包括しているか。本文と思われる部分全体を包括していないと駄目)

 問題提示の文が問いの文になっている場合、前文が問いであり、本文が答えである。したがって、問いの形になっている問題提示を見つけたときは、その問いに対する答えがどこまでの段落で述べられているか、読みとる必要がある。答えのまとめが本文のまとめとなるが、そのまとめを含めて、答えを述べている部分が、本文と思われる部分全体とほぼ重なっている場合には、本文とみて間違いない。
「クジラの飲み水」では、第2段落に問いの形をとった問題提示の文がある。

①海にすむほ乳類であるクジラにとって、飲み水をどのように得るかということは非常に大きな問題となる。②動物はふつう、体重の約七〇パーセントが水分であり、そのうちの一〇パーセントの水分を失うと生命がおびやかされる。③生物にとって水はそれほどたいせつなものなのである。④それでは、いったいクジラはどのようにして飲み水を得ているのであろうか。

 ④が問題提示の文である。そして、最後の第11段落は、次のようになっている。

①このように、砂漠よりも水の乏しい環境にすむクジラは飲み水としての水を飲むことが全くない。②クジラは体内で水を作り、尿によって塩分を排出し、一方でできるだけ、 呼吸や汗で水分を失わないようにして暮らしているのである。

 この第11段落は本文の過不足のないまとめであり、ここまでで第2段落の④に対して答えを出していると言える。したがって、第2段落の問題提示は、第11段落までを包括していることになり、第3段落から第11段落までが本文、この文章には後文はないということになる。
 前文の問題提示である問いの文が二つある場合には、それぞれに対して答えを出している段落・文をおさえる。
 たとえば、「ホタルのすむ水辺」。この文章では、第9段落に「このように見てくると、単に川の水をきれいにしても、ホタルはもどらないことが分かります」という、第1段落の⑤「それなら、川をきれいにすれば、ホタルはもどってくるのでしょうか」に対する答えの文がまずある。「問い」に対して「答え」が「詳しい説明」という関係であるから、「答え」は「問い」に包括される。したがって、第2段落から第9段落は第1段落に包括されることになる。
 では、もう一つの問いである第1段落の④「それは本当なのでしょうか」に対する答えの方はどこにあるだろうか。それで、第9段落の次の第10段落に着目する。第10段落の④⑤は次のようになっている。

④このような生活や産業の近代化は、わたしたちが望んできたことでもあるのです。⑤そういう、人間にとってよいと思ってしてきたことが、実は、ホタルのすめる場所をなくす ことになっていたのです。

 これは、第1段落の④に対する答えとなっている。「ホタルがいなくなってきた」のは、「人間にとってよいと思ってしてきたこと」によるのだ。つまり、第10段落は、第1段落の③にある「人間が水をよごしたからだ」というような、一般の人が思いつくような見方に代えて、調査や事実に基づき、その原因については別の見方ができるということを示している段落である。
 したがって、第1段落は第10段落までを包括していることになり、第1段落は前文、第2段落から第10段落は本文となる。
 第9段落も第10段落もそれぞれ本文のまとめになっており、第2段落から第8段落を包括している。(第2段落から第8段落が第9段落および第10段落に対して詳しい説明という関係になる。)
「魚を育てる森」でも、第6段落に「①緑がよみがえることで、失われた漁場がもどったのはなぜなのだろうか。②森は、海にとってどのような役割を果たしているのだろうか」という二つの問いがある。②の問いに対応する(最終的な)答えの文は第14段落の①と②である。

①このように、海の生物は、森とたいへん強く結び付いている。②森が海の貝や魚を育てているともいえよう。③だから、襟裳岬のように、森が消えれば海も死んでしまうのである。

第6段落の①の「なぜ」に対する答えも、もちろん実質、第14段落の①と②になるが、形の上で第6段落の①と対応しているのは第14段落の③である。  
  

四 後文の読みとりでは、後文が全文(前文・本文)のまとめになっているかどうか(そういう後文があるかどうか)読みとる

 「ホタルのすむ水辺」では、第11段落の①で、「ホタルを調べることは、わたしたちの生活を考えることにつながっていました」と大きく全体をまとめている。「魚を育てる森」でも最後の第16段落で「森と海だけではない。自然界は、微妙なバランスを保ちながら、互いに関係し合って存在している」と前文・本文を包括するまとめを述べている。
「花を見つける手がかり」では、第2段落に、

 いったい、もんしろちょうは、何を手がかりにして、花を見つけるのでしょう。花の色でしょうか。形でしょうか。それとも、においでしょうか。

という問いの文があり、その答えは第15段落までの本文で出される。(第2段落が本文を包括する問題提示である。)そして、第16段落は「昆虫は、何も語ってくれません。しかし、考え方のすじ道を立てて、実験と観察を重ねていけば、その生活の仕組みをさぐることができます」と述べていて、前文・本文を包括するまとめとなっている。

