『物と心』(小川国夫)構造よみ教材分析
本作品は、現在私が教えている学校で、中学三年生の教材として位置づけられている。形象よみ・主題よみの教材分析は既に本HPに既に掲載されているので、構造よみの分析(発端で出会う二つの勢力を中心に)を試みてみたい。
1. 教材 「物と心」(小川国夫)
兄の宗一といっしょに、浩は駅の貨車積みのホームへ行き、鉄のスクラップの山をあさって、一本ずつ古い小刀を拾った。二本ともさびきっていたので、家へ戻って、二人は砥石を並べて我を忘れて研いだ。時々刃に水を掛けて指でぬぐい、研げた具合を見るのが楽しみだった。浩の小刀はよく光り、刃先へ向かって傾斜している面には、唇が映った。宗一の小刀は、その面の縁だけが環状に光っていて、中央にはさびたままの、くぼんだ部分を残していた。
浩は、自分は丸刃にしてしまったが、兄さんは平らに研いだ、と思った。浩は自分が時間を浪費して、しかも、取り返しがつかないことをしてしまったように思い、周到だった兄をうらやんだ。浩は心の動揺を隠そうとして、黙ってまた砥石に向かった。横にいる宗一が意識されてならなかった。彼が横にいるだけで浩は牽制されてしまい、自然と負けていくように思えた。しかし浩は並んで研いだ。宗一がどんなふうに研ぐか気になったからだ。宗一はやっていることにふけっていた。浩は自分もふけっているように見せ掛けた。浩には時間が長く感じられた。自分が人をこんな思いにすることがあるのだろうか、と彼は思った。
浩は自分の小刀で手のひらを切って、宗一に見せるようにした。宗一はそれに気付き、目を上げて浩を見た。浩は自分から宗一の視線の前へ出て行った気がした。宗一をだました自信はなかった。宗一は研いでいた小刀を浩に差し出して、
――これをやらあ、と言った。そして今まで浩が研いでいた小刀を、研ぎ始めた。
――けがはどうしっか、と浩は聞いた。彼はもううその後始末の仕方を、宗一に求めている気持ちになっていた。
――けがか、ポンプで洗って、手ぬぐいで押さえていよ、と宗一は言った。
――……。
――おまえんのも切れるようにしてやるんて、痛くても我慢して待っていよ。
浩はポンプを片手で押して、傷に水を掛けた。血は次から次へと出てきて、水に混じってコンクリートの枠の中へ落ち、彼に魚屋の流し場を思わせた。彼はその流れ具合を見て、これがぼくの気持ちだ、どうしたら兄さんのように締まった気持ちになれるだろう、と思った。宗一は巧みに力を込めて研いでいた。浩はその砥石が、規則正しく前後に揺れているのを見守っていた。すべてが宗一に調子を合わせて進んでいた。
2.発端
本作品の発端として候補に挙がる箇所は、次の二箇所であろう。
A 「兄の宗一と一緒に、・・・」
B 「浩は、自分は丸刃にしてしまったが、・・・」
Aを支持する意見は、「兄と弟が本作品の中で初めて出会うところだ。だいたい、小刀を拾う行為は非日常的であるとも言える。兄や弟の生育歴、住んでいる場所などの説明がないまま、今ここで行われていることの描写が始まっているといえる。」あたりが出てくる。
またBを支持する意見は、「浩の心の細かい描写が始まるところである。自分の研ぎ方を失敗してしまったことに動揺をはじめる。この作品の非日常性とは、ただ単に楽しく遊んでいた浩が、我を忘れて楽しむことができなくなってしまうことである。」あたりが出てくる。
「物と心」の発端の授業をすると、ほとんどの生徒は、発端はAであると言う。「Aでは、二つの勢力が出会っている。もし、Bが発端ならば二つの勢力を示してみろ。」というのである。Bを支持している生徒は、この段階で何も言えなくなる。
Aを支持する生徒は、対立する勢力を「兄と弟」と言う。確かに兄と弟は、小刀の研ぎ方をめぐり、対立関係にあるように見える。結局、弟は兄に負けてしまい、兄の研ぎ方の優れていることを思い知る。・・・・・・しかし、この作品はそんな単純な勝ち負けの話なのであろうか。
実は、本作品の中で「兄と弟」は直接ぶつかってはいない。確かに、弟は勝手に兄に対して対抗心を持って兄に迫っているが、兄は最後まで相手にしていないのである。この二人は兄弟げんかをしていないのだ。本作品において二つの勢力があるならば、それは「兄と弟」ではなく、弟の心の中にある「ある思いとある思い」なのではないか。もしそうならば、弟の心理描写が始まるBのほうが、発端として適当であるはずである。しかし、心の中にある「ある思いとある思い」とは何か?それは、明らかにできるのか?