五 本文内の段落関係を把握する

 本文I・本文II・本文III……と把握できるような文章と、そうは把握できないような文章とがある。本文I・本文II・本文III……と把握できるような文章では、そこまで構造よみでおこなう。そうは把握できない文章は、要約よみの、「本文」の最初の段階でおこなう。I・II・IIIと把握できるような文章では「小見出しづけ」を行う。
「クジラたちの音の世界」の第1段落が、本文の内容を高次のレベルでまとめた「まとめ」の提示という形の問題提示になっていることは前述の通りだが、第2段落以降はどうなっているか。第2段落に「海で暮らす動物たちは、どのようにして情報を得たり、伝え合ったりしているのだろう。クジラを例に調べてみよう」とあって、クジラを例に、この「どのようにして」を説き明かしてしているのは、第9段落までである。次は、第10段落に「それでは、クジラたちは、なぜこのように巧みに音を使って、周りの状況をとらえたり、情報をたがいに伝え合ったりするようになったのか考えてみよう」とあって、第11段落と第12段落を使って、「なぜ」を説き明かしている。
とすると、本文内の段落関係は次のようになる。

第2段落~第9段落  本文I  第2段落が本文Iの問題提示
                第3段落~第9段落は第2段落に対して詳しい説明

第10段落~第12段落  本文II   第10段落が本文IIの問題提示
                第11段落・第12段落は第10段落に対して詳しい説明

 あと、本文I・IIそれぞれに小見出しをつける。「クジラたちの音の世界」では構造よみでここまでできるだろう。問題は、本文I・本文II・本文IIIというようには把握できない文章の場合である。そうした文章の場合には、本文内の大きな包括関係をあらあら把握しておくところくらいで構造よみ段階ではとどめ、細かな段落どうしの関係は要約よみ段階でおこなうようにする。
「ホタルのすむ水辺」の場合、本文は第2段落から第10段落だが、これを本文I・II・IIIというふうには把握できない。第9段落も第10段落もそれぞれ本文のまとめになっており、第2段落から第8段落を包括している。つまり、第2段落から第8段落が第9段落および第10段落に対して詳しい説明という関係になっていて、「クジラたちの音の世界」のように、柱の段落を一つずつ持つ各部分というふうには、把握できないのである。
したがって、構造よみでは、右のところまでにとどめておいて、要約よみの段階に入ってから、本文の要約よみの最初に、本文内の段落関係──ここでは各段落がどのような関係を持ちながら第9段落と第10段落に包括されているのか--を把握する。
 第2段落は、次のようになっていて、第3段落から第8段落を包括していると考えられる。

 琵琶湖の近くで、そこに住む人たちが、ホタルはどんな所にすんでいるのかを調べたことがあります。五年以上かかって、大人から子どもまで三千人もの人が、身の回りの川や水田を調べました。

 第3段落から第8段落は、この第2段落に対して詳しく説明している関係になる。
 そして、第3段落から第8段落までは、次の三つの部分として把握できる。下に小見出しをつけた。

  第3段落と第4段落 家々の間を流れる川と水田の横を流れる川(カワニナのいる川とコンクリートで固めた川)
  第5段落と第6段落 街灯で明るく照らされる川べり
  第7段落と第8段落 害虫とホタルの減少

 第9段落の「このように見てくると……」の「このように」は第3段落と第4段落、第5段落と第6段落、第7段落と第8段落という三つの部分を受けている。第10段落も同様である。
 第9段落と第10段落は同じ本文のまとめであるが、段落どうしの関係としては、どちらかがどちらかを詳しく説明しているとか、理由を述べているとかの、包括関係がない。累加でプラスの関係である。
 本文I・II・III……というふうに把握できない文章では、以上のようにして、本文内の段落どうしの関係を読みとる。

六 構造よみ段階ではっきりしない関係は要約よみに残してもよい

 以上のように、前文・本文・後文の読みとり、および本文内の段落関係の読みとりは、包括概念を使って構造よみでおこなうのだが、構造よみ段階ではすっきりと決められない場合がある。たとえば、「前文・本文」と後文の間に包括関係があるかどうか(包括関係がなければ後文は「特に付け加えたいこと」や「新たな問題提示」となる)、前文の問いに対する本文の答えがどの段落までなのか、といった問題の場合に、構造よみ段階では、子どもたちの十分な理解が得られるような、明快な把握ができないことがある。そうした場合には、問題を次の要約よみに残して、そこでもっと細かく詳しく追究していくことになる。構造よみですべて明らかにし尽くさなければならない、ということはない。

プロフィール

「読み」の授業研究会
「読み」の授業研究会(読み研)
「読み」の授業研究会は、子どもたちに深く豊かな国語の力を身につけさせるための方法を体系的に解明している国語科の研究会です。
2021年に設立35年を迎えました。