本作品には発端で出会うべき二つの勢力はないのか。展開部を詳しく見てみよう。以下に示すそれぞれの文は本文展開部から、そのまま抜き出したものである。
A「浩は自分が時間を浪費して、しかも、取り返しがつかないことをしてしまったように思い、周到だった兄をうらやんだ。」
B「浩は心の動揺を隠そうとして、黙ってまた砥石に向かった。」
A「彼が横にいるだけで浩は牽制されてしまい、自然と負けていくように思えた。」
B「宗一はやっていることにふけっていた。浩は自分もふけっているように見せ掛けた。」
以上のA・B二組の文の関係を見ると特徴的なことが明らかになる。A[浩は内面でかなりの動揺をしている。]しかし、B[浩の外面はその動揺を必死に隠している。]のだ。つまり、浩は[自分は負けている]という思いと、[自分の負けを認めたくない]という思いが、展開部から交錯し始めるのである。この二つの思いが、本作品における二つの勢力ではないか。しかもその思いは、研ぎ方だけにとどまらない。「これがぼくの気持ちだ、どうしたら兄さんのように締まった気持ちになれるだろう」とあるように、最終的には気持ちの面でも自分の未熟さを認めていく。しかし、構造よみの段階でここまで読み取れる生徒は、まずいない。形象よみに先送りにしたほうがよいだろう。
3.クライマックス
本作品のクライマックスとして候補に挙がる箇所は、次の四箇所であろう。
A「宗一は研いでいた小刀を浩に差し出して、――これをやらあ、と言った。」
B「――けがか、ポンプで洗って、手ぬぐいで押さえていよ、と宗一は言った。」
C「――おまえんのも切れるようにしてやるんて、痛くても我慢して待っていよ。」
D「彼はその流れ具合を見て、これがぼくの気持ちだ、どうしたら兄さんのように締まった気持ちになれるだろう、と思った。」
Aを支持する意見は「浩に『けがはどうしっか』と言わせる言葉である。つまり浩の研ぎ方に対する対抗心がなくなるきっかけ。この一言で、兄はすべてをお見通しだということがわかる。」あたりが出てくる。
Bを支持する意見は「浩に何も言えなくさせる言葉である。浩に強い衝撃を与えている。」あたりが出てくる。
Cを支持する意見は「浩を流し場に向かわせる言葉である。二人の会話がここで終わる。」あたりが出てくる。
Dを支持する意見は「浩の最終的な気持ちが述べられている。」あたりが出てくる
クライマックスは転換点である。もしDならば、血の流れ具合を見て初めて自分のふがいなさに気がついた、ということになるがそうではない。やはり、兄の言葉が引き金になっているのであろう。とすると、A・B・Cのいずれかになる。
Aは、後に「だました自信はなかった」と続く。話はまだ流動的であり、続いている。クライマックスと呼ぶには、まだ早すぎるといえる。C・Dともに、浩に何も言わせなくしている言葉である。どちらかの可能性は高い。最終的な浩の気持ちは「どうしたら兄さんのように締まった気持ちになれるだろう」である。Cは、単なる止血法について述べているだけである。この言葉が、浩の心を変えたとは思えない。……であるとすると、浩の最終的な気持ちに到達させたのは、Cの兄の言葉以外には考えられない。
Aがなくなったことにより、この話が単なる「研ぎ方に対する対抗心」が消える話ではないことがわかる。「どうしたら兄さんのように締まった気持ちになれるだろう」からわかるように、兄へのあこがれと自分に対する劣等感を感じる話といえるだろう。「おまえんのも切れるようにしてやる」には、自分の研ぎ方がまずかったため「取り返しがつかないことをしてしまった」ように感じている浩の心を理解していることを表している。それを知りながら今まで言わなかったのは、弟のプライドを傷つけないようにしていたのかもしれない。それでいながら、甘えようとする弟に「我慢しろ」という。兄が、毅然とした強さやさしさを合わせ持つことをはっきりとあらわした言葉である。
二つの勢力[自分は負けているという思い]と、[自分の負けを認めたくないという思い]がここで決着をする。
4.結末・山場の始まり
結末「……、と思った。」浩の心の動きが描かれるのはここまでである。発端が浩の心の動きが始まるところなので、対になるここが適切であろう。
山場の始まり「浩は自分の小刀で手のひらを切って、……」それまでは、別々に研いでいた二人であったが、関わり始まるところである。
プロフィール
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茗溪学園中学校高等学校
[趣味]神輿担ぎ・ラグビー
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